体力が尽きて溺れかけていた名前をわざわざ海に飛び込んで助けてくれたのは、黒髪の大きな男の人だった。名前はベックマンというらしい。
海賊と自分たちを称した彼らは、当然のように名前を救いあげて負傷していた手や足の治療をしてくれた。
そして今。
「…あ、の……」
渡されたタオルを有り難く体に巻き付けながら、名前は絡みつく視線の中で身を縮こめていた。目の前には真っ赤な髪の男の人。その隣には煙草を銜えた黒髪の人、ベックマンさん。体中濡れているけれどそのままで居るつもりらしい。水も滴るいい男というのはきっとこういう人のことを言うんだろう。
「ん?何だ、どっか痛いとこでもあるか?」
「いえ………え、っと、…助けてくださって、ありがとうございます」
「それさっきも聞いたぞ、名前」
目の前でにかっと笑うこの人は、シャンクスという名前であるらしい。どこかで聞いたことがあると脳みそフル回転で必死に記憶を辿った結果、目の前の彼は確かONE PIECEとかいうマンガの登場人物である筈だった。進んで読んでいた訳ではないからベックマンやヤソップ、ルウといった他の人のことは知らなかったのだけれど、シャンクスの顔には見覚えがある。よくゲームセンターやチラシやポスターやお菓子のパッケージやらで目にした顔だ。だから彼らが海賊であると分かったときも恐怖は湧いてこなかった。随分肝の据わったお嬢さんだな、だなんて笑われたけど、だってシャンクスといえば(多分)良いキャラだった筈だから。
「…シャンクスさん、あの、ONE PIECEってご存じですか」
「ん?あー、海賊王の言ってる大秘宝のことか?ラフテルにある」
「あ、えーと、うーん………じゃあ、マンガってご存じですか」
「マンガ?何だそりゃ、ベックお前知ってるか?」
どうやら知らないらしい。ベックマンも首を横に振っている。まあ確かに自分がマンガのキャラだなんて自覚するはずもないのだけれど。
けれど、もしかしたらマンガの実写映画の撮影とかコスプレしてる人なのかもしれないとほんの少し期待をしたのに。淡い期待はあっさりと打ち砕かれる。どこにもカメラもスタッフもいないのだからもとより無理のある期待ではあったけれど。
「あぁ………」
思わず遠い目をしてくらりとよろめきかけた名前の背を支えたのはベックマンだった。
「っと、大丈夫か、お嬢さん」
すみませんちょっとこの世界に絶望してました、なんて言ったら変な目を向けられるのは分かっていたからどうにか軽く肯くことで視線から逃れる。
「はは、ずっと泳いでたから疲れてんだろ。休んでけよ。な、名前」
「…すみません、そうします」
「じゃあベック、後は任せたぞ。拾ったモンは拾ったやつが面倒見るもんだよな?」
にやりと笑ったシャンクスの言葉にベックマンは小さな小さな溜息を吐いた。何だかよく分からないけれど面倒ごとを押し付けられたらしい。面倒ごとって何だろう、ああ私のことだ。
「あのっ…、私、次の島まで、その、甲板の片隅でも貸して頂けたら結構ですから…!」
できれば他人の手を煩わせたくないと考えてしまうのは未だ自分が日本人であるという感覚が抜けきっていないせいだろうか。自分を助けてしまったが為に面倒を追わせてしまうなんてとんでもない。
「いやいや良いって。こんな男所帯じゃあ色々大変だろうしな。こいつに任せときゃ安心だから」
「…俺が責任を持つことに関しちゃ構わねェが、何であんたが請け合うんだ、お頭」
「だっはっは!」
じとりと睨まれても一団のお頭である彼は笑うばかりであった。
ベックマンさんは本当にそれでいいんだろうかと思って彼の方を窺うと、私の視線に気付いたベックマンさんは軽く肩をすくめて「構やしねェよ」とだけ言った。どうやら当面この人にお世話になるらしい。
「すみません、あの…よろしくお願いします」
「ああ」
三つ指でもついて頭を下げたいところだけど、船の上だったので深くお辞儀をしておくに留めた。
もとより転生なんていうあり得ない体験をしているのだ、今更あり得ないことなんて気にしない。
(ああでもやっぱり気になる…何で私こんなところにいるんだろう)
祥子