暗転×猿手
同じ時間軸に存在している設定、猿手エンド後。
その日、その時、鬼兜千歳は暇を持て余していた。
学校の授業を「体調が優れないので」と嘘をついて抜け出し屋上にある貯水タンクの裏側へ身を隠すようにして凭れる。
「学生って言うのも存外窮屈なものだなあ…」
目下、グラウンドを走り回る生徒達を見つめる。時たま「頑張れ」やら「もう少しだ」と掛け声が聞こえてくるあたり体育の授業でリレーでもしているのだろうか。
そんなに汗水垂らして頑張らなくてもあと六年もすれば社会人となり嫌でもせざるを得ない状況になると言うのに、人間社会ってやつは熟(つくづく)馬鹿らしくて面白い。
ふっと鼻で嘲るように微笑んで、降り注ぐ太陽の陽射しから目を背けるようにポケットからサングラスを取り出して引っ掛けた。ぶわりと吹いた風は季節の変化を予感させる、微かな湿り気に金色の頭髪を勝手気ままに遊ばせていると誰も居ない筈の屋上に気配――。さして驚く様子もないままに視線だけを寄越す。
「やあ、復讐者。こんな所へ来て何の用?」
「先日捕マエタカイ<jツイテ御耳ニ入レタイ事ガ御座イマス」
「カイ?――ああ、例の逃走犯か。居たね、そんなのも」
興味のなさそうな空返事で相槌を打つ。
「それで?その逃走犯さんがどうしたって?」
「取リ違イ<K起コリマシタ」
「―――取り違い?」
「ハイ」
「まさかだとは思うけど…俺の与り知らない所で裏社会に存在するカイと表の人間を取り違えた――なんて面倒事じゃないだろうね?」
千歳の言葉に沈黙を貫く。
紛うことなき「肯定」の意思表示でありそれを瞬時に察した千歳は深々ともうそりゃ肺の中に満ちた空気を全て吐き出す程の長い溜息をつく。落とされた肩はそのままにサングラスのブリッジを押し上げる。
「はあ最悪だよ……。お前らともあろう者がそんな古典的なミスを犯すだなんて疑った事も考えすらしなかったってのに」
「如何サレマスカ」
「如何されますかって簡単に言うけれどね、唯でさえ裏社会の人間相手だって色々と煩わしいって言うのに――。…まあ部下の責任は上司である俺の責任でもある訳だし、どうにかするっきゃないんだろうけどこんな特殊なケースは就任してから初めての事だしなあ…。」
どうしようかね。と口元に手を宛がう。
「相手側はなんて?」
「六道骸一味ノ釈放ヲ所望シテイマス」
「はあ?ちょっと待って、先方は表の人間なんだろう?どうしてそこで六道骸の名前が出る?」
「ドウヤラ牢獄ノ中デ」
「なるほどね、ふうん」
ふむふむ。
「如何サレマス」
「釈放なんて出来る訳がないだろう」
「既ニ返答ハ済ンデオリマス」
「だろうね。――まあなんだ、取り敢えず菓子折りでも持って行って誠心誠意謝るしかないんじゃない?俺が」
「ソレデ手ヲ打ツデショウカ」
「手打ちにするとか、許す許さないの問題でもないだろうに。悪い事をすれば謝る、それが人情ってやつなんじゃない?まあ真っ当な人間って訳でもないんだけどさ。――それで?その取り違えたカイ≠ウんは何方に?」
「今カラ行カレルノデスカ」
「謝罪は早い方が良いんだよ。鉄だって熱いうちに打つだろう」
すっと立ち上がって制服についた土埃をぱっぱと払う。
「ソレデシタラモウ近クニ」
「は?近く?あ、近所ってこと?」
「イイエ、コノ学舎ニ」
「……それ面白くない冗談だよ」
「冗談デハ御座イマセン」
「うわあ…笑えねー」
「名ヲ継峰海人ト」
