文官の名前にも、どうしてもついて行かなければいけない遠征というものはある。別にクザンから逃げているとかじゃない。まあ遠征なんて滅多にある訳でも無いのだが、そういう時に限ってどうしてこんなことに。
「おお!名前!お前海軍だったのか」
「………火拳の、エースさん…」
「何だよ、他人行儀な。おれたち友だちだろ?」
どういうことだ。この島には海賊がいるなんて情報は聞いてない。たまたま補給に立ち寄った島で、何でよりにもよってこの人に会わなければならないのだろう。
いや、それよりも。
「…単独行動、ですか…?」
「ん?いや、オヤジたちはひとつ向こうの島に居るぜ。補給にってんでおれがストライカーで買い出しに来たんだ」
その言葉にほっとした。あの時はよく思い出せなかったからあっさりと離れてきてしまったが、そういえばエースがいるということは原作はもう始まっているかもしれないのだ。もう殆ど薄れていた記憶を辿った名前は、エースとサッチと白ひげ海賊団に何が起こるのかを思い出していた。もし、もうサッチが死んで黒ひげを追っているところだったらどうしようと少し焦ってしまった。
「…それ言っちゃだめじゃないですかエースさん。私一応海軍なんですけど」
休暇を取っていたあの時と違って名前は海軍の制服を身につけている。出会い頭にエースだって自分で言っていたはずだ。名前は、海軍だ。
「っていうか一応私の方の仲間もいるんで、あんまりこう仲良くされると困るんですが…。密通者扱いされるのはごめんですよ」
「何だ、おれを捕まえるのか?」
「…まあ、友人のマルコさんのご家族ですからねえ。今のところは見逃しましょう」
「何だよ、おれは友だちじゃないって?」
「さあ、どうでしょう」
偉ぶって言ってはみたものの、エースに本気で反撃などされたら命が危ないのは名前の方だ。幸い今回の遠征を率いているのは少将クラスの将官であるし、見逃させてもらおう。
「でも流石に同僚とか部下の前では捕まえますよ。その時は適当に逃げてくださいね」
「…お前おもしれェやつだったのか、名前」
エースは真顔でそんなことを聞いた。いや、本人に聞かれても困る。そしてエースさん、あなたの中の面白いの基準は何ですか。
「ところでエースさんは今、二番隊の隊長だったりします?」
俄にエースの表情が厳しいものへと変わった。…しまった、質問を間違えたか。
「……………なんだ、探っても情報はやんねェぞ」
「大した情報じゃないでしょう、それくらい。どうなんです?」
「ああ、大した情報じゃあない。その話がまだ相談に上ってるだけの内輪の話じゃ無けりゃな。…だが、隊長にって話は確かに上がってる。お前、何で知ってんだ?」
どう答えたものだろうかと思案しつつ名前が口を開き掛けた時、後ろの方から声が掛かった。ちらりとMARINEの文字が見えた瞬間に、名前は浅く頭に乗っかっていただけだったエースのテンガロンハットを勢いよく深く被らせ、壁にその背中を押し付けて入れ墨を隠した。うお、とか小さく声が漏れるものの、遠くから走ってくる海兵にエースも気付いたのだろう、大人しく合わせてくれた。
「名前補佐官!島の酒場で白ひげ海賊団の一味、火拳のエースの目撃情報が上がったとのことです!至急招集をとの事です!」
「分かりました、ありがとう。すぐ向かいます」
「はっ。…あの、そちらの方は…?」
「ああ、先程立ちくらみをしていたようなので介抱していただけの一般人です。…もう大丈夫ですね?どうぞ、…お気を付けて」
労るようにその方を軽く支えてやってからその場にエースを座らせる。こくこくと肯いたエースに何の疑問も持たず、若い海兵は来た道を戻って行った。…常々思うのだが、この世界の住人はもう少し人を疑った方が良いと思う。何でも信じ込むのだから呆れたものだ。一体どれだけ素直なのか。まあそれで助かったけど。
「ゆっくりお話している暇は無さそうですね。…エースさん」
「助かったぜ、名前。…おう、何だ?」
「今から話すことを、…信じなくても構いませんが、絶対に実行すると約束してください」
「…家族を傷つけるようなことは、おれァしねェぞ」
「絶対に傷つけるようなことはさせません。お願いします、イエスと言ってください」
先に約束を取り付けてしまえば、義理堅い海賊のことだから絶対に守り通してくれるだろう。名前は必死に懇願した。頭も下げた。エースはしばらく見定めるように名前を見詰めていたが、ややあってにかりと笑って肯いてくれた。
「…分かった」
「ありがとうございます。…これから先、サッチさんと黒ひ…マーシャル・D・ティーチに気を配ってください。目を離さないでください」
エースは怪訝そうな顔をしたが、構わずに続ける。わずかに険しくなった表情は、忘れてしまいそうになるけれど確かに海賊のそれである。私は一体何をしているんだろうとも思ったけれど、もう知り合ってしまった。友だちになってしまった。何もせずに見過ごすことはできない。
「それだけで良いんです。家族でも無い私が何を、と思うでしょうが、少しの間…多分一年もありません。それだけの間、どうぞ私のお願いを聞いてください。何も起こらなければそれで良いんです。そのときは私の首でも何でも持ってってくれて構いません。だからどうかお願いします」
「…あー…頭上げろよ、名前」
海軍が海賊に頭下げてどうすんだ、とエースは名前の顔を上げさせた。
「約束は守る。けど、ひとつ聞かせてくれ。…家族でもねェお前がそうまで言う理由は何だ?」
「………マルコさんの、…あと、エースさんの、悲しい顔が見たくないからです」
それを聞いたエースは今度こそ太陽みたいに笑って見せて、なら何も問題はねェとばかりに名前の願いを聞き入れた。マルコが友と認めたやつだ、それだけで信用に値するとエースはそう言った。
「約束は守る。…もう行った方がいいんじゃねェのか?」
「あ、そうでした。…それでは、私はこれで」
そういえば招集が掛かっていたのだった。名前は慌てて一礼すると踵を返した。その背中に、エースの声が掛かった。
「おう。…次からはエースでいいぜ!」
さん付けなんてこそばゆい、そう言って笑ったエースの顔はやはり太陽のようにまぶしかった。
大丈夫、きっとこれで少しくらいは何かが変わる。名前は振り返らぬまま少しだけ口元に笑みを浮かべて、先を急いだ。
祥子