幾日かの航海を経て、次の島へと辿り着いて。降ろされるかと思っていた私に掛けられたのは意外な言葉だった。

「名前、お前は船を降りるな」

降りるなと言うなら無理に降りるつもりはないけど、どうしてだろう。定期船があればもうこの気のいい海賊団に迷惑も掛けずに済むのに。首を傾げた私に、シャンクスさんは重ねて言った。

「あんまり治安が良い島じゃぁ無ェんだ。定期船も無い。…お前さんの事は、俺達がちゃんと生まれ島まで送ってやるから心配すんな」

そう言ってくれたシャンクスの笑顔に、思わず胸が熱くなった。どこまで良い人なのか。前の島で、故郷の島までは数ヶ月掛かると言っていた。シャンクスもそれを聞いていたはずなのに、数ヶ月間も名前の面倒を見てくれるつもりらしい。前の島でもそうは言っていたけれど、まさか本当にここまでしてくれるとは。

「……お世話に、なります」

「おう」

か弱い女なんて海賊船で最も厄介な存在の筈なのに、おくびにも出さずに笑う。その事がどれほど偉大な事かを私は知らない。傍らに立つベックマンも苦笑ではあるけれど笑っていて、迷惑だなんて表情はちらとも見せていない。

「お代は歌で良いぞ、名前」

「そりゃ良いな」

シャンクスがにかっと笑って言った次の言葉には私の方が苦笑してしまったけれど。ベックマンさんも肯かないでくださいよ。

「…また、今度」

「何だ、つまんねェな」

ここへお世話になったばかりの頃の夜、私の為に開いたとかいう(今考えると単なる口実だった可能性の方が高い)宴の席で、私はみんなのノリとやらに乗せられて、逃げ切れず歌を歌った。それは向こうの世界の歌で。割合みんな褒めてくれたけど、自分では恥ずかしくて仕方がなかった。意外にも歌うように強く推してきたのはベックマンで、私はその一件でベックマンに対する印象を少し改めたりした。

「イイ声だったぞ?」

口の端を少し持ち上げて笑うベックマンに、名前はもう苦笑しか出てこない。大概この人も意地が悪い。

「何だか言い方がいやらしいなァ、ベック?」

「俺はお頭じゃない。変な言い掛かりを付けるな」

「おいおい」

息のあったやり取りに思わず笑う。ふとベックマンと目があった。彼は、紫煙を燻らせ、ふ と笑っているようだった。





数週間があっという間に過ぎた。もう大分ここにいることへも慣れてきた。
ああ、今宵は月が奇麗だな、なんて空を見上げて。星の多さに、ここが違う世界であることを今日も思い知らされる。十七年間、毎日のように落胆してきた。…けれど、月だけは、一緒だ。ここも、向こうも。

「…どうだ、名前。最近は」

拾得物という扱いはあまり見受けられないけれど、それでも拾得者の責任があるからか、ベックマンさんは何かと私を気に掛けてくれる。今ではもう毎夜恒例となってしまった一人反省会をしていると、さり気なく声を掛けてくれた。

「…上々、です…?」

「…そうか。………あいつらの軽口は、軽く流してくれて良いんだぞ」

「いえ、私が勝手に傷ついてるだけなんです」

そんなに離れていないところでは今も宴が行われていて、クルー達の喧噪が絶えずここまで届く。木箱に囲まれたここまで。

「…皆さんには、本当に感謝しています。毎日すごく賑やかで楽しいです」

「…で、本当のところは何をそんなに思い詰めて居るんだ」

たかだか数週間の付き合いなのに、ベックマンには既に色々な事を見透かされている。どうやら言い逃れできそうもない。

「…………私は、何て役立たずなのかと思って。戦えもせず、力仕事もできず、……かわいげも、ないし。慰めろ、と言われても…巧くお相手できないし」

顔を見ていたら泣いてしまいそうな気がして、私は膝に顔を埋めたままぽつりぽつりと弱音を吐いた。私がすっかり吐き出してしまうまでベックマンは帰らない。意地を張ってこの人の時間をこれ以上奪うのも嫌で、ぽつりぽつりと愚痴を聞いてもらうのはもう習慣化してしまっていた。





宴の最中、ふと名前の姿が見えなくなった。どこかでまたひっそり一人でいるのだろう。既に出来上がっているお頭に一言置いて、ベックマンは席を立った。
思った通り、宴の輪から少し離れた隅っこの方に名前は居た。空をそっと見上げているその横顔は、何を考えているのか知らないがまるで迷子の子供だ。この海賊団に身を置いて、仲間と呼べる程うち解けても尚。

「…どうだ、名前。最近は」

少しくらいの優しさは必要かと思って、毎回声を掛けてやる自分が居る。

「…上々、です…?」

ゆっくりとこちらを向いた名前は、情けなくへにゃりと笑ってそう言った。大分参っているのだろう。クルー達の軽口を笑ってかわす程度の強かさは身に付けたようだが、実は毎度毎度傷ついているのを知っている。最初の頃は顔を真っ赤にして泣きそうになっていたものだ。

抵抗とばかりに少しだけ張られた虚勢を取り除いてやって、ぽつりぽつりと漏れ出す弱音を聞いてやる。いつもとは違っていたその内容にベックマンは思わず溜息を吐いた。

「……慰めろ、と言われても…巧くお相手できないし」

誰だ、そんなことまで言ったヤツは。後で灸を据えなけりゃならないか。思わず眉間に皺を寄せながら、ベックマンは俯いてしまった名前の頭に手を乗せた。慰めろだなんて、遠回しの冗談であっても言っていいことではない。

島で女に囲まれたりすることもあるが、まだ二十代のベックマンとて若輩者で、女の扱いに手慣れている訳ではない。こういうときに何と言ってやればいいのか柄にも無く悩みながら慰めの言葉を口にする。

「…どんなに頑張ったってできないこたァある。そりゃ俺達だって同じだ。俺はお前さんみたいに歌ったり踊ったりして場を盛り上げたりはできねェ。あんまり思い詰めんな。お頭じゃねェが…もっと楽に生きろ」

「………ベックマンさんに言われても……せっとくりょく、ありません…」

漏れ出た声の弱々しさに笑う。どうやら少しは慰めになったらしい。煙草を取り出してみたが、火を忘れてしまったので銜えるだけに留めてベックマンも少し笑った。

「……ありがとうございました。また、明日から頑張りますね」

「あァ」

そうして夜半過ぎの密会は終わる。決して甘やかしている訳では無い、と誰にとも無く言い訳をしつつ、ベックマンは宴の輪の中へ戻った。名前がいつも必死に笑っていることを知っている。何を言われてもへこたれないよう頑張っていることを知っている。へこたれてもそれを表には出さないよう気を付けていることを知っている。…その必死さには、好感が持てる。それだけの、話。


祥子
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