復讐者から飛び出た名前に「ん?」と反応を示す。
「ツグミネ…ツグミネ…確か同じクラスにそんな名前の奴が居た気がする」
「ハイ」
「やっぱり?」
「貘様ト同ジクラスカト」
「最近姿を見ないと思えば…そうか、なるほどね、合点がいった。巻き込まれてたのか、六道骸が起こしたあの事件に」
「ハイ」
「ぱっと見じゃ血の気の多そうなただのガキに見えたが…ふうん、釈放を願い出るなんて面白そうな奴」
ふふ、と不敵に笑みを浮かべると再びグラウンドに視線を向ける。そこには競技を終えて和気藹々(わきあいあい)と燥ぐ生徒達の姿。
L字に模った両手でお目当ての人物を中心に捉えるとすっと目を細める、まるでカメラマンの真似事だ。
「いいね、その甘い偽善者ヅラに興味が湧いた」
「貘様」
「わかってるよ。裏社会の人間が表に関わるべきじゃないってことぐらい。でもさ、よく考えてみてもくれ。今の俺はやっつけ仕事人の鬼兜千歳じゃなく、何処にでも居る普通の中学生なんだ。クラスメイト同士仲良くすることに好都合はあれど、不都合はないと思わない?」
面白くなりそうだと今にもダンスのひとつでも踊りだしそうな千歳に沈黙を貫く復讐者。
「楽しい気晴らしになってくれよ、俺は退屈してるんだ」
ぱっと両手を広げてクツクツ笑う。
「っ…うわあ…」
「…海人?」
「いや、なんか今凄い悪寒が…風引いたかな…」
「ええっ!?ほ、保健室で休んだ方が良くない?オレ先生に伝えとくよ?」
心底心配そうな面持ちで海人の顔を覗き込むツナ。
「大丈夫だって!」と明るい表情で返す海人が空を仰ぐ。
「どうしたの?」
「んー…なんか、誰かに見られてる気がして」
気の所為だと思うけど…と歯切れの悪い言葉の尾。
(海人に自覚はないんだろうけど…モテるもんなあ)
誰かしらが授業の合間に熱い視線を送っていてもなんら可笑しくはないだろうな、なんて呑気な事を考えていると下駄箱の近くで運動靴のアンバランスな紐をむぎゅっと踏み倒れそうになる。
「わっあ!!?」と意味もなくバタつかせた手は何に掴まるでもなく空を切り、次に来るであろう痛みに耐えるべく目を強く瞑る。靴を履き替えようとしていた海人が上履きを投げ捨て咄嗟に手を差し出すも間に合いそうもない。
(ぶつかる――ッ)
と、思った。
「っと」
誰かに支えられた感覚、思わずしがみついた先にいたのは数ヶ月前に編入して来た鬼兜君だった。
「間一髪、でしたね」
花が咲いたように微笑む千歳。
顔中が熱くなるのを感じた。
「大丈夫か綱吉」
「う、うん。ありがとう千歳君」
「いえ、怪我がなくて良かったです」
腕から退いてお礼を述べる、近づいてきた海人も大丈夫そうなのを見て千歳の方を向いた。
「助かったよ、鬼兜」
「保健室の帰りに偶々通りかかったまでですから」
じゃあと言ってその場で別れる。
「千歳君って不思議だよね」
ばいばいと手を振る海人の隣に立つツナがしみじみと言い放つ。
「不思議?」
「うん、上手く言葉に出来ないんだけど…」
なんだか人じゃないみたいだ。
「助けてもらって言う事じゃないんだけどね」
苦笑。
ツナの言葉に考え込むような仕草を見せる海人、傾げた動きに合わせてぽたりと汗が一滴落ちた。
「あの視線――」
「海人?」
「…なんでもない。着替えもあるしそろそろ行こうぜ」
「あ、そうだった!行こうっ」
バタバタと慌てて靴を履き替え教室に向かう。
妙な胸騒ぎがした。
2023 5月12日