学校もクラスも嫌いじゃないけれど、時々どうしても体が動いてくれない時がある。例えば青空があまりにも爽やかな午後一番目の授業。

どうして勉強をしなくちゃいけないんだろうとか、どうして学校に来なくちゃいけないんだろうとか、上辺だけの人間関係を作るのはもううんざりだとかいう、無意味で不毛な思考に耽るのも大抵はそんな時だった。

「…戻りたくないな」

本のページをぱらぱらと捲りながら呟いた言葉は、恐らく誰にも聞かれていないはずだった。ここは校舎の最上階で、音楽室と図書室しかないような静かで人のいない場所だから。

「…苗字さん?」

それなのに背後から声が聞こえてきたものだから、少しどきりとした。放課後ならともかく昼休みに図書室に来る生徒なんて、今まで滅多に見たことはなかったのに。

後ろにいたのは、同じクラスのアルミン・アルレルトだった。

「……アルミン?」

いつもクラスで目立っているエレンがそう呼んでいるので、名前も思わず名前を呼び捨ててしまった。アルミンは気にした様子も無くこちらの方へ近付いてきた。

「ああ、やっぱり苗字さんだ。こんな所で何してるの?」

「そっちこそ」

「僕は図書室に本を返しに行ってたんだ。………もう予鈴鳴るよ?」

彼とはあまり仲が良い方では無い。もしかしたら喋るのもこれが初めてかもしれなかった。今はあまり楽しくお喋りをしたい気分ではなかったからきっと随分素っ気ない喋り方をしてしまったけれど、アルミンは気を悪くした様子も無く、気遣わしげな顔で私の顔を覗き込んできた。

彼の台詞の通り、廊下に午後の授業の予鈴が鳴り響いた。もう昼休みは終わりだ。

それでも、クラスに戻る気にはなれなかった。

「…いいの」

「いいのって……授業、サボるってこと?」

「どうでもいいでしょ、そんなの」

私は立ち上がりざまにそう言い捨てて、アルミンの横を通り過ぎた。教室は下の階だけど、階段は素通りして廊下の端へ向かう。屋上へと続く非常階段まで行けば教師に見付かることは滅多に無い。屋上には鍵が掛かっているから、誰も訪れないと思っているのだ。一人静かに読書をするには絶好の場所だった。

アルミンは優等生だから、こんな不良な私のことなど放っておいて直ぐ教室に戻るに違いない。そしてエレンやジャンみたいな、“上手くやれている”人達と一緒に午後の学生生活だって上手くやるに違いないのだ。

「苗字さん、」

「………何でついてくるの?早くしないと授業遅れるよ」

「たまには良いよ、授業なんか出なくたって」

思わずアルミンの方を振り向いてしまった。そこにいるのはもしかしたら他の人間なんじゃないかとすら思ったけれど、やっぱりアルミンだった。

思わずまじまじと見つめていると、彼は可笑しそうに噴き出した。

「苗字さんのそんな顔、初めて見た。…何でそんなにびっくりしてるの?」

「だって、アルミン…」

その時授業のチャイムが鳴った。少しだけ胃の辺りが重くなるのを感じる。

―――どうして私はみんなと同じようにやれないのだろう。授業に出るのなんて、みんな当たり前のようにこなしているのに。

ぎゅっと拳を握る。授業に出るのが嫌になる度に抱いてしまう罪悪感に、体が強ばっていくのが分かった。

「苗字さん?」

「………アルミンでも、授業サボったりなんてするんだね」

アルミンは優等生だと思ってた、と呟くと、アルミンは困ったような苦笑を見せた。

「僕だって、たまには嫌になることくらいあるよ」

アルミンのその言葉に、少しだけ体の力が抜けた。

授業は出なくちゃいけないものだとずっと思っていたけれど、たまには嫌になっても良いのかもしれない。嫌になってしまう自分はいけない子だと思わなくても良いのかもしれない。

ふ、と息を吐いて階段に座り込むと、当然のようにアルミンもその隣に座り込んだ。

「僕は、苗字さんこそ優等生だと思ってたけど」

「…は?何それ、止めてよ。私が優等生なんてありえない」

「だって提出物も全部きっちり出してるし、休み時間ぎりぎりまでどこかに行ってる割には、皆出席だし」

「な、何でそんなこと知ってるの?」

アルミンは少し狡そうな、悪戯っぽい顔で笑った。そんな顔をするアルミンを見るのは初めてだと思った。それもそのはずだ。喋ること自体初めてなのだから。

「僕は表面は優等生だから、先生によく頼まれるんだ。雑用とか。そしたらこういう時サボっても勝手に保健室だと思いこんでくれるしね」

「そんな……」

何となく、裏切られたような気持ちになった。今まで必死になって、胃の痛い思いも我慢して授業に出ていた私の努力は何だったのだろう。

「だから苗字さんのことはずっと気になってたんだ。前に一度ここにいるの見たから、図書室に通えば会えるかと思ってたんだけど」

言葉も出なかった。サボりたいとは毎日思っているけれど、実際に授業をすっぽかしたことは無い。一人になりたい時も、わざわざ最上階に行かずに自習室やトイレに行くことの方が多かった。ここへ来るのは本当に稀だ。そんな起こるかどうかも分からない偶然をずっと待っていたなんて。

