仰せのままに
「えっ、八重って岩泉と付き合ってんの?」

 やっと素直になったんだ! などと笑う友人の声を聞き、恥ずかしく居心地が悪かった八重ではあるが、一度それを受け入れてしまうと大したものでは無くなった。照れ臭さよりも好きな男の彼女になれた事が嬉しく、先日までは「誰が岩泉みたいなやつを……」などと言っていた八重が、掌を返したかのように「岩泉かっこいい……」と言うくらいには開き直っている。
 変なプライドが邪魔をして素直になれずにいたが、一度認めてしまうとこんなに幸せで舞い上がってしまうようなものなのかと、八重は口元の緩みを隠せない。
 男友達と遊ぶ事にそれなりに慣れている八重が、岩泉のような硬派な男と付き合うのは初めてである。
 八重が遊び慣れている男友達と違い、岩泉は真面目で、真直ぐ八重の事を見てくれる。大事にしてくれる。付き合うのは八重が初めてであるらしい岩泉の不慣れさや純朴さは、八重の心を共に初心に引き戻すのだ。


「……夏目、スカートの丈どうにかなんねーのか」
「どこ見てるの、岩泉のスケベ」
「お前が見せてんだろーが」

 彼女に見せる表情と思えない程にしかめっ面をしている岩泉ではあるが、こう見えても八重の事が好きなのだ。そのはずだ。そう自身に言い聞かせながら、八重は四つん這いの体勢から、腰をカーペットに落ち着けるように座り込んだ。
 現在、岩泉に頼み込み、岩泉の家で一緒に勉強会をしているところである。来週に迫ったテストに備え「一緒に勉強会しない?」と誘った八重に対し、岩泉は微妙な顔をしていた。彼女相手にこの反応は失礼だと思う。そして何を言うのかと思えば「お前本当に勉強するのか?」という質問を口にした。本当に失礼である。

「つーかお前、勉強しろよ。何漫画読んでんだ」
「だって、これの続き気になるんだもん」

 言いながら、八重は手に取った漫画をぺらりとめくる。先程カーペットの上で四つん這いになり、一番下の棚から抜き出したのは、中国の歴史をモチーフにした漫画である。先日からちまちまと岩泉に借りていたこの漫画の続きが気になっており、八重はテスト勉強に集中できずにいた。「本当に勉強できるのか?」という岩泉の懸念は、現実のものとなっている。

「あーもう、勉強しねーなら気が散るから帰れ」
「ちょっと、それ彼女に言うセリフなの?」

 むっとした表情で岩泉を睨んだ八重ではあるが、部屋の真ん中に置いたローテーブルに教材を広げている岩泉はびくともしない。付き合い始めたからと言って、彼女をデロデロに甘やかすタイプではないと思っていたが、もう少し言い方というものがあると思う。
 わざと頬を膨らませているにも関わらず、岩泉は八重の方に視線すら寄越さない。黙々と目の前の問題集に書き込み勉強しているようではあるが、岩泉はあまり勉強が得意でない。無理しちゃって……などと心の内で呟きながら、八重は再びカーペットの上に手と膝をつき、ズルズルと四つん這いになって移動する。スカートの丈が短いため、太腿が外気に晒されスースーとする。八重の背後に回り込めば、下着が見えてしまっているかもしれない。もしかしてさっき本棚から漫画を取る時に、岩泉が見たのは晒した足どころではなかったかもしれないと今更ながら思い至るが、八重は「まぁいいや」と開き直る。付き合い始めたというのに、岩泉はこれといって八重に手を出してこない。至って普段通り、逆に本音を言うようになり辛辣になりつつあるこの男を動揺させたい。余裕そうなあの顔を崩したい。
 ズルズル、と寄って来る八重に気付いているくせに、こちらをチラリとも見ない岩泉にむっとする。そうして八重は、どうにかこちらに気を引こうと、岩泉の肩にわざと寄りかかる。

「い・わ・い・ず・み・君」
「何」
「……ねぇ、何か反応ないの?」
「知らん」
「も〜、面白くないなぁ〜」

 赤面して動揺くらいしなよ、彼女いたこと無いんだから免疫ないでしょ。思い描いた反応を貰えず、つまらなくなった八重は、最終手段に移行する。丁寧に横座りし直し、太腿をギリギリまで晒す。岩泉だって男である、こんな至近距離で女の太腿なんて見たことないだろう。所謂色仕掛けのようなものを繰り出し、八重は再度、岩泉に「ねぇ」と話しかける。

「私たち付き合い始めて二週間だよ、イチャイチャしようよ」

 岩泉だって、本当はしたいんじゃないの?
 そんな誘いを含んだ八重の言葉に、岩泉はシャーペンを動かす手を止めた。そして音も無くゆるりと顔をこちらに向けた岩泉は、何かを言いたげな表情をしている。そして数秒の沈黙の後、ついに岩泉は口を開いた。

「勉強しろっつってんだろ」
「…………」

 静かに青筋を浮かべる岩泉の迫力に気圧され、八重は渋々寄りかかっていた岩泉の肩から距離を取る。思いの外真面目に怒られ、八重は諦めるように居住まいを正す。硬派な男だとは思っていたが、こんなにアピールしているのに色仕掛けも効かないとはどういう事なのだろう。一体何を食べたらこんな男が育つのか、と八重がぼんやりと考えていると、岩泉が再び口を開いた。

「つーか、前から思ってたけどお前スカート短いんだよ、伸ばせ」
「え〜……短い方が可愛いじゃん」
「可愛いとかどうでもいいから、そういう危なっかしい格好やめろ」
「……えっ、何々。岩泉もしかして心配?」

 私の足が誰かの目に晒されるのが嫌なのだろうか。それとも、岩泉も流石に動揺しちゃうからやめて欲しいのだろうか。ワクワクとしながら、岩泉の口から発せられる言葉を待つが、岩泉はキラキラと目を輝かせている八重を見てから、盛大にため息をついた。

「ちょっと、何でため息つくの!」
「お前、本当にめんどくせぇな」
「ねぇ、それって独占欲?」
「さぁな」

 ねぇねぇ! と八重がねだってみたものの、岩泉はさっさと問題集に視線を落とし、テスト勉強を再開する。このまま無視を決め込むらしく、八重が諦めるのを待っているらしい。八重がいくらお願いしても揺らぐ事ないその姿勢はまさに硬派と言うべきではあるが、健全では無いと思う。ちょっとくらい我が儘を聞いてくれてもいいじゃないか、と不満に思いつつ、八重も流石にお手上げである。

「……いいよもう、スカート直さないんだから」

 せめてもの抵抗である。意地でもスカートを伸ばしてやるもんか! と捨て台詞を吐き、八重はカーペットの上に置いたままになっている漫画に手を伸ばす。先程本棚から取り出したそれを読もうと、岩泉の隣を離れ身を乗り出そうとした時、不意に肩を引かれ、八重は再び元の場所に引き戻される。
 横座りの姿勢が少しだけ崩れ、足がより晒されてしまったが、八重はそれどころではない。岩泉に肩を抱かれ、正面に迫った岩泉の真面目な顔を捕え、一瞬で息の仕方を忘れた。

「いいから」

 伸ばせ。
 そう言いながら額同士をコツリとぶつける岩泉に、八重はか細い声で「はい……」と答えるしかなかった。

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