「おい名前起きろ」

「ちょ、サンジ…態度変えすギ…」

「うっせェ。お前をレディだと思いこんでた一日を返せこの野郎」

翌日の朝は黒いスーツに包まれた足に蹴られて起こされた。しかし台所からは良い匂いが漂ってくるからどうやら朝食は用意してくれたらしい。サンジが来てから、四日目の朝のこと。

「おい、名前。そろそろ冷蔵庫の中身が尽きる」

その言葉に、午前は買い物へ行くことに決まった。ちなみに親父はまだ寝ているらしい。

「あと何ガ必要?」

「あー、卵と、あと小麦粉を…」

最初の頃は買い物の荷物なんか持たせてくれなかったくせに、今は全て俺持ちだ。態度が変わりすぎだと思う。

「あら、名前ちゃんじゃない」

声を掛けてきたのは、夜の方の仕事の上司だった。

「あー、奇遇だね、ママ」

「ま、可愛い子連れてるじゃない。やるわねぇ」

「んー、ちょっと居候でさ」


「っと、ごめんサンジ。この人、俺の職場の人。みんナにはママって呼ばれてるヨ」

「………レディ、じゃねェな」

「あー、うん。心はレディだカラ」

「あら、外人さんなの」

「うん、そう、英語しか喋れなくて」

「じゃあ今度うちへ連れてらっしゃいよ、喋り相手いないでしょ」

「あーまあ、俺も親父も一応英語喋れるから大丈夫だよ。それじゃ、買い物中だから」

「あら失礼。じゃあねん、名前ちゃん」



「ごめんごめん。待たせたナ、次行こウか」

「…女装仲間か?」

「俺は女装だケド、あの人は心はレディだかラ女装ってのは失礼じゃナイ?」

「…………!」

ママというけれども見た目はがっつり男だ。いわゆるニューハーフ。性転換をする気は無いらしいが、喋り方から仕草までがっつり女なので、バーに来るお客さんはみんな彼…彼女のことをママと呼ぶのだとそう説明すると、サンジは何だかぶつぶつ呟いていた。

「認めねェ…おれは認めねェからな」

生粋のレディ好きとしては何か思うところがあったのかもしれない。名前としては性別なんてその人の好きにしたら良いと思う。サンジには何やら葛藤があるようだったが放っておいてスーパーへ向かう。

「ほら、卵買うんダろ」

「あ、ああ…」

卵、卵となるとスーパーへ寄るしか無い。が、スーパーがすぐそこまで見えるところまで来た辺りで、俺は大変なある事実に気が付いた。商店街には無かったが、大手のスーパーともなると、ONE PIECEのポスターやらパッケージやらが並んでいるのだ。商店街では書店にさえ近付かなければ大した問題は無かったが、これは流石に連れて行かない方が良いだろう。

「…悪い、財布にあと三十円しかナイ。一旦家戻ろウ」

「…ああ」

俺の言葉にサンジの表情が曇った。何故だろう。

「卵使わない奴から先ニ作ってテくれ。俺が買ってクルから」

「…分かった」

家に着いて台所へ立っても、サンジの表情は晴れないままだった。そんなにママのことが衝撃的だったのだろうかと俺は首を傾げつつも、卵と小麦粉を買いにスーパーへと向かった。

「あ、オヤジが起きてきたラ、適当に相手してくレ。間違っても殺さないでくれヨ」

その言葉には流石に苦笑が返ってきた。それじゃ、と手を振る。行ってきますと言うと、行ってらっしゃいと返ってきて、何だか少し胸の辺りがほっこりとした。





煙草の匂いがした。名前では無い。どうやら名前の父親が起きてきたらしい。

「お前、日本語喋れるのか?」

「…あ?何か言ったか?」

「……お前、あいつの恋人か?」

背中に視線を感じて思わず振り向くと、そんなことを聞かれた。まさか、ンな訳無ェだろ。思わぬ質問に背筋がぞわりと粟立つ。

「あいつもおれも男だろうが」

「…何だ、お前、ホモフォビアか」

「ほもふぉ…何だって?」

返事は無かった。そしてそれきり男はおれに興味を失ったらしく、話し掛けてくる事も無くなった。料理の邪魔をされるのはあまり好きじゃないから別に構わないのだけれども。

「………昼飯、食うか?」

返事は無かった。しかし一応三人分で作っておくことにした。棚には二人分の食器しかないのが難点だが、まあどうにかなるだろう。

「………何見てやがる」

声は掛けてこない癖に視線を外すことはしない男に、サンジは顔を顰めた。しかしやはり返っては来ない返事に、溜息を吐いて料理へと意識を戻す。

「いや、良いケツしてると思ってな」

「…何言ってるか分からんっつの」

背中に掛けられた異国の言葉からはどんな感情も読みとれなかった。後は卵を使う料理だけになって、サンジは逆にこちらから男をじっと見詰めた。

「何だ、俺に気でもあるのか」

「いやだから何て言ってるのか分かんねェよ」

今度の言葉は、意味は分からないが何やらからかわれているらしいのは分かった。にやりと笑った男の顔をとくと見詰める。名前とは全然似ていない。昨日激情して名前に殴りかかったとは思えないほど、穏やかで落ち着いた雰囲気を持つ男だった。

帰ってきた名前が、お前等何見つめ合ってんの、と言うまで二人はただひたすらお互いの顔を眺めていた。

※ホモフォビア:ホモに嫌悪を持っている人のこと


祥子
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