先日の体育祭の借り物競走で、及川と港が付き合っていることが学校中に知れ渡ることとなり、港はある意味で忙しい毎日を送っていた。友達に「あんたと及川が付き合ってるって本当だったんだ」と笑いながら言われたり、及川に気があったであろう女子生徒に声をかけられ「あれは本当なのか」と問いつめられたり、なんだか有名人になった気分である。クラスの男子からは「そのまま及川捕まえておいて」と親指を立てられ、港は苦笑いを浮かべた。
 高校最後の文化祭と体育祭が終わり、残るイベントは目前に控える春校予選と、受験のみとなった。春校予選の練習も大詰めとなり、来週以降はオフの月曜日も部活の練習に参加することとなる。そして今日は、春校予選前の最後のオフの日である。家でのんびりしようかと考えていた港だったが、昨日及川から連絡があり「デートに行かない?」と誘われた。デート、という言葉を及川に言われるのはなんだか気恥ずかしいが、正直なところ嫌では無いので、港は素直に及川の提案に頷いた。しかし、デートにどこへ行くのかと言えば、いつもの近所の公園である。また買い食いか、とは思わないでもなかったが、公園で喋るくらいしか妥当な案は浮かばなかった。お互いの家に行くという案もあったが、なんとなくハードルが高い気がして、港は早々に選択肢から切り捨てた。

「有馬」

 不意に背後からかけられた声に、港は肩を跳ねさせた。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは予想通り、及川だった。あからさまに驚いた様子の港を認めて、及川は不審そうな表情で首を傾げる。

「何でそんな驚くの……?」
「いや……ごめん……なんでもない」

 なんだか最近、及川と話すのが妙に苦手だ。前はわりと思ったことを何でもぶつけ、ずけずけとした態度がとれたというのに、今は緊張してしまうのは何故だろう。

「まぁ……いいけど。ほら、行くよ」
「あ、うん」

 机の上に置いたカバンを肩にかけ、港は及川について教室を出る。「えっ、もしかしてデート?」と驚いた顔をするクラスの男子に、「そうそう」と軽く返す及川を眺めながら、港は無言で廊下を歩く。チラチラと何人かの女子の視線を受けて居心地悪く感じている港だが、及川はそんなことなど知ったことではないらしい。

「なんかお前、大変そうだね」
「……何で大変か、分かってるんじゃないの?」

 じとりと及川を睨み上げると、及川もスイッと港を見下ろした。

「俺モテちゃうから、しょうがないよねぇ」

 へらりと笑ってみせる及川の足を軽く蹴ると、大して痛くもないくせに過剰に痛がり始めた。当たり屋か、と内心ツッコミながらため息をつけば、及川はけらけらと笑って港の頭にポンと手を置いた。

「ま、俺がお前の彼氏の間は、何かあれば助けてあげるから安心しなよ」
「……はいはい、あんまり頼りにしませんね」

 平静なふりをした港だったが、頭に手を乗せられるのは初めての事で、心臓がきゅっと縮む思いがした。大きな無骨な手は数度港の頭を撫でるように叩いた後、あっさりと離れて行く。それを名残惜しいと思ってしまう自分は、文化祭辺りからなんだかおかしい。

「可愛くないなぁ、本当」

 それと付き合ってる及川は、とんだ物好きだと思う。

 今日も今日とて、公園へ行く前に空腹を満たす食料の調達のために行きつけのお店へ向かう。及川とコンビニに立ち寄り、レジの隣にある肉まんとピザまん、どちらにしようかと悩む。及川は相変わらず、デザートコーナーで新作のスイーツを吟味している。奴の方が私よりもずっと女の子っぽいのではないだろうか。そんな事を考えながら、港は肉まんを買う事に決め、未だデザートに悩んでいる及川のいる方へ振り返る。腕を組み「うーん」と悩んでいる様が遠目にも分かり、これはまだ時間がかかるなぁと察する。時間つぶしに雑誌コーナーで立ち読みでもしよう、と港は何気なく踵を返した。その時、港の視界の端で、黒いジャケットを羽織ったマスクの男が、ポケットに何かを滑らせた。「あ」と思わず声を漏らすと、その男は港に気づいてサッと顔を上げる。視線を合わせたのは、恐らく一秒程だった。
 咄嗟に走り出したその男に反応し、港は腕を伸ばして男のジャケットの端を掴んだ。逃走しようとする万引き犯を引き止めようと手に力を込めた港だったが、男の必死な抵抗により振り払われ、体を自動ドアのガラスに打ち付けた。アマゾネス、などと呼ばれている港ではあるが、流石に男女の力の差は埋められない。背中に感じた衝撃に一瞬息が止まったせいで、男のジャケットを握った手の力が抜ける。べたりとコンビニの床に倒れ込むも、なんとか身を起こそうとはしてみたが、背中の痛みが響いてすぐには動けそうにない。倒れ込んだまま、港は悔しさで握りこぶしを床に打ち付けた。

