「名前の訓練結果ですが…立体機動と対人格闘の腕は申し分無いですね。新卒の訓練兵よりよっぽど筋がいい。ただ…技巧や馬術はどうも」
「怪我の様子は」
「全く影響が無いようです。その…怪我には、慣れているようですね」
その言葉を受けて、エルヴィンとリヴァイは少し離れたところで馬に乗ろうと格闘している名前の姿を見詰めた。確かにお世辞にも馬を乗りこなせているとは言えない。だがその仕草に傷を庇う様子も無かった。
「あれは、根っから誰かに使われる側の人間なのだろうな。誰かを従えることに慣れていないから、馬を従えることもできない」
エルヴィンが言った。いつだったかの誰かの台詞だ。人間には二種類居る。支配する人間と、支配される人間と。それを否定する根拠をリヴァイは生憎持ち合わせていなかったし、否定するつもりもなかった。ただ、己もどちらかというと支配される側の人間であることを思うと少し憂鬱な心地がした。
「…道理でてめぇは馬術が抜群な訳だ」
「お前もそうだろう、リヴァイ」
薄く笑いながらリヴァイを見詰める瞳の中でエルヴィンが何を考えているのかは分からない。ただ、エルヴィンが支配する側の人間であることだけは理解できた。
「技巧はともかく…馬術ができないのは死活問題だ。次…いや、その次の遠征からは彼女も連れて行く。それまでにどうにか叩き込んでおけ」
その台詞に、二人を案内していた名前付きの兵士が慌てたように返事と敬礼を返したが、今の台詞は己に言われたものであるとリヴァイは理解した。いつの間にか、命令に関してはこんなにもこの男が何を求めているのかを理解できるようになっている自分にまた少し溜息が出た。嫌な訳ではない。…いつか名前もそうなるだろうかと思うと、その日が楽しみなような、そうでないような心地がした。手足のように使える駒は多い方が良いと分かってはいるが、より有能な手があればこの男が何の躊躇いもなくそちらを重用するのは目に見えていた。
「…俺が見る。相手を代われ」
「はっ。リヴァイ兵長直々に、ですか」
「…それでいいだろう、エルヴィン」
「ああ」
相変わらず名前は馬に振り落とされては地に転がっていた。…まあ、あいつに越される日など、死が訪れる日より先には来るまいとリヴァイは考えてもう一度息を吐いた。
*
「…手綱を緩めるな。馬に舐められる」
「………リヴァイ、…兵長」
名前を呼んだ後、思い出して役職名を付け足す。呼び方で何がそんなに変わるのか知らないが、先日エルヴィンを呼び捨てにした際、言葉遣い…特に、一人称と二人称に関して厳しく教育された後である。エルヴィンが相手であれば、言うことに従った時は満足そうな笑みでこちらを見下ろしてくるものだが、リヴァイにはそれも無く、感情の読めない瞳で名前を見詰めてくるばかりだった。彼が相手であれば、腸が煮えくりかえるような思いをすることも少なかった。
「毅然とした態度を保て。…馬にまで舐められて惨めとは思わねぇか」
どさりと馬の背から落ちた名前を見下ろすようにリヴァイが言った。身長差は大して無いが、名前の方が僅かに低い。座っている名前と立っているリヴァイとでは高低差もそれなりにあった。見下ろされることに嫌悪を感じつつも、自分より実際に強者であるリヴァイが相手なので、素直に言葉を受ける。自分より強い者、自分を負かした者には従う、それは名前の中のルールだった。
「………具体的に、何をしろと」
「知るか。自分でどうにかしろ」
あんまりだ。勝手に連れてきた癖に、したくもない努力を自分で勝手にしろとは。不満が顔に出る前にどうにか俯いて表情を隠した名前の腰に、何の前触れもなくリヴァイの手が回った。
「…っ!」
反射で反撃しそうになるのをどうにか堪える。地下街にいた頃の癖で振り払おうとしたら嫌というほどの教育を受けた。名前の容姿が子供であるからかなんなのか、時々頭を撫でてくる輩がいるが、そういう輩を殴り飛ばした後にエルヴィンから倍以上の拳をもらった。曰く、ここには名前を傷つけるような者はいない。反撃を禁ずるとのこと。しかし不穏な噂や視線を受けたのは一度や二度では無いし、先輩からの洗礼と称して理不尽な暴力を受けたこともある。名前としては正当防衛のつもりでも、理不尽なことに叱責を受けるのは名前だけだった。
まあそれはともかく、名前がリヴァイの手を振り払いそうになる衝動をどうにか押さえ込み、されるがままになっていると、リヴァイの手はそのまま名前を抱き上げて馬の背に乗せた。何をするつもりかと思いつつもただされるがまま待っていると、リヴァイは名前に手綱を握らせ、馬の腹を思い切り蹴った。そうなれば当然訓練されている馬は思い切り走り出す。振り落とされる間すらなく、馬はそれなりの速度で駆けだした。
「な…っ」
「喋るな。舌を噛むぞ」
即座に自身も馬に乗って追走してきたリヴァイがそう声を掛ける。名前は正直振り落とされないようにするので精一杯だった。
「死にたくないのなら技を磨け。乗りこなせなければ死ぬだけだ」
淡々とした言葉に、あんたたちが勝手に連れてきたんだろうと反論することはもうしない。肯いて、名前は手綱を握りしめた。
祥子