「………何で?何でアルミンみたいな優等生が私のことなんか気にするの?」

「僕もエレンもよく真面目だって言われるけど…絶対に苗字さんの方が真面目だし優等生だと思うよ」

アルミンの口調はまるで私を諭すようなものだった。普段なら苛立っていたかもしれないけれど、サボりなんて絶対にしないと思っていたアルミンがサボっているという事実が衝撃的すぎて、素直に聞くことしかできなかった。

「初めは、何でこの人すっごい辛そうな顔しながら授業に出てるんだろう、って思ったんだ。そんなに辛いなら保健室行くか早退すれば良いのに、って。そのくせクラスメイトと喋る時は綺麗に猫被ってるし。いかにもなパーマとか掛けてる割には校則も破らないし。だから何となく気になって」

「…そ、そんなに私のこと観察してたの?」

「まあ、結果的にはそうなるかな」

何となく恥ずかしくなって俯く。顔が火照っているのが分かった。廊下は静かで教師も生徒も他にはいない。アルミンと完全に二人きりだ。

「苗字さんって、すごい不器用だよね」

良い笑顔でアルミンはそうずばっと言い切った。不本意だったけれど、さっきのアルミンの言葉の後では反論の材料すら見付からない。悔しくなってせめてもの反撃に小さく言い返してみる。

「………アルミンこそ、ほんとは不良だったのね」

「不良って……今時あんまり聞かない言葉だよね、それ」

何がツボに入ったのかは知らないが、アルミンはまたもや可笑しそうに笑っていた。他人に笑われるのはあんなに嫌だったのに、不思議と胃が痛くはならなかった。

「あー何か久々にこんな青春ぽいことしてる気がする」

「……青春なの、これ」

「クラスの女子と二人きりでサボりなんて青春だと思うけど。苗字さんは青春ってどんなのだと思ってるの?」

「え…ゆ、夕陽に向かって走るとか…?」

再三、アルミンが噴出する。今度の笑いはしばらく長引いた。そんなに面白いことを言ったつもりはなかったのに。

…アルミンて、こんなに笑う人だったんだな。

「苗字さん、おもしろすぎ…!ていうか真面目すぎるよ。エレン以上に馬鹿正直だね」

「馬鹿って…言い過ぎじゃない?」

それでもアルミンは私の方が真面目だと言った。ずっと優等生だと思っていた彼にそう言われるのは何だかとても妙な気分だった。

「……なんか、アルミンに真面目って言われると、ジャンに馬面って言われてる気分」

アルミンはまた笑った。つられて私も笑った。いつの間にかもやもやとした気分は全部きれいに消えていた。

「意外だったな。アルミンがサボってこんなに笑うような人だったなんて」

ひとしきり笑った後で、ぽつんとそう呟く。アルミンはいつもの聡明そうな表情で、また私を諭すようにして言った。

「そりゃあ、ここが規律厳しい兵団とかだったんなら、僕だってもっと規則は遵守しただろうけど。たかが学校だよ?そんなに堅くならなくてもいいと思うんだ」

軍隊も学校も、規則があって集団行動を乱してはいけないという点ではほとんど似たようなものだと思っていたけれど、優等生だと信じていた彼が本当はそうでなかったのなら、学校も本当はそんなびくびくするような場所ではないのかもしれないと思った。

「けどまあ、サボるのが怖いなら、僕を誘ってよ」

もっと力を抜いて良いのだと、もっと楽にしていいのだと言われているような気がした。体の底からなんだか温かい笑みが湧いてくるようだった。ふふ、と意味も無く笑ってみる。アルミンもそれを見て少し笑った。

「それじゃあ、今度は一緒に市立図書館に行こうよ。ここの図書室、品揃え悪すぎるんだもん」

「僕は別にサボりを積極的に推奨してる訳じゃないんだけどね…」

それでも彼がうんと言ってくれるのであろうことはもう分かっていたから、わくわくするような気持ちは消えはしなかった。

仰いだ空の爽やかな青は、アルミンの瞳とよく似た色をしてどこまでも広がっていた。


たまにはそんな一日があってもいい
(ところで私、初サボりなんだけど、どんな顔して教室戻ればいいの?)
(何でも無い顔して入れば大丈夫だよ)
(…慣れてるね)
(エレンと一緒によくサボってるからね)





白雲さまへ。
青春企画への応募ありがとうございました!
アルミンと授業をサボって遊ぶ、とのことでしたが、遊べているか微妙な仕上がりに…;;
純粋なアルミンかゲスミンか迷った挙げ句の中途半端なアルミンになってしまいました…
書き直しは白雲さまのご要望のみ受付致します!


祥子
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