目になる芽になる
どんな男の人が好み?と聞かれたら、私はまず間違いなくカッコイイ人と答える。
背が高くてスラッとしてて、イケメンで優しくて、包容力があって…などという理想の塊のような人が好きだ。
ハードル高くない?…などとよく言われるが、しかし、これが本音なのだからしょうがない。
そんなカッコイイ理想の彼氏を作るべく、自身の身だしなみにはかなり気を遣っているし、努力は怠っていないつもりである。
クラスの派手な女グループに属しながら、合コンに参加してみたり、他校の男と遊んでみたり付き合ってみたりしてみるものの、理想の人には巡り会えてはいない。
友人達にこんな事を言ってしまえば絶対に笑われてしまうだろうが、八重は素敵な彼氏との出会い、というものに密かに憧れていた。
高校3年に進級した今現在も、その想いは変わらず、八重の中で息を潜めている。


「あれ、八重帰んないの?」

授業が終わり、さっさと帰ろうとしていた友人が八重に声をかける。
帰宅部の彼女は八重も含め、もっぱら放課後はショッピングをしたり、公園で話し込んだりする事が多い。
今日も当然その流れだろうと思っていた友人が、未だに荷物をまとめていない八重にそう尋ねるのは、妥当と言えば妥当である。

「私今週日直だから、戸締まりとかしなきゃいけないんだ」
「そんなのサボッちゃえばいいじゃん」

チラッと黒板に書かれた日直の名前に目を向けた友人は、もう一人の日直を確認して鼻で笑う。

「岩泉に任せれば?今日どうしても帰らないといけなくて〜って」
「…いいよ、そんな手間なことじゃないし」
「大丈夫だよ、私岩泉と日直同じだった時ずっとサボッてたけど、アイツ何も言わなかったし」

ケラケラと笑う友人の話を聞きながら、それはただ呆れられたから何も言われなかったのではないか?と八重は内心で呟く。

「先生にも日直の仕事頼んだぞ、って釘刺されちゃったから、手伝って帰るよ」
「あ〜、成る程」

あの担任そういう所ずるいよね〜言い残し、友人はさっさと教室を出て行く。
彼女のああいう堕落した部分はどうにかならないのかとは思うものの、根の悪い人間ではないのだと知っていると複雑な気持ちになる。
友人グループの中では最も男性経験が多く遊んでばかりの彼女ではあるが、恋愛の事となると親身に話を聞いてくれたり、協力してくれたりするから友人も多い。
嫌だなぁと思う部分がある反面、嫌いにはなれないという矛盾が彼女の魅力といったところなのだろう。
そんな事を考えながら、八重は担任の先生に頼まれた通りに職員室に向かい、明日の朝クラスに配るためのプリントを運ぶ。
八重が教室に戻った時には、もう一人の日直である岩泉は戸締まりを終え、学級日誌を書いている最中だった。
自身の席に座り、うーんと唸りながら『今日のコメント』蘭に何を書くか悩んでいるらしい岩泉に、八重は後方から話しかける。

「日誌書けた?」
「うおっ!?」

急に話しかけられて驚いたらしく、もの凄い勢いで岩泉が振り返る。
その勢いのよさに八重も驚き、思わず手に持ったプリントを落としそうになった程である。

「そんな驚かなくてもいいでしょ」
「いや…悪い…」

シャーペンを片手に、岩泉はプリントを抱えた八重を凝視する。
まるで変なものでも見たかのようなその表情に、八重は首を傾げる。

「…意外だな」
「何が?」
「先に帰ったのかと思った」
「…私が、そんなことするって?」

不真面目な女だと思われているのが悔しい。
こう見えて学校の授業は遅刻も無ければサボッたことも無いし、授業だって一生懸命受けている。
そりゃあ普通の人よりは男友達などと遊んでいる事が多いが、それは素敵な人と出会いたいからで、それでも八重なりに誠実でいるつもりなのだ。
多くの人に言われ慣れたことではあるが、やはりどうしても噛み付いてしまいたくなるのは、そう思われてしまうことに自身が傷ついているという証拠なのだ。

