人生にはモテ期が3回訪れるという。
そんな根拠も無い話を信じているというわけではなかったのだが、ナマエが今、モテ期という言葉を重い浮かべるくらいには衝撃的な事が目の前で起こっていた。
「僕とデートしてくれませんか?」
目の前に立つ男は、それはそれは眩しい笑みを浮かべていた。
午前中の練習が終わり、帰宅しようとしているタイミングだった。
同じ時間帯に練習をきりあげていた男子バレー部の生徒を見かけて、もしやと思えば案の定、及川を見つけた。
ナマエを見かけて、フンと鼻で笑うものだから、ナマエは口元を引きつらせる。
高校生活3年間、及川とずっと同じクラス、部活も同じバレー部で、妙に奴とは縁があるとは思っていた。
それだけの共通点があると、及川もナマエの事を気にとめていたようで、それなりに話すようになり、打ち解けて今では軽口を叩き合うくらいの仲になっていた。
ただ、その気軽な仲になった事が災いし、最近では及川と嫌味の応酬ばかりになってしまっていることが、ナマエの悩みでもあった。
「あーあ、苗字に会っちゃった。今日は何か良く無い事が起こりそう」
「人を疫病神扱いしないでくれる?」
「うわぁ、そんな酷い顔で俺を睨んでくるの苗字くらいだよ」
「あぁ?」
まるで女子らしからぬ低音で返せば、及川は隣を歩いていた岩泉の後ろに隠れて「岩ちゃん怖いよー」と宣う。
両肩を背後から及川に掴まれた岩泉は、もの凄くどうでもよさげに「ハイハイ」とあしらう。
いつもの光景に岩泉は慣れきってしまっており、もはや一々反応していては気が持たないのだ。
「そんな態度だから、苗字はいつまでたっても彼氏もできないんだよ」
「自分がモテるからってすぐそっちの方に話持って行くのやめなよ、恥ずかしい」
「………」
「………」
「おい、喧嘩すんのは勝手だけど俺を巻き込むな」
険悪な雰囲気を漂わせるナマエと及川を見かねて、その2人に挟まれている岩泉は迷惑そうな顔をする。
後方を歩いていた花巻や松川達も「まぁーたやってるよ」と呆れ顔で2人の様子を眺めていたが、当事者達はそれを知る由も無い。
お互いにじりじりといがみ合いながら硬直する戦線はしかし、急遽第三勢力によって討ち滅ぼされることになろうとは、誰が予想できただろうか。
二人が険悪な空気を纏ったまま校門を出ると、校門の壁際に背中を預けていた見知らぬ男が歩み出た。
突然の事に、ナマエと及川も「何だ?」と疑問符を浮かべる。
及川並の高身長にスラッとした体系、ジャージを来た見知らぬ甘いマスクの男は、その美しい顔でニコリと笑いかけた。
「久しぶり、ナマエさん」
「…は?」
到底、優しく声をかけられた女がするような反応では無かった。
突然目の前に現れた、まばゆいオーラを放つ男にナマエは目を白黒させた。
隣に立っていた及川は驚愕に目を見開き、更にその隣にいる岩泉はきょとんとしている。
全く覚えが無いが、どこかで会ったことがあっただろうか?
必死に記憶を手繰り寄せているナマエに気づいたのか、イケメン君は困ったように眉を下げて笑う。
「あー…覚えてない?」
「…ごめんなさい、全く」
「そっか、残念。僕は君の事忘れられなかったんだけど」
およそ高校生男子らしからぬ歯の浮くようなセリフを吐く男に、ナマエは硬直し、岩泉は「うげぇ」と眉間に皺を寄せた。更に及川に至っては真顔である。
「あの…どこかで会いましたっけ?」
「うーん、説明するとちょっと長くなるんだけど…」
目の前の男は、顎に手をあてて考え込んだ後、パッと顔を輝かせた。
「ナマエさん、この後時間ある?」
「え…?あ、はい」
「話もしたいから、よかったらこの後、僕とデートしてくれませんか?」
「デ…!?」
