高校2年の時の体育祭。
出場した短距離走で、出場者達と競い合うように疾走し、僅差で1位をとったことがある。
あの時は息があがり、激しく心臓が痛くなるのを感じながらも、勝った高揚感にじわじわと満たされていた。

「すげーじゃん、苗字さん」

控え席に行く途中、ナマエに声をかけてくれたのは、クラスメイトの花巻だった。
花巻も、同じ競技に出場するのだと今日この時知ったが、労いの言葉をかけられて悪い気はしない。

「ありがとう、花巻君も頑張ってね」
「まかせろ」

自信満々に笑ってみせた花巻は、その発言通り、最後の大トリでぶっちぎりの1位を取ってみせた。
あまりの速さにナマエは呆気にとられると同時に感心した。
外野の方からも「すげーぞ花巻!」「マッキーカッコイー!」などと歓声が飛ぶ。
この場が盛り上がってしまうほどの、本当に鮮やかな走りだった。

そして、走り終えた花巻は良い笑顔でナマエの方に顔を向けた。
「な、言った通りだろ?」と言いたげに表情を緩めてから、良い笑顔でピースをした花巻は、それはそれは輝いてみえた。
この時、うっかりときめいてしまったナマエは、後に花巻に苦しめられることになるとは、全く持って予想できなかった。



時は流れて、高校3年の8月。

花巻と再び同じクラスになれて喜んでいたのもつかの間、花巻から衝撃的な事を聞かされた。

「苗字と仲良い、黒髪ストレート女の子いるじゃん?」
「?、うん」
「あの子彼氏いんの?」
「……もしかして、好きなの?」
「好きっつーか、気になる」

嬉々として情報を引き出しにやってきた花巻とは反対に、ナマエの心の内ではブリザードが吹き荒ぶ。
半年以上も抱き続けたこの恋心は、どうやら行き場を失ったらしい。
それなりにショックだったものの、次から次へとあの子の質問が止まない花巻を見ていたら、なんだかどうでも良くなってきた。
あの時は妙に冷静になって、花巻の質問に答えられる範囲で律儀に答えてしまった。
そのせいで、今に至るまで花巻は、気になるあの子について片っ端からナマエに聞いてくるようになった。

ナマエがうっかり惚れてしまった男は、ナマエのことをただ気になるあの子の情報源だとしか思っていない。

「あの子の好物シュークリームってマジ?」
「そうだけど…」
「俺と一緒じゃん…!」

なんだか感動している雰囲気の花巻に、ナマエは吐き捨てるようにハッと笑った。
こっちの気もしらないで、好物が被っただけで喜ぶとか乙女か、と内心ツッコミを入れる。
図書委員の仕事で放課後残っているナマエのところにわざわざやって来て、言う事はそれかと呆れた表情をすると、花巻はスイッと視線を逸らした。

「…こんなこと私に聞いてくるくらいなら、本人に直接聞けばいいのに」
「だって恥ずいじゃん」
「そんなこと言ってるから、今だってろくに話せないままなんでしょ」
「……」

ナマエの言葉が痛いのか、ポケットから携帯を取り出していじりはじめる花巻に更に呆れる。
絶対に花巻には言ってやらないが、以前あの子は「花巻君てかっこいいよね」と零していた。
きっと話しかけでもすれば、それなりに上手くいくだろう。
私なんて想いが伝わるどころか、今更この状況では花巻が好きだなどと言いだせるはずもない。
悔しいから、この事は絶対に花巻に教えるつもりはないけれど。

携帯の画面を操作している花巻をこっそりと睨むと、花巻は「ん?」と言葉を漏らした。
何だろう、とナマエが疑問に思うと同時に、再びこちらに顔を向けた花巻も、なんだか良く分からないような顔をしていた。

「なぁ苗字、委員会の仕事何時まであんの?」
「あと15分くらいで終わり」
「そっか」
「…何かあるの?」
「なんか、松川から連絡来てる。お前つれて近所の公園来いって」
「……なんで?」

さぁ、と花巻は肩をすくめた。
花巻にも分からないことがナマエに分かるはずもなく、二人揃って首を傾げた。




しかし、この時点で松川に呼び出しの詳細を聞いたところで、二人は理解できなかっただろう。
こうして目の前に立っている人物を見ても、状況が理解できていないのだから。

「あぁ…若いなぁ私」
「…えっ?」

呼び出された公園に花巻と赴けば、松川だけでなく及川君と岩泉君の姿もあった。
でかい男が3人して、公園のベンチを囲っている不審な光景に二人して眉をひそめたが、どうもベンチに座っている女性を周りから隠したかったらしい。
逆に目立ってるじゃん、というナマエのツッコミは、ベンチに座っている自分にそっくりな女性を視界に入れたせいで、言葉にならなかった。

年齢は20代半ばくらいだろうか、落ち着いた雰囲気のブラウスに清楚なスカートを纏った綺麗目な女性は、ナマエを見つけて思わず立ち上がった。
そして、ナマエに何度も何度も「若い!」と連呼するものだから、ナマエはまとまらない思考の中、なんとか質問した。

