カラン、と乾いたベルの音にフィアンメッタは反射的に「いらっしゃい」と店内へ声を掛けた。
「Buongiorno.」
今しがたベルを鳴らしたのは彼女であろう。カウンター越しに若い女性がひとり立っていた。
何かの間違いで入ってきたのか、それとも道に迷ったのか。彼女はこの店にはそぐわない。なんせここは武器屋なのだ。カウンターのガラスケースには銃が並び、壁にはライフルやナイフが架けられている。
「Buongiorno,bella.大通りなら来た道を戻って、角のバールを右に曲がれば出られますよ」
フィアンメッタが迷い込んできた客に言う常套句を身振り手振りで教えると、彼女は微笑んで首を横に振った。
「No.迷子なんかじゃあないの。ここが武器屋だってちゃあんと解って来てるわ。この銃なんだけれど、見てもらえるかしら」
「アッ!ご、ごめんなさい!一度お預かりします」
「Sì.」
武器屋にやって来る常連客たちとは全く違うその容姿に改めて驚く。黒いワンピースに高いヒールで、銃を持つ手の先にはネイルまで施されている。凡そ引き金を引く手ではない。
フィアンメッタが手のひらに布を開いて差し出すと、その上に小型銃が置かれた。
「ジャムるの」
「ああ……コルトはショートバレルだから装填不良になりやすいんだよね。9mmに買い替える気はない?装填も1発増えるよ」
彼女の言う通り、この銃は装填に不安が残るタイプのものだ。
フィアンメッタが持ち前の商売っ気を出して提案すると、カウンターに肘をついていた彼女はニッコリと笑った。
「噂通り、商売上手ね」
「……噂?」
「この店の事、ミスタに聞いたの」
「ミスタに!?」
「ええ。幼馴染が武器屋をやってるからって」
「……アッ!お姉さん、何日か前にミスタの上司とここの前通った人か!?」
「ええ、通ったわよ。ミスタが店にいたのに気付いて手を振ったわ」
「やっぱり!どっかで見たことあるなぁと思ってたんだよね」
あの時のミスタが彼女と目が合い微笑まれてデレッとした事を思い出して、フィアンメッタの心にサッと影を落とす。
「……お姉さんもギャングなの?」
「Sì.見えない?」
「正直に言うとね、見えない。お姉さんみたいな美人がギャングだなんて、この世の何を信じたら良いのか解らなくなるよ」
「面白い事言うのね」
「だって、こんなに綺麗だし薔薇の匂いだってする」
「あなたはシトラスの匂いがするわ。生と死を想起させる、鮮烈な匂いよ」
香水などつけていない。着飾るような事をしないフィアンメッタから彼女の言う通りシトラスの匂いがするのならば、それは硝煙の匂いだ。そしてその事を目の前の彼女は解っている。
ガタ、とカウンター越しに身を乗り出してきた彼女がフィアンメッタの首筋に鼻を寄せた。長く細い銀髪がフィアンメッタの頬を撫で、シャンプーの匂いがする。こちらも薔薇の匂いだった。
スゥ、と言う音に匂いを嗅がれていると解って、驚きと羞恥にフィアンメッタは彼女の肩を押す。
「何、をッ!」
「香水は、キスして欲しいところにつけるものよ」
「は、ハァ!?」
「お嬢さん。あなた、お名前は?」
「……お嬢さんだなんて、呼ばれたくないし」
「教えてくれたら、お勧め通りコルトの9mmをいただくわ」
「……フィア」
「素敵な名前ね。私はアデレードって言うの。よろしくね、フィア」
不機嫌なフィアンメッタをよそにアデレードはニコリと笑ってカウンターに銃の代金を置いた。
「……弾は?」
「1ダースお願い」
フィアンメッタが弾の棚から1ダース取って、銃の入っている箱に重ねる。
「他にご入用は?」
「ないわ。これ以上からかったらミスタに叱られそうだもの」
「……は?」
「またね、可愛い武器屋のフィアンメッタ」
「え、」
アデレードは来た時と同じようにカランとベルを鳴らして店を出ていった。
呆然としたフィアンメッタがひとりカウンターに残され、彼女の最後の言葉を反芻する。
アデレードは確かにフィアンメッタと呼んだ。彼女にはそう教えてはいない。だとすれば自分の名前を教えたのは幼馴染のミスタに間違いないだろうし初めからアデレードはフィアンメッタの名前を知っていた事になる。
「嘘つき」
この件について、今度ミスタに会ったら詳しく教えてもらわねばならないとフィアンメッタは頬杖をついてため息を漏らしたのだった。
薔薇とシトラス
その女、取扱注意