意味不明なこの状況に、ナマエの理解が追いつかない。
これはもしかしてナンパという奴なのだろうか?初めて男の子にこんなことを言われたものだからナマエは対応に困った。
この当事者が及川で、相手が可愛い女の子だったなら「いいよ☆」と語尾に星マークつけるくらいに快い返事をさらりと返せるのだろう。
女子に好意を寄せられる事に慣れた及川ならではの余裕のある対応を思い浮かべるも、ナマエはそれと同じような発言はできそうに無かった。
だってそうだ、こんなかっこいい人にそんな事を言われて、余裕を持てるような耐性は無い。
カァーと赤くなるナマエを見て、イケメン君は「かわいいね」なんて零すものだから、ナマエは羞恥で頭がどうかなりそうだった。
「で、どうかな。ナマエさん?」
「………」
なんて返そうか。
その悩みよりも、別の気がかりがナマエの脳裏を過る。
ちらりと隣の及川を盗み見ると、驚いた事に及川はじっとこちらを見ていた。
しかし、目が合った途端、及川はフイと視線をそらす。
「こんな可愛げの無い女デートに誘うなんて気が知れない…」
及川がボソリと投下した呟きに、ナマエの眉がピクリと歪むと同時に、心臓をぎゅっと締め上げられたような感覚に陥る。
憎まれ口を叩き合うような腐れ縁ではあるが、腹立たしい事にナマエは密かに及川に好意を寄せていた。
きっとこの男はそんな事気づいてもいないし、ナマエがそれを打ち明けたところで気味悪がるだけだ。
避けられるようになるかもしれない、今までのように軽口を叩き合うこともできなるかもしれない、ということを思えば、この気持ちを打ち明けるつもりもない。
きっとこのまま、部活を引退し、高校を卒業し、及川とは自然と縁が切れて行くのだろう。
及川とどうにかなりたいとは思わない。しかし、いざ及川に突き放されるような事を言われると、正直傷つくのが現状なのだ。
なんて面倒くさいんだろう、自分でも呆れつつ、行き場の無い怒りの行き先を見つけた。
「うん、いいよ。行こう」
「本当?よかった」
半ば及川への当てつけだった。
ニコー、と屈託の無い笑顔を浮かべるどこの誰かも知らない男の隣に並び、及川達に別れの挨拶を告げる。
不服そうな表情の及川に、ざまぁみろと口パクで吐き捨てると、奴は眉間の皺を深くする。
ふん、と鼻を鳴らし、イケメン君の隣に並ぶと、彼が嬉しそうにするものだから少し罪悪感が湧いた。
「あっちのカフェにいこうか」と言うので、ナマエは素直にその言葉に頷き、歩き出す。
及川達は、ただナマエが去っていくのを見送るだけだった。
「…やっぱり、ナマエさんはナマエさんだね。前に会った時とあんまり変わってない」
「そう…?というか、本当にどこで会ったっけ?」
こんなかっこいい人と会ったとなれば、記憶にしっかりと残っていそうなはずなのに。
全く思い当たらないとはどういうことなのだろう。
「うーん、素直に答えるのも面白くないから、ヒントを言おうか」
「えっ?」
「僕は一体誰でしょう?」
クスクスと笑う姿が、何故か及川の姿と重なった。
ナマエの好きな、及川がたまに見せる屈託の無いの笑顔に似ている気がする。
「じゃあヒント1。僕がナマエさんに会ったのは…今から何年か後の話だよ」
「…何年か後?」
何だろう、なぞなぞか何かなのだろうか。
ナマエが首を捻ると、彼は嬉しそうに話を続ける。
「ヒント2、場所は東京」
「東京…?私、東京へは中学の時に1回行っただけなんだけど…」
「あ、そうなの?」
「…もしかして、適当な事言ってる?」
けろっとした顔のイケメン君に、ナマエはやや警戒心を持つ。
言っていることが滅茶苦茶なうえ、辻褄も合わない。
もしかして、本当にナンパだったのだろうか?
