お互いに好き合っている男女がより仲を深めるために、彼氏彼女になるのだと港は認識している。例外はいくつか存在するだろうが、少なくとも好意の延長線にあるものだと思う。
 「何故自分と付き合ってくれているのか」という港の質問に対し、及川は「そういうこと」だと言った。そういうこと、となると及川は、港の事が好き、という事になる……のだが。
 あれは遠回しではあるものの、告白だったはずだ。港の個人的なイメージとしては、告白した相手に翌日教室で遭遇した時、気まずくなるか照れるかの二択である。しかし、この男は朝一番に港に会って早々、第一声が「弁当忘れた」だった。
やってしまった! と頭を抱えていた及川だったが、港は港で「何で私の顔見て弁当の事思い出したの?」という疑問の言葉しか出てこなかった。気まずくも無く、恥ずかしくも無く、通常通りの自分たちの様子に港はやや肩を落とす。少なからず、浮ついた空気が流れるのではないかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。昨日あの後、家に帰ってひとりでドキドキしていた自分が取り残されたような心地がした。

「今日ハンバーグだったのに……めちゃくちゃ楽しみにしてたのになぁ」

 「あーあ」と肩を落とす及川に、内心で「子供か」とツッコミを入れる。しかし、「弁当」という言葉を聞いて、港もつられてハッとする。登校時、いつも右手に持っているお弁当袋が無い事に今気づいた。

「最悪だ……私もお弁当忘れた」
「は?」
「海老フライ入ってたのに……!」
「子供か」

 及川には言われたく無い一言である。ガクリと肩を落とすと、自分も弁当を忘れたくせに「ざまぁみろ」とばかりに笑っている及川が腹立たしい。しかし、ここで及川は一旦笑うのをやめてから、まじまじと港を見下ろした。

「ん、ということはお前も昼は購買?」
「……まぁ、それしかないでしょ」

 購買は早くに行かなければ良いものが持っていかれてしまうので、午前の授業が終わったらかなり急がなければならない。はぁ、とため息をついた港を他所に、及川は「いいことを思いついた」とニコリと笑う。

「有馬、昼休みちょっと付き合ってよ」
「……どこに?」
「お昼一緒に食べようよ」

 及川の思わぬ誘いに、港は目を見開いた。



 昼休み。及川と一緒に購買に行くついでにご飯を食べる事にした港は、授業を終えて早々に席を立ち、教室を出て行こうとすると友達に声をかけられた。

「有馬、彼氏と仲良くねー」

 ニヤニヤと言った表情で手を振られ、港は居心地悪く背中を向ける。港の初めてできた恋人があの及川だったために、仲の良い友達は揃って面白がっているのだ。曰く「及川君と港がチューするのとか全然想像出来ない」らしい。私もそんなこと全然想像できない。けらけらと聞こえる笑い声を受けながら、港は廊下に立っていた及川に視線を向ける。及川も港の友達同様、楽しそうに笑っていた。

「お前、本当によくからかわれてるよね」
「……原因は全部及川でしょ」

 二人で廊下を歩きながら不満を言うと、及川は「仕方ないよねぇ」と間延びした声で投げやりなことを言っただけだった。自分に向けられる面倒な事をさらりとかわす様は、相変わらずだ。

「というか、早く行かないと購買のパンとかなくなるよ」
「そうだ……急ごう」

 二人で顔を見合わせてから、やや走り気味に購買へと向かう。授業が終わってからわりとすぐにかけつけたというのに、購買の前はずでにひとだかりができていた。やきそばパンが欲しいところではあるが、人気のある商品のためもう既に無くなっているかもしれない。

「お前、どうせやきそばパン食べるんでしょ?」
「……」
「普通に並んだんじゃ、多分買えないだろうけど」

 その通りなのだが、この見透かして馬鹿にしているような発言はどうにかならないものだろうか。じり……と横目で睨むと、及川はフフンと得意げな表情で鼻で笑った。

「まぁ、見てなよ」

 港にそう言って、及川は人だかりの中に混じっていく。しかし流石の及川と言えど、人だかりのせいで、机の上に並べられた商品が見えるはずもない。あの自信はなんだろう……と遠目で眺めていた港だったが、数秒後、及川の得意げな表情の根拠に気づく。

