「名前ちゃん」

「………………………どうぞお帰りください、あとちゃん付け止めてください」

休暇。それも、長期の。
そんなものは滅多にあるものではないのだ。この長い休みを取る為に一体名前がどれだけのハードワークを重ねたと思っているのだろうか。そんな貴重な休みにわざわざ上司の顔など見たくもないというのに。

「まあまあそんなこと言わずにさ」

「嫌です私は今から一ヶ月ほど冬眠するんですどっか行ってくださいっていうかまじで来んなよ何なんだ暇人なのか」

「ちょ、名前ちゃん、敬語敬語。っていうか今は夏、」

「は?」

絶対零度の声に流石の氷結人間も少しばかり黙り込むが、大して気にした様子もなく、数秒後にはそのまま上がり込んできた。誰も入っていいなんて言ってないんですけど。ああもう、この人に家の場所を知られてしまったのは間違いだった。結局この前も名前が仕事を終えて帰宅するまで家に居座っていたくらいの人だ、そりゃあ勝手に上がってくるに決まっている。

パジャマのまま玄関へ赴き、客を追い返そうとした名前の目論みは失敗に終わった。鍵を開けてもいないのに何故か扉は開き(どうやらヒエヒエの実の能力を使ったらしい、鍵穴が凍り付いている)、うざったい男が上がり込んできたのだ。

「何勝手に土足で上がり込んでるんですか、この休暇は室内は土足厳禁です」

「あらら、そうなの」

「ああ、別に脱がなくて良いのでどうぞそのままお引き取りください」

「つれないねェ。俺と名前ちゃんの仲じゃないの」

その言葉に、名前はひとつ溜息を零して、色々なことを諦めた。クザンにこのまま帰ってもらうことだとか、迷惑な上司にお引き取り頂くこととか、海軍と名の付くもの一切との関わりを絶つことだとかを。

「あれ、否定しないんだ」

「まあ、同じベッドで一晩を共にしたことは事実ですから?」

「………ああ、そう」

自分が今まさに他人に迷惑を掛けまくっているくせにそんな呆れたような顔をしないで欲しい。呆れたいのはこっちだ。

「で、聞きたいことがあるんだけど」

勧めるまでも無くクザンは勝手に座ってしまったので、仕方なく、本当にものすごく不本意ではあるが仕方なく、名前はコーヒーを淹れた。

心当たりは無いわけでもなかった。例えば、本当は長期の休暇願いでは無く辞表をセンゴクに提出したことだとか、あるいは二段階の昇級を断ったことだとか。

コーヒーを二人分淹れ、テーブルを挟んで向かいの席に名前も腰掛ける。探るように視線が交わって、空気が少しばかり張りつめる。先に口を開いたのは、クザンだった。

「……………名前ちゃんってさ、男に興味無いの?」

「……………は?」

何を、言って、いるのだ。この男は。

「…それを今聞くんですか?わざわざ私の休暇の初日を潰してまで聞くことですか?ふざけてるんですか?帰ります?」

「あーうそうそごめん、本題はあれだよ、ほら、あれ」

相も変わらずやる気の無い声を出す上司を冷ややかな目で見ながら、名前はコーヒーを啜った。もちろんいつものように先回りして出てこない言葉を導き出してやるなんてことはしない。むしろそのまま帰れ。

「えーと、あー、何だっけな、ほら」

待っている間にコーヒーを飲み干してしまったので、新しく注ぎ直す。自分の分だけ。

「あー、あれだ。名前、海軍辞めんの?センゴクさんに辞表出したらしいじゃない」

「受理されなかったので辞められません。一ヶ月後には復帰します」

「理由は」

「辞めたくなったからです」

「…受理されなかった理由は」

「トリトリの実を食べてしまったので。ああ、それとセンゴク元帥が、“一人じゃ手に負えん、わし一人にやらせる気か”との事でしたので」

「………ちなみに何を」

「問題児の世話ですよ」

まるで用意していたかのようにすらすらと淀みなく紡がれる答えに、言葉を詰まらせたのはクザンの方だった。もう少し隠すとか狼狽えるとかするかと思っていたのに。

「………何で、辞めたくなったの?」

「………うるさい上司からのセクハラが最近酷いので」

探るような視線が再び交わる。クザンはどうやら全く納得していない様子であったが、名前とてそう簡単に漏らすつもりもない。

「じゃあ、名前ちゃんは、」

「クザン大将、この件に関して今日これ以上お話することもありません。素面でうっかり口を割っちゃうような可愛げも生憎持ち合わせておりませんので、どうぞお引き取りください。どうしてもと言うのであれば、今度良い酒でも飲みながらお話したら、良い気分になってうっかり酒の席での戯れ言でも漏らすかもしれませんが」

まあ、どちらにせよ今日は帰れ私は寝る。
とまあそのようなことをやんわりと丁寧な口調で伝えると、クザンはがしがしと頭を掻きながらもその足を玄関へと向けてくれた。そうだそのまま帰れ。

「名前ちゃん」

「ちゃん付けしないでください」

玄関で靴を履き終えたクザンに、立ち上がりざまに手を引かれる。腕を組んで立っていた名前はバランスを崩し、クザンの腕の中へ収まった。

「名前、」

ほぼ耳元で、耳に吹き込むように囁かれた名前。低く甘い響きにぞわりとどこかが粟立ったのは、不快感からか、それとも。

「今までイイ男に巡り会ってこなかったんじゃないの?―――おれが”男”を教えてやろうか」

「――――ッ!!…この…ッ!!」

一発殴ろうとしたときには既にクザンの姿は扉の外へ消えており、後にはぱたんと扉の閉じる音だけが虚しく響いた。

「…差別発言だ…!」

辛うじて上司の前で罵詈雑言をまき散らすことだけは回避できたが、今度会ったらただでは済まさない、名前は固く心に誓った。

何たる屈辱、そして許し難い侮辱だろう。同性愛者であることで今まで後悔したことは無いが、こういう心ない言葉を掛けられると、例えようもない感情に襲われる。一体、私の何を知って、どういう権利があって、そんな言葉を吐けるというのか。

「クザン大将なんか、だいっきらいだ………」

思わずうずくまって毒づいた言葉は、本音というにはあまりにも弱々しすぎて、思わず溜息が漏れた。今までならば名前に向かってそんな事を言った人間とは即さよなら、最低限の言葉しか交わさず、無関心をつらぬいてきたというのに――――

何てことだ、あんなに酷い言葉を掛けられたのに、それでもなお私はクザン大将を嫌いになれないらしい。


祥子
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