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◎大学生になって、左目の視力がどんどん落ちていく赤司くんと、それを傍で支える降旗くんのおはなし。



小さな個人経営の喫茶店の一席で、安っぽい味のコーヒーを飲みながら、降旗は人を待っていた。月に一度、必ず訪れるその喫茶店で、降旗は大抵、同じ席を選んで座る。向かいに建っている、大学病院が一番よく見える位置だ。そこでは今まさに、降旗の待ち人が診察を受けている。赤司征十郎。降旗光樹がその生涯で、初めて本気で好きになったおとこのひとだ。

赤司が診察を受けているのには、彼の左目に理由があった。明るい金色の瞳。気を抜くと捕らわれてしまいそうなくらいの眩いそれを、かつてのチームメイトである紫原は、蜂蜜キャンディのようだと評したらしい。なるほど、言われてみれば、確かに美味しそうな色かもしれない。ただ、彼の瞳から覗く隠しきれない鋭さは、とてもキャンディなんて甘ったるく可愛らしい表現には当てはまらないけれど。

元は右目と同じ赤い色をしていたのだというその眼は、天帝の眼という同じPGとしては羨ましすぎるくらいの能力を与えられ、けれどその代償とでもいうように、徐々に彼の視力を奪っている。現在形なのは、今もまだ、視力が落ち続けているからだ。高校を卒業し、すっぱりバスケを辞めた途端に視力が安定した右目に対し、左目はいまだ不安定で、緩やかに視力低下を続けている。急激な変化ではないから本人もそれに気づかないことが多いのだが、時々、距離感を掴み損ねてテーブルの上のマグカップを手で弾き落としてしまったりすることがあって、そういうとき、降旗は彼の視力が着実に衰えていっていることを実感するのだった。

そのような小さなトラブルがあったあと、赤司は必ずピリピリと警戒するように気を張り詰めて、時折びっくりするほど情緒不安定になる。自分の視力が落ち続けていることを不意打ちで教えられたようなものだから、怯えるのも仕方ないことだと思う。たとえ片眼だろうと、今まで見えていたものが見えなくなるのは誰だって怖い。あの赤司征十郎であってもだ。

怖いものといえばもう一つ、赤司は暗闇を嫌う。人よりも多くの情報を視覚から得ていたからこそ、何も見えない暗闇が怖いのだと言う。視力の低下した眼では暗闇の中から的確な情報を得ることは難しいし、それに、ふと眠りから覚めた瞬間に目の前に広がるのが暗闇だと、いよいよ失明したのではないかと恐慌状態に陥ってしまうのだ。これに関しては実際に二度程パニックを起こしたことがあり、それ以降、降旗も赤司も眠るときには必ず、一番小さな電球だけは点けておくようになった。

このような小さな不調や不安で互いに動揺してしまうのを防ぐために、検査も兼ねて、赤司は月に一度大学病院に通院するようになった。しかし見えなくなることを怖がるくせに、検査結果を知るのも怖いらしい赤司は、すっかり病院嫌いになってしまって、毎度嫌だいやだと子どものように駄々を捏ねる。そんなぐずる駄々っ子を病院へ送り届けるのが、降旗の役目だ。

けれど、赤司を送るとき、降旗は決して院内には入らない。いつもエントランスでその手を握り、がんばっておいでねと背中を押してやるだけで、隣には並ばない。そこから先は、「自分たち」ではなく、「赤司征十郎自身」の戦う場所だと思っているから。だから降旗は赤司が院内に消えるとすぐにその場をあとにして、近くの喫茶店で時間を潰すのだった。

窓から外を眺めて、病院から出てくる人の中から赤司の姿を探しつつ、降旗は毎回、ひとつだけ覚悟をする。

もしも今日、赤司の左目の視力があとどのくらい保つのか、明確な時間を宣告されてしまったとして、決して彼の前で泣いたりしないように、ただ「今までよく頑張ったね」と褒めて抱きしめてやれるように。彼の「眼」の死を受け入れる覚悟をするのだ。



向かいの病院の自動ドアから赤い頭がひょこりと顔を出したのを目敏く見つけ、降旗は残り一口のコーヒーを飲み干し、カタン、と小さな音をたててカップをソーサーに戻した。そのまま立ち上がり、伝票を手にレジへ向かう。新人らしいアルバイトがぎこちない手つきでレジを打ち、降旗が代金を払ってレシートを貰ったところで、カランカラン、と軽やかにドアベルが鳴った。

「光樹、」
「征、いつもより少し早かったな。お疲れ様。どうだった?」
「どうにも、変わり無しだ」
「そっか、よかった…。じゃあ買い物して帰ろっか」

どうやら結果は現状維持の状態らしいが、これ以上の回復が望めないとわかっている身としては、それは充分喜ぶに値する。ぽんっと赤司の頭をひと撫でし、そのまま彼の左側に回り込むようにして自身の位置を定めた降旗は、ごく自然な動作で赤司の手を引くと、ドアベルをカラカラと鳴らしながら外へ歩き出した。

「夕飯何にする?今日は征の好きなの作るよ」
「さっぱりしたものならなんでもいい」
「りょーかい」

たぶん赤司も検査結果にひとまず安心したのだろう、いつもより少しだけ高くなった彼の声に、降旗はこっそり笑みを溢す。それと同時に、今日決めた覚悟をそうっと心の底にしまい込んだ。

彼の左目にあるハチミツの色は、あとどれくらい、この世界を彼に届けてくれるのだろうか。

いつかわからない終わりが来る日まで、その綺麗な色に映るのは、彼の愛したものであればいいと思う。例えば、思わず見とれてしまうような夕焼けとか、彼の好きなひみつの抜け道染みた散歩道だとか、よく餌をねだりにやってくるトラ猫だとか。そういう、小さな幸せの風景ばかりを、彼の目に映せたらいいのになあ。

ああ、でも最後に映るのは、どうか俺であって欲しい、と降旗は思う。そうしたら最後の一瞬まで、彼の前で笑っているから。だからそのハチミツに最後に焼き付ける記憶は、降旗光樹のとびきりの笑顔であったらうれしい。そして彼の左目から光が消えたら、たぶん一緒になってわんわん泣いて、けれどその手は決して離さないまま、その先もずっと一緒に歩いていくのだ。






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