「おばちゃん、焼きそばパンある?」
「あら、及川君! あるわよ〜」

 及川の声かけに顔を上げた購買のおばちゃんの一人が、でれでれとした表情で焼きそばパンを手に取り、それを振ってみせた。そのついでに及川は他にも欲しいパンを口頭で伝え、遠くから会計を頼む。及川の前の方に並ぶ生徒は「何だよ……」と言いたげに振り返るが、相手が及川だと分かると諦めた様子で目の前の商品を吟味し始めた。三年生で背の高い人気のある男子生徒に、口を出そうという生徒はいないらしい。しかし、正直それはどうなんだろう。

「はい、焼きそばパンとクリームパン」

 整った見た目のこともあるが、日頃のコミュニケーション能力の賜物なのか、おばちゃんと仲良さげに話した後、及川は戦利品を手に戻って来た。そうしてスッと港の手にパン二つを置いた及川は、さぁ感謝しろ、と言いたげに腰に手をあてる。

「……はい、パン代二五〇円」
「ねぇ、ありがとうとかないの?」
「ありがとう」

 素直に言うのはなんだか癪にさわるので、とりあえず空気を濁してからお礼を口にする。それに対し、手のひらに乗せられた小銭を眺めながら、及川は呆れたように口を開いた。

「……ほんと、可愛くない」
「それを彼女にしてる及川はどうなの?」

 ひくり、と及川が口をひくつかせたのが分かった。半分は嫌味ではあったが、もう半分は確認の意味をこめての発言でもあった。及川は本当に、私の事が好きなのだろうか。密かに港の下心が含まれたこの質問に、及川はやや不満そうな顔をした。心外だ、とでも言いたげである。

「……あのさ、俺にも好みっていうものがあるんだよ」
「……うん」
「理想はさ、小さくて守ってあげたくなるような、可愛い女の子と付き合いたいよ、俺だって」

 ハァと盛大なため息と共に吐き出された言葉に、港はグサリと胸を刺されるような心地がした。小さくて守ってあげたくなるような可愛い女の子、なんて条件は港に当てはまるどころか、かすりもしない正反対の存在である。ぐ、と唇を噛み締めた港に気づかない及川は、普段通りの態度で言葉を続ける。

「それが何を間違って、お前と付き合ってるんだか……」

 俺にも良く分からない、と言って及川はスタスタと廊下を歩きはじめる。じゃあ、付き合わなくてもいいじゃないか。

普段の港ならば、簡単にその言葉を引き出せたはずなのに、今は口に出来なかった。初めて出来た彼氏という存在を手放すのは勿体ない、などという感情よりも「嫌だ」という思いが先走る。

「……何立ち止まってんの」

 早く来なよ、と言いたげに軽く振り返った及川を眺めながら、港は心の中で冷や汗を流す。まずい。何がまずいのかは良く分からないが、今自分が戸惑っているこの状態は何か良く無い気がする。

「……ごめん」

 一瞬で息を整え、港はパンを片手に走り、及川の隣に並ぶ。そうしてちらりと及川を見上げると、及川もこちらをじっと見下ろしていた。慌てて走ってきたせいでやや乱れた港の髪をさり気なく整えて、及川は屈託なく笑う。

「あはは、ヤマンバみたい」

 この男は、いつも一言余計だ。そうして及川に誘導されるままに辿り着いたのは、生物室横の裏庭だった。人通りも少なく、閑散としたこの場所は思いの他日当りもいい。二人してレンガ作りの花壇に腰掛け、目の前に広がる畑を眺めながらパンを口に運ぶ。