「いや、そういうつもりじゃ…、」

八重の声色が低くなった事に気付き、「しまった」とあからさまに動揺した岩泉は、慌てて八重に訂正しようとした後、何故か言葉を一度止めた。
そして、予想外の事を口にした。

「…悪い、正直そう思った。決めつけたりしてごめん」

自身の非を認め、謝罪する岩泉に八重は少し驚く。
これまで男の人と遊んだりしてきたが、だいたいどの人もプライドを傷付けられる事を嫌い、自身の非を適当に誤摩化す人が多かった。
「八重ちゃんて男とっかえひっかえして遊んでそうだよね」と言われ、「そんなことないよ」と言えば、相手は「そんな見た目で嘘でしょ」なんて謝罪なくからかってくるのだ。
自分がそう思わせてしまっているのが一番の原因ではあるが、そんな男の人としか付き合いがなかったという部分が更に助長させていた。
しかし、だからこそ、目の前に座る岩泉一という予想外事を口にする男の存在に、何故かドキリとしてしまったのだ。

これが所謂、八重が岩泉一という男を意識するきっかけになった出来事である。





そうして翌日以降の放課後も、教室の日直の仕事をこなしながら、八重は岩泉と他愛ない話をした。
岩泉の所属するバレー部の事、あのモテモテの及川君の幼馴染みであること、英語が苦手な事、日を増す毎に岩泉に関する知識が徐々に増えていく。
八重が岩泉に話す内容といえば、友達と彼氏の喧嘩の話や、国語の先生は実は数学の先生と付き合っているといううわさ
話などである。
女特有の恋愛絡みの話題ばかりではあったものの、岩泉はある意味感心しながらその話を聞いていた。
このような話題は新鮮らしく、「へぇ」といつも反応をくれる事が嬉しくて、八重は家に帰って話題を探すようになった。
どんな話をしたら岩泉は驚くだろう、なんて女性雑誌のページをめくり、適当なネタを仕入れている時間が楽しかった。

そんな放課後の十数分のやり取りに、八重はいつの間にか居心地の良さを感じるようになった。
岩泉と話すのは意外と楽しく、気付けばこの1週間はあの男のことばかり考えている始末である。
恋愛関係の話をする事の多い八重の話に対し、岩泉は誠実で実直な意見を述べる。
「なんで浮気するのか分からない」「そいつが好きならそいつだけを大事にするだろ」なんて、ストレートな言葉を当たり前のように言い放つのだ。
そんなところで岩泉という人の男らしさや潔さを思い知り、八重はずるずると惹き擦られていく。
木曜日には男友達に遊ばないかと誘われたが、それを断わり岩泉との10分程の放課後を優先した時は、八重は自身が信じられなかった。

たった1週間、されど1週間。
そして日直最終日には、八重は岩泉一という男を視線で追うようになっていた。
日直最後の放課後。
戸締まりをすませ、学級日誌を書いている八重の席の正面に岩泉が腰掛けただけで、八重はいよいよドキドキするようになった。
八重が日誌を書くまで、一緒に待ってくれるらしい。
岩泉なんて私の好みのタイプでも理想でもないくせに、なんて内心で悪態をついてしまう時点で、既に手遅れだった。

「やっと日直も終わりだな」
「本当、これで放課後居残りしなくて済むね」

本当は終わって欲しくもないのに、そんなことを言ってしまうのは反射に近い。
寂しいね、なんて言う度胸もなければ、そう思ってしまっている自分を認めたく無い。
だって相手は、あの岩泉だ。
そりゃあ背は高いけど、特別かっこいいとかそういう風でもなければ、包容力のある大人のような人でもないし好みでもない。
しかし、どうしようもなく気になってしまうという事実が合わさり、八重はそれを受け入れられずにいるのだ。

