今日の訓練も山場を超えて、残すところは座学だけ。暑さに滲み出る汗を拭きながらぼーっとしていたら思っていたよりも時間が経っていて、私は慌てて座学教室に走った。ガラリと勢いよく扉を開けて教室に転がり込む。皆の視線は感じたけれど、教官はまだ来ていないみたいでほっと息を吐く。
ギリギリに来たせいかミカサの隣は空いていない。さて、どうしたものか。
「ここ、空いてるよ」
声を掛けてくれたのは一番後ろの席に座っていた二人組で、名前は確か、マルコとジャン。あまり話したことはないけどずっと立っているわけにもいかなくて、私は失礼しますと一言だけかけてマルコの隣に腰掛けた。
立体機動の訓練の後の座学は疲れがたまっているせいか、よく居眠りをしてしまう。座学の教官もキース教官に比べると優しいし、つい気が緩んでしまうのだ。それは今日も同じで、必死に目を擦っても瞼はだんだんと落ちてくる。一番後ろの席だからきっとバレない。私は眠気に逆らわずに静かに目を閉じた。
心がぽかぽかとする。この感情を、私は知っている。
解散式の夜とは思えないほど、食堂は随分と騒がしい。もっとしんみりとした空気になると思っていた私はどこか居心地の悪さを感じていた。今日で最後。みんなにとっては厳しい訓練にさよならできるからとても良い日なんだろう。でも私は、彼と離れるのが悲しかった。10番以内に入れなかった私は憲兵団にはいけない。もともとエレンたちと一緒に調査兵団に入ると決めていたけれど、やっぱり寂しい。
“名前、そんなに泣かないで”
あやすように頭を撫でてくれるけど、私の涙は止まらない。周りから冷やかす声が聞こえるけど、やっぱり止まらない。あなたを困らせることは分かっているし、最後くらい笑顔で別れたいと思っている。でもそれができるほど私は大人じゃなくて、自分でも情けなく思う。
“名前、約束しよう”
優しく耳元で囁いてくれるのは今までと変わらない。それが嬉しくもあって、悲しくもあった。それでも彼と向き合わなければ、そう思って私はぐしゃぐしゃの顔をあげた。
“僕たちはこれからもずっと―――”
「名前」
突然肩をゆすられて、私ははっと目を覚ました。皆が私を見ている。隣を見るとマルコが困ったような顔をしていた。
「お前、また居眠りしていただろう」
遠くに見える教官が私に向かって大きな声で言った。そっか、今は座学の講義中で、私は居眠りをしてて…。
「す、すみませんっ」
慌てて立ち上がった頭を下げる。教官は許してくれたけど、皆がクスクス笑っていて恥ずかしい。おずおずと座って顔を隠していたら、マルコがちょんちょんと私の肩をつついた。
「ごめん。もう少し早く起こせば良かった」
「居眠りしてた私が悪いんだし…」
マルコと話しながらも、さっきみた夢が頭をチラつく。あの人、前にも夢でみた、巨人に食べられた人だった気がする。もう少しで顔が見えたのに。どうして私は泣いていたんだろう。
どれだけ思い出そうとしても頭がぼーっとして思い出せない。私はあの人を知っている気がするのに、誰の顔を見てもピンとこない。やっぱりあの人は夢の中の存在で、本当はいないのかな。
「名前」
声を潜ませて、マルコは私を呼んだ。マルコの隣ではジャンが私を睨むように見ている。ジャンはエレンのことを悪く言っているし、私も嫌われているんだろうか。
「え、なに?」
「名前はいつもミカサたちと一緒にご飯を食べているだろ?それで、もしよければなんだけど、今日僕たちも一緒に食べていいかな」
「別にいいけど…どうして?」
私がそう聞くと、マルコは困ったように頬をかいた。ジャンはさっきよりも目を釣り上げて私を見ている。なんで私たちとご飯が食べたいのか分からないけど、なんだか聞いてはいけない気がした。ジャンに圧倒されて、なんでもないと目を逸らす。マルコはありがとうと言うと、何もなかったかのように再び黒板の方を向いた。
私も黒板の方を向いて、遅れを取り戻すために必死で手を動かした。教官の声に耳を傾けながら、時折夢で見た景色が思い浮かぶ。あそこはたぶん食堂だった。食事はいつもより少し豪華で、何かのお祝いだったんだろう。何の日かは分からない。私は悲しくて仕方がなかった。あんなに泣くなんて、いつぶりだろう。
“僕たちはこれからもずっと―――”
最後に言っていたあの言葉の先が気になって、あとでアルミンに聞いてみようと私はノートの隅にあの言葉をそっと取っておいた。
愛子