「あの、貴女は?」
「…信じてもらえるか分からないけど、花…苗字ナマエです」
「…えっ?」

意味が分からず、目を白黒させているナマエと花巻を他所に、大人の自称ナマエさんは目をキラキラさせて喋り続ける。

「気がついたらここにいたんだけどね、高校生の頃の松川や及川君や岩泉君見かけてびっくりしちゃって!」
「はぁ…」
「それに高校生の私にも会えるなんて!これ夢なのかな、それにしても懐かしい…」

ナマエの制服を触り「あぁこんなの着てたなぁ!」とはしゃぐナマエさんに、されるがままである。
そんなナマエを他所に、花巻は外野に回って及川達にこそっと事情を聞く。
松川曰く、帰りがけに公園にいる苗字のそっくりさん見つけて、声をかけたのだという。
戸惑いを隠せない松川に、マシンガンのように言葉を浴びせ、不運にも通りかかった及川達をも捕まえて、この集団はできあがったのだという。
事のあらましを聞いてもさっぱり理解できないが、妙に慣れた様子で2人のナマエを見守っている松川達に、花巻は疑問を抱かずにはいられない。

「なぁ、なんでお前らそんな冷静なわけ?」
「考えたって分からないんだもん、しょうがないでしょ」
「いや、それにしても落ち着きすぎだろ」
「お前らが来るまでずっとこの調子で喋り続けてんだぞ?慣れたわ」

疲れたように言っているくせに、妙に嬉しそうにしている岩泉に、花巻は違和感を覚えた。
そんな花巻の心情を察して、及川はもの凄くニヤニヤしながら耳打ちをする。

「あの大人の苗字さん、未来から来たとか言うから、未来の俺達はどんな感じ?って聞いたんだよ」
「おぉ?」
「そしたらさ…なんと最近岩ちゃんところに子供産まれた!って言うんだよ」
「こ、子供!?」
「そうそう、しかも奥さんは岩ちゃんの今の彼女。それ聞いてからご機嫌なんだよ、気持ち悪いことに」
「オイ及川聞こえてんぞ」

聞こえるように言ってるんじゃない?という松川のなんのフォローにもなっていない発言に、岩泉は及川の胸ぐらを掴む。
まーた喧嘩がはじまったよ、と呆れる花巻に、松川は楽しそうに笑っている。

「…なんか、松川も機嫌いいな」
「ちょっとな」
「何、お前も結婚して子供でもいたの?」
「違う違う」

何がそんなに楽しいのか、聞いても教えてくれなさそうにしている松川に、花巻は早々に追及することをやめた。
そして再び、大人のナマエに絡まれている高校生のナマエに視線を向ける。
一目で同一人物だと分かるものの、年齢を重ねたナマエの雰囲気は大人特有の色っぽさが漂っている。
アイツあんなに綺麗になるのか、とぼんやりと思った花巻は、聞こえて来た二人の会話内容に目を見開いた。


「実は私昨日、妊娠が発覚したんだけど」
「えっ、に、妊娠!?」
「そうそう、いつ旦那に切り出そうか悩んでて、」
「だ、誰と結婚したの!?」

食ってかかるように質問したナマエを見て、大人のナマエさんは暫し口をつぐんだ。
彼女もナマエならば、何故このときの私がこんなに必死なのか分かるはずだ。
期待と不安、そのどちらもが混ざり合ったような視線をうけて、ナマエさんは微笑んだ。

「それは…」
「それは……?」
「…そのうち分かるよ」
「えっ」

そのうち、ということは、未来の旦那と近いうちに会える、ということなのだろうか。
首を傾げたナマエを眺めて、大人のナマエさんは口元を緩める。
私も将来、こんな落ち着いた雰囲気を纏えるようになるのかと見蕩れていると、次の瞬間、企みを含んだような笑みを浮かべた。
ニヤリと擬音のつきそうな表情は、花巻がろくでも無い事を思いついたときの表情に似ている気がする。
彼女の顔を見てナマエが固まったのも束の間、大人のナマエさんは楽しげに口を開いた。


「アナタの未来の旦那様は、好きな子の情報聞き出したい、っていう理由つけないと私に話しかけて来られないような人だけど」
「…えっ」

何それ、それってまるで…。
ナマエが思考を止めたと同時に、外野にいた花巻が盛大に吹き出した。


「でも安心してよ、つき合いはじめたらアナタ誰?っていうくらいに甘くなるから。私今、とても愛されていて幸せよ。世界一、幸福な妻である自信がある。だからあなたも、今の気持ちを大切にしてね」

トン、とナマエの胸の真ん中を指でつつき、ふわりと笑ったナマエさんは、瞬きした次の瞬間には目の前から姿を消していた。
あまりに現実離れした光景と、彼女の最後の言葉が脳内を旋回して、ナマエは顔が紅潮していくのが分かる。

「…なんだ、花巻ん所にも子供産まれるのか」
「岩ちゃん空気読みなよ」

「分かっても言っちゃ駄目でしょ」と子供に言い聞かせるように唇の前にひとさし指を立てる及川の言葉に、岩泉は素直に口を噤む。
いや遅いだろ、とツッコミを入れる松川の隣に立っている花巻も、ナマエと同じくらいに顔が赤かった。

つまりは、そういうことらしい。

愛しの未来のお父さん

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