そうして二人は愛をはぐくむ
すべて初めては危険だ。しかしとにかく始めなければ始まらない。
大学でイタリア語を専攻し、学外では贔屓にしているイタリア料理店のシェフとイタリア語で会話した。奇妙な縁から空条承太郎氏に勧められSPW財団のイタリア支局で働く事になったのは数ヶ月前。
渡欧早々財団主催のパーティに出席する事になり、私は前日何度も自己紹介のイタリア語を復唱し、生まれて初めてのパーティ会場へと足を踏み入れたのだった。
ついこの間まで日本で学生をしていた私にとってその世界はまるで映画の中のようで、何とも気が引けた。直属の上司であるイタリアーノが不慣れな私を親切にリードして、他の参加者への挨拶を誘導してくれたが、私の拙いイタリア語をニコニコと見守られながらする挨拶はもどかしくまた気恥ずかしく、一通り挨拶を済ませた私は化粧室に行くと言って会場を出たのだった。
化粧室の鏡の前で溜息をつく。殆ど無意識に。短い髪は乱れる事はない。軽く化粧を直した後もまだ会場に戻る気にはなれずに、開いている窓につられるようにバルコニーに出た。
春の夜風が気持ちいい。鼻から吸い込めば、微かに潮の香りがする。

「Buonasera.」

ふと後ろから声を掛けられて、振り向けば黒髪の男性が立っていた。タキシードを着てるからパーティの参加者だろうと挨拶を返す。

「Buonasera.」

男性は私の隣へ来て、私の顔をマジマジと見ながら微笑んで言った。

「……オレの事を覚えてないかい?」

ナンパにしてはちょっとお粗末すぎる程だ。さっき上司と共に挨拶を交わした参加者の中にはいなかった。私は首を傾げて答えあぐねていると、男性の微笑みが苦笑に変わった。

「昨日カジノで君に声を掛けたんだが……覚えてないか?ブラック・ジャックが強いお嬢さん」

「……ああ!」

彼の言う通り、昨日行ったカジノでブラック・ジャックをして大勝ちした。それをイカサマだなんだとゴネられて思わずスタンドを使ったところを彼に見られたのだった。私のスタンドは悪用すると大事になるので、秘密にしている。彼にもスタンドなど知らないとシラを切った。

「昨日もナンパしてきた人ね?」

イタリア語が上手だのユーモアのある女性は魅力的だの言われた事を思い出す。

「昨日はナンパじゃあない」

「昨日は?」

「今は君を誘いたいから……ナンパだな」

「昨日の方が誘い方が上手だった」

「本気だと下手になるんだ」

「へぇ?そう?」

イタリアーノの本気を信じる程、少女でもない。
私は笑って会場へと戻ろうとした。その後を彼もついてくる。振り返ると、彼が肩を竦めた。

「オレも戻ろうと思って」

私のどこに彼が興味を持ったのか皆目検討もつかない。私はやれやれと言ったふうに溜息と苦笑を零し、会場へ戻った。

「名前はなんて言うんだ?」

「他人の名前を聞く時はまずはご自分から名乗るのが礼儀ですよ」

「オレはブローノ・ブチャラティ。ブローノと呼んでくれ」

「ブチャラティさんですね」

「それで、君は?」

「教えたくありません」

「オレは名前を言ったぜ?君も名乗るのが礼儀だろう?」

「他人の名前を尋ねる際の礼儀の話をしたのであって、それで私が名乗るかどうかはまた別の話です」

「なるほど。筋が通ってるな」

「ご理解頂けたようでなによりです」

「それじゃあ仕事は?財団関係者か?」

「そうです……ブチャラティさんは?」

「……オレもこのパーティに参加してるものの関係者だよ」

「随分と曖昧ですね」

「名前も教えてくれないベッラには言えないな」

「なるほど。筋が通ってますね」

「分かってくれて嬉しいよ」

そこまで会話をして、互いに顔を見合わせ笑う。今夜、初めて心から楽しくて笑った気がする。

「面白い人ね、ブチャラティさん」

「なぁ、ベッラ。君と話せるのが今夜だけだなんて、もったいない。君の連絡先を教えてくれないか」

一頻り笑った後に彼が真面目な顔で言った。キュッと口を結んで、じっと私の返答を待っている。
そんな彼に私は黙ってクラッチバッグの中から名刺ケースを取り出して、そこから名刺を一枚抜き取って彼の前に差し出した。

「私の名刺です。そこに書いてあるのが私の名前で……その下のが電話番号」

「名前……これは……ジャッポーネの字か?」

「そうです。上のが読み方になります」

そう教えると、ブチャラティさんは声に出して私の名前を読む。

「……アキラ……で、間違っていないか?」

「合ってますよ。日本語が上手ですね」

「そうか?伝わるなら、良かった」

そうして人生初のパーティの夜は終わった。
すべて初めては危険だ。しかしとにかく始めなければ始まらない。
そうして始めたブチャラティとの関係は確かに危険だった。
翌日ブチャラティが私をランチに誘う電話を掛けてきた話はまた今度しようと思う。



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