「有馬!?」

 コンビニ中に響いたもの凄い音を聞きつけ、及川が飛んで走り寄ってきた。何があったの? と真面目な顔で問うてくる及川を見上げ、港は走り去る万引き犯を指差した。

「あいつ、万引きしてる!」
「……あの黒い奴?」
「そう」

 港の言葉を聞きながら、及川は肩にかけていたカバンを床に落とし、ネクタイをやや緩めた。騒ぎを聞きつけてやって来たコンビニの店員に「彼女をお願いします」と声をかけ、港を店員に任せてから、及川は全速力で走り出した。万引き犯の後ろ姿は、既に随分と遠くに見えるが、港は万引き犯を追って行った及川の姿を視界に入れ、確信する。及川は普段はへらへらとはしているが、強豪青城バレー部主将であり、凄腕のセッターと県内に知れ渡っている程の実力者である。当然、それに比例して運動能力も高い。ああ、及川なら絶対に捕まえてくれる。気に食わない相手ではあるが、その実力は港も内心しっかりと認めている。それに安堵し、港は傍に立っている店員に、あの黒いジャケットの男が万引き犯であること、そして及川があの男を捕まえてくれることを伝えた。
 そしてそんな期待を裏切らず、数分後及川は万引き犯を引きずってコンビニに戻ってきた。高校生に腕を掴まれ、無言でついて来くる成人済みの男という光景はなんとも奇妙なものではあったが、及川と万引き犯の体格差を見ると、仕方が無いように思う。更に及川の形相も、バレーの試合中集中している時に見せるような鋭い目つきに真顔で、あんな整った顔の人間に凄まれては一般人なら震え上がってしまうだろう。丁度やってきた警察に男を引き渡し、及川は足早に港の傍にやって来た。立てるくらいにはぶつけた箇所の痛みの引いた港は、床に置かれたままだった及川のカバンをゆっくりと差し出した。

「ありがとう、及川」
「いいよ。それより、体大丈夫なの?」
「大丈夫。バレーで転んだ時より痛くないし」

 港はおどけてそう言ってみせたが、及川は真剣な表情で港を見下ろしたままだった。心配させまいと振る舞ったというのに、及川は表情を緩めないものだから、港は言葉に詰まる。

「本当に大丈夫?」
「……本当だよ」

 大丈夫なのは事実なのだが、及川の普段と違う態度にどうしてもぎこちなくなってしまう。気まずくなって、港が視線を逸らしたと同時に、二人は警察官に声をかけられた。万引きの状況について詳しく話を聞きたいと言われ、港も及川も状況説明をすることとなった。そうして万引き犯についての話を聞かれ、コンビニの店長に感謝の言葉をかけられ雑談などをしている間に、日はすっかり暮れてしまった。折角の月曜日のオフが潰れてしまい、港も及川も帰路の途中にため息をついた。

「あーあ……折角の休みが台無しだよ」
「……ごめん、私のせいで」
「お前は別に悪く無いだろ。あいつが万引きするのが悪い」

 ハッと吐き捨てた後、及川は右腕にひっかけたコンビニ袋をガサリと揺らした。中には、コンビニの店長さんから感謝を込めて貰ったお菓子やその他もろもろが入っている。後で感謝状も学校に送らせてもらう、と言っていたので、及川も港も二人揃って学校集会で表彰されるかもしれない。

「牛乳パンいっぱい貰えたんだから、いいじゃない」
「……まぁ、それはそうだけど」

 「好きなものを持って帰ってくれ」と店長さんに言われた及川が、真っ先に選んだのは牛乳パンだった。そこで港は、及川の好物がそれであるとはじめて知った。あの及川徹の好物が牛乳パン、という事実が意外で、港はひっそりと笑ってしまったのは内緒である。ぶらぶらと揺れる買い物袋を視界の端に入れ、港はしみじみと口を開く。

「でも、なんというか……凄いね、及川は」
「……褒めても牛乳パンはあげないよ」

 ツンケンしている及川だが、それが照れ隠しであると港は分かっている。素直に褒められて喜べないのか、と言いたいところではあるが、港に言われたのでは及川のこの態度も仕方ないのかもしれない。