「よくこんな場所知ってたね」
「ここ、それなりに有名な告白スポットなんだよ」
「……」
「まぁ有馬には縁の無い所だろうけど」

 もぐもぐとクリームパンを食べながらも嫌味は忘れない及川に対し、港は額に青筋を浮かべる。仮にも彼女の前でそんな「俺何回もここで告白されたことあります」みたいな事を言うだろうか。どういう神経をしているんだコイツ、とは思いながらも、やはり「別れよう」などと言えない自分はおかしい。それに何だろう、少し、悲しいかもしれない。
 むしり、と口に含んだ焼きそばパンの味もあまり感じられず、港は目の前に生えている草を眺める。踏まれても踏まれてもたくましく生き続ける雑草は、隣に咲く綺麗な花をより飾り立てている。こうして引き立てる分にはいいかもしれないが、同じ鉢の中に一緒に並ぶのは酷くおこがましい気がする。むっつりと黙り込んだ港を不審に思ったのか、及川はやや目を細めて隣に視線を向ける。

「……珍しいね」
「何が?」
「言い返さないんだ?」
「……事実でしょ」

 及川が女の子に好かれることも、港が男に好かれないことも、まぎれもない事実なのだ。今までならば、ただその事実を指摘されて腹立たしいという思いしか湧き上がってこなかったはずなのに。何故こんなにも、惨めに感じてしまうのだろう。

「私は及川が言うような、理想には遠いし」

 眉間に皺を寄せた港を認めて、及川は一瞬静止する。やや目を見開いてから、難しい表情をしている港に何かを言いかけたが、及川はゆっくりと口を閉ざす。そうして数秒の沈黙の後、及川は突如吹き出した。

「ぶくく……」
「……」

 楽しそうに笑いを抑えている隣の男の様子を察し、港は内心で悪態をつく。笑うなら笑えば良い、と自棄になりながらも、視線は正面に生える雑草に向けたままだった。

「……俺、わりとお前に好かれてるんだね」

 気持ち弾むような発言の後、不意に港の肩に重みのある何かが乗った。何だ、と反射的に振り向こうとした港だったが、視界に見覚えのある茶色い髪が見えて動きを止めた。状況が一瞬理解出来ず真っ白になったものの、肩に乗せられた及川の頭の重みに、嫌でも思い知らされた。及川が、港の肩に寄りかかっている。

「あのさ」

 不自然な程に静かな口調で、すぐそばにいる及川が口を開く。そのせいで、決して軽くは無いが潰れる程でもない重みが肩で震えた。

「さっきのことだけど」

 このままの状態で話を続ける及川に、港は一瞬息の仕方を忘れた。ドキドキと音を増した心臓の鼓動を感じながら、肩にかかる温度にごくりと息を飲む。

「お前さ、全然男にモテないじゃん?」
「……は?」

 しかし、及川の口から飛び出た発言はこれである。静かな空気に砂糖を投下されそうな雰囲気をぶち壊し、及川は真面目な様子で言葉を続ける。

「まぁ、それだけたくましかったらあんまり男も寄って来ないだろうから、仕方ないけどさ」
「……馬鹿にしてるの?」
「それもある」

 それもあるんかい、と思わず関西弁でツッコミを入れてしまった。

「でも、お前はそれでいいよ」

 港の肩に頭を乗せているせいで、及川の声がダイレクトに耳に響く。それだけでなく、男の人とこんな風に至近距離で寄り添い合うことなど経験の無い港には、当然免疫もあるはずもない。

「理想と現実は、違うって言うでしょ?」

 ガチリと硬直している港に気づいて、及川は密かに口端を上げる。

「例えば、今目の前に俺の理想の女の子が現れたとして、その子と付き合うのかと言われれば、そうじゃないんだ」

 いつになく真面目に話す及川に、港は息を詰める。逃げられない。そうはっきりと自覚した瞬間に、港の脳内は及川に支配される。

「理屈とか理想とかどうでもいいから、お前がいいなって思ったんだよ」

 俺もそれを認めるのに、凄く時間がかかった。固まったまま、みるみる紅潮していく港を気配で察したのか、及川は柔らかく笑う。そして自身に向けられつつある見込みある想いを確かなものにすべく、悪魔の如く囁く。

「現実って良くわからないよね。でも一度受け入れると、楽になるよ。きっとそれはお前にも、当てはまるんじゃないの?」

 存分に意識して落ちて来い。理想も理屈も通用しない、俺の居る場所へ。

理想も理屈も覆す

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