ナマエが身構えると、イケメン君は苦笑いを浮かべた。
「ごめん、実はちょっと嘘ついた」
「…やっぱり、会ったことないよね?」
「いや、ちゃんと僕たちは会ってるよ」
目を細めて、懐かしげに彼は笑う。
とても嘘をついているように見えないその様子が、余計にナマエを混乱させる。
「実は、僕はここに重要な任務を課せられてやって来たんだ」
「…は?」
急に電波的な話を持って来るイケメン君を見て、残念なイケメンってこういうことを言うのかもしれない、とナマエは密かに心の隅で思う。
「これが結構重要でさ。この任務を達成しないと僕の人生に関わるんだよ」
「…そんな重要なことがあるんなら、デートなんてしてる場合じゃないでしょ?」
ナマエは極めて正論を言ったつもりだ。
しかし、見上げる程高い位置にある彼の目は、不敵にスッと細められる。
そして不意に、ナマエの方に顔を向け、身を屈ませた。
急に近くなった顔と顔の距離に、ナマエは言葉を失う。
それを見て満足そうに笑った彼は、ナマエの右頬に手をそっと滑らせた。
「案外、そうでも無いんだよ」
パシン。
ナマエ耳のすぐそばで、何かが弾かれたような音が響いた。
反射的に音のした方を振り向けば、なんとそこには及川が立っていた。
ナマエの頬に添えられたイケメン君の手を及川がひっぱたいたらしく、彼は少し痛そうに左手を摩った。
眉間に皺をよせ、無言の威圧感を漂わせている及川は、静かに怒っているようだった。
「痛いなぁ」
「…何してるの」
及川の地を這うような声色に、ナマエも少なからず驚く。
及川がここにいることもそうだが、こんな風に怒っている姿を見るのは初めてだった。
睨み合う及川とイケメン君、第三者から見れば目の保養になるこの光景も、当事者であるナマエにとっては修羅場の中にいるような心境だった。
しかし、この緊迫感漂う雰囲気は、突如吹き出したイケメン君によって破壊される。
急にげらげらとお腹を抱えて笑いだした彼を、ナマエと及川は呆気にとられたように眺める。
「ぶっはは…ずっと後を付けてきてるなぁとは思ってたけど…ぶふふ」
「…何なんだよ、お前」
「くく…何だと思う、徹さん?」
唐突にイケメン君が及川の名前を出したものだから、何で及川の名前を知っているのかとナマエも及川も疑問を浮かべた。
しかし「俺の事も知ってたのか、まぁ俺有名人だしね」と片付けた及川は、なんというか流石である。
「あははは…あーあ、本当に世話がやける」
イケメン君はやっと笑いが落ち着いたようで、息を整えてからナマエと及川をまじまじと眺めた。
まるで目に焼き付けるかのように見られるものだから、妙に居心地が悪い。
「相変わらず、素直じゃないよねぇ父さん」
「…は?」
父さん、と呼ばれた及川は、口をポカンと開けて停止した。
同時にナマエの思考も止まったのだが、ふと先程までした会話の内容を思い出した。
名前を知っていたこと、私と会うのは何年か後ということ、場所は東京であること、彼の人生に関わる重要な任務があること、その重要な任務のために今この状況を作り出していること。
全ての点と点を結び、繋あわせて出て来た答えは、にわかに信じがたいものだった。
みるみる顔が紅潮していくナマエを見て、彼は楽しそうにニヤリと笑う。
その面影が及川と重なるのは、気のせいでは無いということなのだろうか。
よくよく見ると、彼の髪色や髪質は随分ナマエと似ている。
「ナマエさんは察しがいいね」
「……嘘でしょ」
信じられない、そう言ったナマエであったが、それが事実であるならばと浮かれずにはいられなかった。
そんなナマエの様子と、状況が理解できずに不機嫌そうな及川を見て、イケメン君はくるりと背を向けた。
「うん、どうやら任務は達成されたみたいだ」
「…え?」
まばたきをすると、何度か彼の姿が消えたり現れたりするようになる。
ひらり、と手を上げる彼は、どこへかは分からないが『帰る』という事だけは直感した。
「待って、君の名前は?」
ナマエが慌てて声をかけると、彼はニシシと歯を見せて笑った。
「僕の名前は、2人が決めてよ」
まるで空気に溶けるように、彼の姿は消えて行く。
「またね、父さん、母さん」
そう言い残して、名前も知らない彼はあっさりと消えて行った。
目の前で起きた超現象が信じられず、ナマエも及川も放心状態のまま立ち尽くす。
硬直すること数秒、微妙な空気を漂わせる沈黙を破ったのは、及川だった。
「ねぇ、あいつ今、父さん母さんって言わなかった?」
「…うん」
「何、真に受けるの?」
「べっ別にそういうわけでは!」
「顔めちゃくちゃ赤くしてそんなこと言われても説得力の欠片もないんだけど」
「……及川」
「…何」
「なんで、ここにいるの?」
こんなことを聞く前に、もっと言う事はあったのかもしれない。
しかし、ナマエは目の前にちらついた未来の可能性と、自身を追いかけて来てくれた及川に、期待せずにはいられない。
その質問に、及川は普段通りの表情でナマエを見下ろし、さらりと吐き捨てた。
「分からないの?」
その姿すら様になって見えるのは、惚れた弱味だろうか。
この事件の事は、今でも印象深く覚えている。
半ば夢のように感じられたが、未だに夫の記憶にも残っているこの出来事は、私たちがこうして人生を共に歩むきっかけとなった。
ふくらんだお腹を撫でながら、隣の夫に寄り添えば、当たり前のように抱き寄せてくれるこの日常を、与えてくれたのはこの子なのかもしれない。
もう一度あいつに会って文句を言ってやらないと気が済まない、それが及川からのプロポーズの言葉だった。
愛しの未来のキューピッド
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