「申し訳ありません、元帥!」
90度近く角度を付けて頭を下げた名前に、センゴクは苦虫を噛み潰したような表情で顔を上げろ、と短く言った。
「気に病むな。お前は悪くない。どうせクザンが言いくるめたのだろう」
「あららら、センゴクさんも手厳しい」
「うるさい!悪魔の実と分かっていながら食べさせるとは何事だ!大体お前が着いていながら――――」
やーいお説教されてやんの。これぞ日頃の行いの結果というものだ。クザンの前とは違ってセンゴクの前では真面目で優秀な部下なのだ、名前は。
付き合って隣で説教を聞いていた名前は、クザンが寝ていることに気が付いた。全く何て人だ。
*
「命の危機とかに遭えば使えるようになるんじゃねェの、多分」
「多分て…相変わらずいい加減な」
悪魔の実と思わしきくそ不味い実を食べてから数日。体には何の変化も無い。もしかして偽物だったんじゃないの、とか言うクザンに海に落とされたところ溺れかけたので本物ではあるらしい。
「あー、ほら、落ちてもアレだよ、あー…あー、ほら」
「助けてくださるんですね分かりました」
名前自身面倒くさがりでものぐさなところはあるが、流石に言語活動くらいはきちんとするというのに。限りなく棒読みに名前が補足すると、クザンは面倒そうにそれだ、と言った。
「……つっても、こっから飛び降りろっていうのはちょっと…鬼ですよ」
「いやほら、流石に命の危機が迫ればできるようになるでしょ。飛べるかもしれないし」
「それ私が鳥類って前提じゃないですか、そうとも限らないのに」
「あーまァ何とかなるって」
ならねぇよ、とか突っ込みをすることは許されるのだろうか。一応この人も偉い人な訳だけど。長いものには巻かれる主義の名前は取り敢えず曖昧に肯いた。
「じゃ、行ってみようか」
「え、あのまだ心の準備、が、」
終わってないと言い終わる前に心なしかいつもより何故か生き生きした顔をしたクザンに背中をとん、と落とされた。
ちなみに名前が居たのは海に面した防壁の上で、地上までの距離は約五十メートルといったところである。一応死ぬようなことにはならないだろうと分かってはいてもやはりフリーフォールは気持ちのいいものではない。どうにか頭を空っぽにして本能に従ってみるものの、特に何も起こらない。
失敗か。そろそろクザンさん助けてくれないかな、なんて思って上を見上げる。クザンは両腕を組んでこちらを見下ろすばかりで、動く様子はない。嫌な予感がした。まさか、最初から助けるつもり無かったんじゃ…!
そろそろ海面は眼前に迫っている。海水の匂いを鼻の奥に感じるほど近付いて、本気で命の危険を感じて頭の中が真っ白になったとき、そのまま名前の体は浮遊した。空間認識に手間取って、上も下も青くて、あれどっちが空でどっちが海だっけなんて間抜けなことを考えていると白い壁に追突した。そのままぽすんと受け止められる。
「あららら〜、これまた可愛い格好じゃないの」
自分をすっぽりと覆う肌色の冷たいものが何であるのか、また自分がぶつかった白い壁が何であるのかを把握したとき名前は戦慄した。
クザンの手と、クザンのベストだ。いつの間に降りてきてたんだこの人。っていうか。
「……っ!?……!!」
叫ぼうにも囀りのような声しか出ない。何でこの人はこんなに大きくなっているんだ…!
「…言っとくけど名前ちゃん、俺が巨大化したんじゃなくてあんたがちっちゃくなって
んのよ?」
名前の心でも読んだかのようにクザンが言う。その台詞に名前は再び戦慄した。何で自分はクザンの掌よりも小さくなっているんだ。というかクザンの掌が冷たすぎて凍えそうだ。
「何て鳥だっけねェ、あー、…アレだ」
そのままの姿ではクザンの言葉を補ってやることすらできない。そもそも自分の姿を確認することすらできないが、クザンの言葉からするに小鳥にでもなっているらしい。雀とかだろうか。しかし辛うじて視認できる自分の羽毛は雪のように真っ白であった。
まさか本当に鳥類だったとは。というか人間への戻り方を教えてください。
為す術も無いまま、名前はひたすらクザンの掌の中で凍えそうになりながら身を震わせていた。
*
「嘘を吐きましたね」
「…いやいやちゃんと助けるつもりだったって」
「じゃあ何故目を逸らすんですか」
「あー…それは、アレだ、ほら」
名前はじとりとクザンを睨んだまま溜息を吐いた。アレってどれだ。
「ちゃんと連れて帰ったげたじゃないの」
「だからって小鳥を手で包んで運ぶとは何事ですか。いいですか、小鳥は人間より体温が高いんです。しかもあなた人間より体温低いんですよ。凍死するかと思いましたよ」
「人間よりって、俺も人間なんだけど」
「万国びっくり人間ショーに出られるような人間は人間じゃありません」
ああでもこれて晴れて私も万国びっくり人間ショーの仲間入りなのかと思うと名前の心中はずしんと重くなった。鳥になれる人間も十分人間じゃない。現代に戻ったら解剖されるな、等ともう久しく思い出すことのなかった自分の生まれた世界を思って名前は少し遠い目をした。
「じゃあ飛んで行けば良かったじゃない」
「いきなりそんな能力使いこなせませんよ」
そんな言い訳をしながらも、名前自身実はどうしてクザンの掌から離れることができなかったのかは分かっていなかった。ただ何となくどうしようもなく離れがたかったのだ。
それが所謂ひな鳥の刷り込みという奴であると知るのはもう少し後のことである。
祥子