そんな複雑な心境の中で、八重は頭の中で、昨日考えて来た話題を繰り返す。
さり気なく、なんでもないように、岩泉に聞いてしまえ。
そう気合いを入れながら、八重は日誌に目を落としている岩泉に視線を向ける。

「岩泉はさ、どんな女の子がタイプ?」
「……唐突だな」
「いや、勘違いしないで!あの…友達が、彼氏欲しがってて、男の子の好みの女の子が気になっただけで!」

慌てて弁解する八重の勢いに、岩泉は呆気にとられてポカンとしている。
しまった!と八重が思ったところで、もはや手遅れである。
ほんのり赤くなった八重を眺めながら、岩泉は少し吹き出して答える。

「…俺の好み聞いたって、なんの参考にもならねーと思うけどな…」
「分かんないじゃん!ほら、一つの意見として教えて欲しいというか…」
「ふーん」

観察するように岩泉にじっと見られている事に気付き、八重は冷静なふりをしつつ混乱を隠せない。
なんでそんなにこっちを見るの、やめて恥ずかしい!なんて八重が一人沸騰していると、岩泉はゆっくりと口を開いた。

「…真面目な奴」
「……うわ、岩泉っぽい」
「うわって何だよ…失礼だな…」

真面目な奴。
そう聞いた瞬間、八重の膨らむ期待はぷすりと萎んでいく。
分かっていた。
岩泉は見るからに、真面目で、清純な大人しい女の子を好みそうなのだ。
それに比べて自分はどうなのだろう。
見た目には気をつかっている八重ではあるが、確実に『派手な女』に分類される人間である。
合コンだって行くし、男友達も多いし、服装だって露出もあって派手なものが多いし、何から何まで岩泉の好みからは程遠いように思えた。
それになにより、日直1日目に岩泉に『不真面目な女』というイメージを持たれていた事を思い出し、八重は内心でガーンと気落ちする。

「俺も言ったから、夏目も言えよ」
「…え?」
「好みのタイプは?」

そう言いながら、岩泉は八重が書きかけの日誌をくるりと回し、今日一日の出来事を簡単に記入しはじめる。
どうやら、八重の手が先程から動いていないことを見かねたらしい。
動揺する八重を他所に、岩泉のこのいつも通りの態度が、余計に心の傷をえぐる。
私の好みなんて、実際のところどうでもいいのだろう。

「…金髪のイケメン」
「あぁ…夏目っぽいな」

そう言いながら、岩泉は日誌から顔を上げずに黙々と記入していく。
あまりの反応の薄さに、八重は心の内で勝手に落ち込む。
適当に言っただけよ馬鹿、興味ないなら聞かないでよ…と八つ当たりしてやろうかと思った八重ではあったが、岩泉の動く手が日誌の次の項目に移動したことに気づき、ふとその考えをやめた。

「待って岩泉、そこのコメントは私が書く」
「?」
「昨日とその前も岩泉が書いてたでしょ?これじゃ不平等だよ」

最後のコメントという部分は、一日を総まとめしての感想を書かなければいけない部分である。
日誌を書く上で微妙に面倒なところでもあり、大体皆この欄を記入する前は「何を書こうか…」なんて悩むものだ。
しかもなにより面倒なのが、担任の先生のチェックが入り、変な事を書いていると再提出になったりするのだ。
進んで書きたがらない項目を、岩泉ばかりに書かせてしまうのは平等ではない。
そう思いながら「だから私が書く」と言って反対方向になっている日誌をひっくり返す。
これは歴とした本心ではあるが、八重は未だに先程の岩泉との会話の内容の事を根に持っており、勝手に内心で拗ねていた。
先程の岩泉の気のない質問が気にくわないから、たっぷり時間をかけて書いてやる。
そんな下心を含んだ八重の思考など知る由もない岩泉は、コメントをまとめ始めた八重を眺めながら、独り言のようにボソリと呟く。

「…意外と真面目だよな、お前」
「え?何て?」
「…いや、なんでもねーよ」

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