未だ熱を持つ身体を絡ませて、普段は授業で使っている机の上に倒れこむ。ガタンと大きな音がして内心ひやりとしたが、身体は熱いまま。お互いが吐き出す吐息は混ざり合って少し重く、疲れを含んだ唇はいつの間にか重なっていた。
「……もう、帰らないと。最近まともに寝てないだろ」
毎晩会うようになって、既に一か月が経っている。私の身体は思っていたよりも丈夫らしく、訓練中の事故なんかは起こさなかった。それでも夜になると疲れが現れてくるようで、私は身体の力を抜いてベルトルトの頬をさらりと撫で上げた。
「じゃあ、最後にもう一回……キス、して?」
ぽつり、彼の汗が私の頬に落ちる。彼は少し迷ってから、優しく私に口づけた。
以前はどうしたらベルトルトが私を見てくれるのか、そればかりを考えていた。それが今は、こうして体も重ねるしキスだって普通にする。慣れとは恐ろしいものだ。こんなにベルトルトが近くにいるなんて、何だか変な気分になる。恋人でもなければ友人ですらない私たちのこの関係は、どうまとめればいいのか。
服を整えてもらいながら窓の外を眺める。曇っている空は私の気持ちを表しているみたい、満たされていながらどこか不安を感じている。何が、足りないのだろう。
「名前、明日は休もう。これ以上は……」
「ねえ、私のこと好き?」
離れようとする体を引き止めて遥か遠くにあるベルトルトの顔を見上げる。戸惑って歪んだ顔を見るのは久しぶり。私の、とても好きな顔。
「好きよ、ベルトルト。愛しているの。………ねえ」
触れようとした手先はすぐに捕らえられて、揺れる視線同士がぶつかる。私のことをいつも気遣ってくれるけれど、決して優しいわけではない。私を見詰める視線はいつも冷たい。けれど確かに、目が合うことも触れ合うことも多くなった。もっともっと、貴方が欲しいのに。
「僕は君を愛してないよ。全部……全部自分のためだ」
目をそらして小さな声で呟いた。うしろめたそうに目を伏せているのは、私の好意に応えられないからなのか、それともまた別の感情なんだろうか。どちらにせよ彼は、私に心を開いていない。
「でも貴方のキスは優しくなった。違う?」
やはり見せる動揺と、少しあとの落胆。今までだってそう、全部そうだ、言葉で私を拒否しながら、こんなにも体は私を求めている。それは理性で抑えられるものではなくて、本人もそれを自覚している。
怖くなったのか、結局ベルトルトは何も答えずに私に背を向けた。
短い黒髪に流れる汗が月の明りを反射してキラキラ光っていて眩しい。彼の背はこんなにも高かっただろうか。ついさっきまで体は熱を帯びていたのに、もうすっかり冷えてしまっている。足りない。まだまだ足りないのだ。ベルトルトの熱が、温もりが、愛が。何度体を重ねたって、それは一瞬の気休めにしかならない。そんなことをしても意味がないことくらい、私はよく分かっている。
「明日はゆっくり休むといい。倒れられても困るし」
ちらりと振り向いたベルトルトは歪んだ顔でそう言った。私も彼も、もう疲れきっている。お互いの心は少しずつ磨り減っていって、言葉ひとつでさえ鋭くなる。元々優しさなんて含まれていない会話だが、それでも少しは穏やかだった。ある程度の距離を保ち、良好とは言えないもののそれなりの関係を築いていた。いったいいつから、こんなにも遠くの存在になってしまったのか。近づきたかった。一番傍で、ずっと寄り添っていたかった。それだけだったんだ。それなのに近づけば近づくほど、ベルトルトはどんどん遠くに、手の届かない所に行ってしまう。
「君は疲れてるんだ。………ほら、目を閉じて」
先程までの表情は嘘のように、ベルトルトは眉を下げて私の髪を撫でた。言われたように目を閉じると、今まで溜まっていた涙がぽろりと溢れた。知らなかった、自分が、泣いていたなんて。
「大丈夫。君を傷つけるものは何もないから。……僕しか、いないから」
ふわりと体が包まれて、胸の中がベルトルトの匂いでいっぱいになる。私は必死にベルトルトにしがみついた。決して離れてしまわないように、私を捨ててしまわないように。涙は一度溢れ出すと止まらなくて、ベルトルトの胸がじわりと湿っていく。そのまま涙の海に沈んでしまえたら、二人だけで、巨人も壁も何もかもが存在しない深い深い海の底へ行けたなら。
「お願いよベルトルト。私を、捨てないで。離れないで……」
消えそうな声、彼の耳にはちゃんと届いただろうか。
顔を上げたら、すぐ目の前にベルトルトの顔があった。驚いたような、悲しいような、なんとも読み取りにくい顔だ。思わず手を伸ばして頬に触れたら冷たくて、何だか私の熱まで奪われる気がした。
「………僕、は。いるよ。ここにいる。」
優しい唇が額に触れる。そこからじんわりと頭の中に温かいものが染み渡っていく。
「…うん」
嘘つきの言葉を飲み込んで、私は笑ってみせた。
(狂い始めたのは、私の笑顔の裏。)
愛子