くぁ、とあくびを漏らすと、足下の方に居た見張りの人達がびくりと動いた。大分噛み殺したつもりだったけど、警戒させてしまったらしい。
「………ねむい」
ほんの小さな声で呟くとまた下にいる人達がびくっと反応して針をこちらに向けてきた。うかうかあくびも独り言も漏らせない。まあこの大きさの違いなら当然なのかもしれないけど。
それでもまたあくびが出て来てしまって、私はうっすら涙目になりながらも何とかそれをこらえていた。こんなに眠いのは、昨日の夜どうしてもその……人間の生理現象ともいうアレの欲求が抑えきれなかったからだ。
見られるのも嫌だったしこっそり行って帰ってこようとほんの軽い気持ちでいたのだが、どうやら大事になってしまっていたらしく、大勢の人にまた囲まれるわ、はんじに泣き付かれるわで大変だった。ちなみにりばいにも絶対蹴られると思ったのに意外にも何もされなかった。
(私が何しに行ったのか分かっちゃったのかな………まさか見られてないよね?いや…りばいはきっと紳士だから目を逸らしてくれていたはずだ)
用を足して一息吐き、後ろを振り向いた瞬間壁の上に仁王立ちするりばいを見つけたときの私の心境を想像してほしい。いくら大きさが違うとはいえ、同じ(たぶん同じ)人間なのだ。しかも私は仮にもうら若き乙女で、向こうは年齢はよく分からないけれど男。
りばいと紳士という言葉を結びつけることはどうしてもできなかったものの、精神衛生上よくないので、りばいはきっと見てはいないはずだと思いこんでおくことにした。
“おいデカブ………名前よ”
「………!あ、りばいか…ちっちゃくて気付かなかった」
呼ばれた気がして下を見下ろすと、りばいがこっちへ向かっているところだった。体が小さい分存在感も声も小さくて、気付くのが遅れてしまった。りばいは相変わらず怒っているんだか何だかよく分からない態度で、名前の服の襟のあたりに針を刺してひゅんっ、と上ってきた。慌てて手を差し出すとすばらしい身体能力でそのまま一回転して勢いを殺して見事に掌の上に着地した。他の人もみんなこの針と糸で飛んではいるけれど、この人がいちばん凄い気がする。
「どうかしました?」
“にやにや笑ってんじゃねぇ、気色悪ィ。それより、てめぇに言っておくことがある”
構ってもらえることが嬉しくてなるべく笑顔で問い掛けたのに、何故か鼻先に軽く蹴りを入れられた。最初の頃は顔を土足で蹴られることにものすごく抵抗があったが、りばいの靴先は常に清潔だ。まさか私を蹴ってもいいように磨いている訳ではないだろうが、まあそれであまり気にならなくなった。一種のスキンシップだ。
それにしても、ここのひとたちは私の笑顔が嫌いらしい。……まあ、小鬼の表情を見ていればそれは分かる。あのイキモノたちは笑いながら人を喰らう。気を付けよう、と表情を引き締めた。
“…今度は仏頂面か。一体てめぇは何を考えてやがる?…いや、まあいい。それより、いいか、クソ眼鏡…ハンジにはのこのこついて行くなよ”
「…?」
“自分の身は自分で守れ――――言っても分からねぇか。チッ、馬鹿な真似をした”
真剣な表情で何かを言っていたりばいは、途中で苛立たしげに、諦めたように顔をそらした。言葉は分からなくても思いは分かる。言っていることが伝わらなくて、理解できなくて、もどかしく感じる気持ち。その気持ちは名前にも覚えがあった。
「…りばい…」
“あァ?”
「りばい、りばい」
“………何だ、名前よ”
意図を理解してくれたりばいに嬉しくなって笑ってしまった。慌てて顔を引き締めたけれど。
会話はできない。意思を伝え合うこともできない。ただお互いの名前を呼び合うだけの行為。それでもコミュニケーションが成立していると思って嬉しくなってしまうのは私だけだろうか。
“リヴァイ、これから会議だよ――って、あーっ!!リヴァイ何ひとりだけ 名前といちゃいちゃしてんのさ!”
“うるせえクソ眼鏡。最低限の忠告をしてやっていただけだ。てめぇは無闇にこいつに近付くんじゃねぇ”
“何それ独占宣言?名前は私のものだからね!”
また一人私の名前を呼ぶ人の声がして、私はばれないように少し上を向いてそっと笑った。
私を呼ぶ声のある限り
(私もあなたの名前を呼ぶよ)
祥子