歯になる葉になる
「八重さぁ、明日暇?」

昼休み、八重の席の正面に座ってネイルを整えていた友人が、不意にそんなことを口にした。
明日は特に用事もないので、服でも買いに出かけようと思っていた八重は、正直に「暇」だと答えた。
きっと遊びの誘いだ。
夏の新作が気になっていたし、友人と一緒にショッピングもいいだろう。

「あのさ、明日うちの学校でバレー部の練習試合あるんだけど、一緒に見に行かない?」
「…バレー部?」

思わずその言葉に反応してしまい、八重は驚いて友人の顔を見る。
ネイルの手入れに満足がいったらしく、小道具をしまいこんだ友人は、何故か椅子に座り直す。

「八重、及川君って知ってる?」
「知ってるけど…」
「及川君めっちゃかっこよくない?」
「まぁ…かっこいいよね…」

友人曰く、この前男女合同で体育をやった時に、及川君のバスケの上手さに一目惚れしたらしい。
背も高くてかっこよくてスポーツできるとか完璧じゃない?なんて友人は熱く語る。
この前他校の彼氏と別れたばかりの彼女だ、きっと次のターゲットの男を及川君に定めたのだろう。
彼は競争率が激しいのでは…なんて心配はしてみたが、目の前の熱くなっている友人には何も言えない。
しかし、及川と聞いて八重が思い浮かべるのは、その幼馴染みの男の事である。
明日の試合の応援に行けば、自動的に岩泉のバレーをしている姿を拝めるということなのだ。

「…いいよ、行こうよ」
「ほんと?ありがと〜八重!」

バシバシと肩を叩かれながら、八重は内心でブンブンと首を振った。
別に岩泉の姿が見たいわけではない。
ただ友人も私が遊びに行こうと誘うと賛成してくれるし、別に付き合いで応援に行くくらい普通だ。
…なんて一人で勝手に言い訳をしてしまう程には、八重は自身の気持ちを直視出来ずにいた。
岩泉なんて、八重の最重視する見た目の好みに当てはまらないし、確かに優しいとことはあるけどちょっと馬鹿ぽいところがあるし、でもそこがちょっと可愛いんだよね…なんて、結局は変な所に着地してしまうのだ。
「認めちゃったら楽なのに」なんて、目の前で機嫌良さそうにしている彼女が昔言っていた事を思い出す。
あれがいつ、どんな時に言われたのかはっきりとは覚えていない。
しかし、妙に印象に残っている言葉だった。


そうして、明日は朝からバレー部の応援に行くことになったわけである。
しかし、この日帰宅して早々に、八重は自身のクローゼットの中身を見て気付く。
自分の持っている服は、メリハリの強い色味のものや、肩が晒されるような露出が多いものばかりである。
アクセサリーも大振りのものがばかりで、カバンや靴などの小物は動物の柄物が多い。

岩泉は、こんな格好の女を好むだろうか。
答えは考えなくても分かる、否だ。
つい1ヶ月前、岩泉の好みのタイプというものを聞き出した時、あの男は『真面目な奴』と言っていた。
真面目な女といえば、やはり落ち着いたブラウスに、大人っぽい膝丈くらいのスカート、白い靴に白いカバンなどだろうか。
とにかく八重の脳裏に浮かんだのは、いかにも清純そうな女の典型的なイメージである。
あまりにも今の自分のファッションスタイルからかけ離れているそれに尻込みをしたが、だからと言っていつもの格好で出かけて、「ああ俺の好みじゃねぇな」なんて恋愛対象から外されるのもっとは嫌だ。
勇気を出すのにそれなりに時間がかかったものの、八重は自身のレパートリーの中から『清楚』に分類されるであろうものを探し出し、足りない小物や服を買いに駅前に走った。
駅中にある普段は入っても見ない店におずおずと入り、「これなら…」というものを厳選し、お小遣いをはたいて購入した。

そうして揃えた勝負服を身に纏い、八重は恥ずかしながらも自身の学校にやって来た。

「八重どうしたのその格好!?」
「ちょっとしたイメチェンだよ。今までのテイストにちょっと飽きてたし、気分転換」
「へぇ〜、めっちゃ別人じゃん!」

思い切ったね!でもいいじゃん!なんて褒められるのは悪い気はしない。
しかし、この格好の自分を見たら岩泉はどう思うだろう。
あの男の好みに合わせて服を選んだというのに、いざ本人に知られるとなると何故か尻込みしてしまう。
あ、こいつ俺の好みに合わせた格好してきてるわ…なんて岩泉に思われたらどうしよう。
次から次へと不安に襲われながらも、八重はなんとか観客スペースにたどり着いた。
途中で会った知り合いに「そんな格好するの意外だね」なんて言われてしまい、更に恥ずかしい思いをした。
そして何より羞恥に感じるのは、及川の応援の付き添いだと言い訳し、ちゃっかり岩泉の好みに合わせた格好をしてきてここまでやって来てしまった、自身のあまりの不器用さである。

