「名前」

久しぶりに会う彼の髪は、すっかり真っ白になっていた。きっとたくさん苦労してきたのだろう。まだ真っ赤な髪のままであるだろう彼の相棒は見当たらないけれど。
しかし、あの頃の華やかな若さが無いのは名前も同じだった。

「お久しぶりです、ベックマンさん」

「待たせたな」

「ええ、本当に」

ふわり、ベックマンの吐き出した煙がゆれた。お互いに笑い合う。

「どうせなら、欲しがってたモンを見つけてから会おうと思ってな」

「……私、何か欲しいって言いました?」

「“小鳥がゆめをみるころは”のつづきだ」

名前は目を丸くした。あれから二十年近くが経っている。元の世界の歌は船の上でもよく歌っていたけれど、その歌―――名前の好きな童謡を歌ったのはたったの一度きりであるはずだった。

そう、あの歌は名前のふるさとの歌。もう戻れない故郷の歌。あの頃から結局思い出せていないその歌詞を、

「……知ってる人が、いたんですか…?」

「ああ。……一番から、歌ってくれるか?おれの為に」

く、と喉の辺りに何かが込み上げた。ああ、やだな。泣き虫な少女は卒業したはずなのに。

「………何なら一緒に歌おうか」

そして紡がれるやわらかな旋律。


ゆうやけこやけで日が暮れて、やあまのお寺の鐘が鳴る
おててつないでみなかえろ、からすと一緒に帰りましょう

子供が帰った後からは、まあるい大きなお月様
小鳥が夢を見る頃は、



重なっていたふたつの声から、名前の声が抜けた。どうしても思い出せなかったこの後の歌詞。まだ半信半疑の思いでベックマンを見遣れば、彼は少し目を細めて、続きを歌った。

「―――そらにはきらきら金の星」

低い低い声で紡がれたその旋律は、名前の頭のずっと奥の方へ追いやられていた記憶を呼び起こした。

夕暮れ。家へとつながる帰り道の途中、道草をしながら歌った歌。遅くなって怒られたあとの温かな手。泣きながら食べた夕食の味。その中で名前は生まれ、育ったのだということ。

「ああ…ああ、そう、そういう歌詞でした。やっと…やっと…っ」

「分かったか?お前は、ひとりじゃねェ。…ひとりじゃねェんだ、名前」

涙があふれた。この世界は、私の生まれた世界とつながっている。やっと実感が持てた。
心の底から、ここに居ても良いのだと。ここで生きていても良いのだと。やっと、やっと何かがすとんと胸に落ちた気がした。

思わず泣き出してしまった名前の方を、躊躇うことなくベックマンは抱き締めた。言葉も何も無かった。ただ、温もりを分かち合う。

――――おーい、名前ー!!

遠くの方からシャンクスや他のみんなが歩いてくる音が聞こえた。口々に名前の名を呼ぶ声がする。流石にみんなの前では恥ずかしいと名前が腕の中から逃れようとしても、ベックマンが離してくれることはなかった。

十数年ぶりの、再会だった。

ヒューヒューとひやかす口笛にも囃し声にも全く動じず、ベックマンは名前の顎をすくって口づけをひとつ落とした。

「………!!」

ふっと笑う気配がする。羞恥のあまり顔を上げられない名前の頭をベックマンが撫でた。

「か…変わりましたね、ベックマンさん」

「何せ十数年ぶりだからな」

「…あの頃はもっと、かわいげがありました」

「かわいげ、な。お嬢さんは今も昔も変わらず余裕が無くてかわいげがあるがな」

「ああもう、そういうところ。そんな台詞、前なら絶対言いませんでしたよね」

ベックマンが冷静沈着な鉄の男で、赤髪の頭脳とまで言われていることは知っている。彼がまだ若者であったころにはなかった大人の余裕がそこかしこから溢れていた。どうやら彼は名前が紙面の中だけで知っている彼の姿に追いついてしまったらしかった。

「さて、これからの話をしようか」

「ええ。それと、これまでの話も聞かせてくださいね」

二人は笑って、もう一度キスをした。話したいこと、聞きたいことは幾らでもあった。名前の父親の話。二人が離れていた間の冒険の話。

突き抜けるような青空はまだどこまでも広がっている。


祥子
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