そうして練習試合は始まり、八重は観客スペースの手すりにもたれながら、ずっと岩泉の事を目で追っていた。
幸いこちらには気付いていないらしい岩泉は、なんでもバレー部のエースであるらしい。
及川君からのトスが一番上がる確率も高ければ、決定力も一番高い。
助走をつけて高く飛び、強烈なスパイクを繰り出して、ボールを床に叩き付ける岩泉のかっこよさに釘付けになる。
得点を取られて悔しそうにしているところすら男らしく思えてしまい、八重の隣の友人が及川について話している内容など、頭に入らなかった。

そうして第一試合が終わり、一旦休憩というタイミングで八重はお手洗いに向かう。
次も連続して青城の試合らしいので、さっさと用を済ませ、観客席に戻ろうとエントランスに出たところで、不意に声をかけられた。

「…夏目?」

声のする方に振り向けば、なんとそこに立っていたのは岩泉だった。
しまった見つかった!と思う反面、話ができて嬉しい…なんて浮き上がる自分がいるのが恥ずかしい。

「何でここにいんだ、お前…」
「…バレー部の応援に来てるからだよ」
「そうなのか?」
「あっ…かっ、勘違いしないで!別に岩泉の応援に来たとか、そういうのじゃないから!及川君の応援に来ただけで…」
「……俺何も言ってねーんだけど…」

とっさにそんな事を言ってしまったせいで、本音がうっかりとこぼれ出る。
これではあからさまではないかと頭を抱えていると、明らかに狼狽えている八重を見かねて、岩泉が口を開く。

「まぁ、お前好きそうだもんな。及川みたいな男」
「…別にそんなことは…」
「何言ってんだよ…及川の応援に来てんだから、そうなんだろ」

矛盾したことばかり言う八重に気づきながら、岩泉はその部分を決して指摘しない。
言って欲しくない事に気付いているのかいないのか、この男のこの掴みどころのない優しさが少し苦手だ。
八重の事を気遣ってくれているのは分かる。
しかし、その気遣いはただのクラスメイトの女子だからなのか、少しでも好意を持っているからこそのフォローなのか、それが計れない。

「そういや……夏目って、私服そんな感じなんだな」

腰に片手を当てながら、岩泉は私服の八重をまじまじと見下ろす。
まるで珍しいものを見たという表情の岩泉の指摘に、八重はまたも動揺する。

「ちょっとした気分転換っていうか…そんな感じ…」
「へぇ」
「…何、似合わないって?」

何故自分はこんな可愛げのないことしか言えないのだろう。
そんな風に悩んだところで、口が勝手に先走ってしまうのだ。
岩泉に気がある事を気付かれたくない、笑われたくない、もし距離なんて置かれたらどうしよう。
そんな自身の不安ばかりを優先させてしまうせいで、岩泉の前でただの嫌な女になってしまう自分が悲しい。
どうしよう、今ので更に岩泉に感じの悪い奴だと思われたかもしれない。
それに八重が恐怖した瞬間、岩泉は何の気無しに酷い事を口にした。

「そうか?俺は好きだけど」

好き。
岩泉の口からポロリと転がった言葉に八重が硬直した瞬間、岩泉はバレー部のチームメイトに名前を呼ばれた。
「試合始まるぞ岩泉〜」という声に返事を返した岩泉は、再び八重を正面に見据える。

「次の試合は及川からサーブだから、早く観戦スペースに行かねぇと場所無くなるぞ」

そうニヤッと笑って言い残し、岩泉は体育館内に戻る為に足を進める。
次の試合が及川君からのサーブからなんて、八重はとっくの昔から知っている。
だって及川君の次は、岩泉のサーブの番じゃないか。
ぎゅっと口元を引き結んだ後、八重は岩泉の後ろ姿を眺めながら、すぅと息を吸い込んだ。

「待って岩泉!」
「あ?」
「…し、試合頑張って…」

力なく、己の本心を口にした八重は、これだけで心臓が破裂するのではないかと錯覚さえした。
なんだこれ、なんでこんなにドキドキするの。
こんな余裕のない私なんて私じゃない。私らしくない。
そんな自身の心境に混乱している八重を他所に、岩泉は少し驚いたようにやや振り返ったまま動きを止めた。
しかし、その後ニッと笑ってから、ゆるりと右手を上げる。

「任せろ」

その頼もしさ溢れる発言に、八重の心はふわりと浮き上がる。
好き。岩泉が凄く好き。
八重がきゅんとときめいている間に、岩泉は体育館内に消えて行く。
そしてそれを見送った八重は、岩泉の勇姿を見届けようと全速力で応援席に引き返した。
ぜぇぜぇいいながら戻って来た八重を見て、友人は酷く驚いている様子ではあったが、試合がはじまるとそんなことはどうでも良くなったらしく、及川君に声援を送っていた。

そうして試合は青城の勝利で終わり、練習試合も無事に閉幕を迎えた。
試合の後、岩泉が八重に向かってこっそりピースなんてしてくるものだから、八重は更に陥落することとなった。

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