「私じゃ、あの人捕まえられなかったし。アマゾネスの名が泣くね」
「……何、お前そのあだ名誇りに思ってたの?」

 明らかな蔑称に顔を歪めない港を見て、及川は驚いたようだった。自分で言った港も少し驚いたが、なんとなく胸にすとんと落ち着くところがあるのも事実だ。

「何でだろう……あんまり嫌じゃないかも。それに、事実だし」

 普通の女子よりは明らかに、港は力も強いしたくましいと自覚している。一般的な男子に並ぶ所もあるので、勇猛な女戦士に例えられるのも仕方ないと思うのだ。

「でもそう考えると、私より強い及川はやっぱりゴリラということに……」
「なんでゴリラなのさ……もっと別の例えとかないわけ?」

 お前の脳内にはアマゾネスとゴリラしかいないの? と呆れたように言われ、港はさり気なく及川の肩をバシリと叩く。「いった!」と肩を竦める及川を横目に、港は他の例えはないかと思考を巡らせる。しかし、これといってしっくりくるものも思いつかず、港は早々に諦めた。

「及川にぴったりなあだ名思いついたら、私に教えて」
「何で俺が、自分の嫌なあだ名考えないといけないんだよ」

 馬鹿なの? と言う及川に平手を上げたが、予測していたのか軽くかわされてしまった。へへーん、と見下ろして来る及川の得意顔は、悔しいがかっこいい。見蕩れた事を誤摩化すように、港はため息をついて及川から視線を逸らした。なんだか及川の事を見ていると、そわそわと落ち着かなくなってしまうのは何故だろう。港がそんなことを考えているなどつゆ知らず、楽しそうに笑っている及川の声が頭上から降ってきて、港も自然と口元を緩ませる。

「及川は、心が広いね」

 この穏やかな空気に飲まれたのか、港はするりと本音が漏れた。及川の事を貶すのは多々有れど、こんなに奴を褒めたのは初めてだ。そして、そんな事を言われたのは当然初めてになる及川は、不思議そうな顔で港を見下ろす。

「……どうしたのお前。やっぱりどこか打ち所でも悪かったんじゃないの?」
「かもね」

 及川の発言を軽く流しながら、港はぼんやりと考える。及川は心が広い。こんな素直でも無い、可愛げも無い、馬鹿みたいな事しか言えない自分と付き合って、こうして笑いかけてくれるのだから。コンビニで港が万引き犯を取り逃がした時も、第一に港の事を心配して駆け寄って来てくれた。港の言う事を信じて、万引き犯を捕まえてきてくれた。やっぱりこの男が人気があるのは見た目だけではないのだと、港は一人納得する。

「何だか、私に及川は勿体ないような気がする」

 思わず口にした言葉は、声にするつもりなど無かった。溢れた港の本音を耳にし、及川はぴたりと歩くのを止めた。日の暮れた夜道、街頭に照らされた二人の影は長く伸び、二人の凸凹とした身長差が見て取れる。この不釣り合いさが、二人の噛み合わなさを如実に表しているようだった。

「……それ、どういう意味?」

 及川の声は落ち着いてはいたが、何かが静かに揺らめいた気がした。先程までと空気が変わった事に気づき、港は内心冷や汗を流しながら振り返る。街頭の明かりを背に受け立っている及川は、表情の読めない真顔のままだ。さっきまで楽しそうにしていた雰囲気が消え失せ、その原因が自身の発言であると気づいた港は「あぁ、やっぱり」と力なく笑った。

「及川、今私と話してて楽しくないでしょ」
「今はね」

 及川は、港にお世辞なんてものは言わない。建前もない。お互いに嫌悪しあっていた高校2年の時から、相手をいかに貶すかに全力を注いだせいで、思った事はなんでもストレートに伝える傾向が二人にはある。そんなことは分かっているくせに、及川の本音にどこかで傷ついたような気になっている自分は、やっぱり何かおかしいのかもしれない。

「……私、及川が何で付き合ってくれてるのか、良く分からないや」

 私と居ても、特別楽しいというわけではないだろう。そもそも自分は及川の好みから逸れたところにいる。それどころか、散々言われている事だが、自分には可愛げが無い。更に普通の女の子が持っている諸々が欠如し、その分男のような要素がプラスされている。及川だったら、女の子だって選び放題なはずなのだ。まさに今日あった「万引き犯を捕まえた」という事実が広まれば、きっと寄って来る女子も増えるだろう。その中には、港よりずっと可愛らしく、話していて楽しい女の子もいるかもしれない。そんなこと、及川なら分かっているはずなのに、港の彼氏でいてくれるその真意が掴めない。

「逆に聞きたいんだけど、俺は何でお前と付き合ってると思う?」

 及川はズボンの両ポケットに手を突っ込み、港の様子をじっと窺う。まるで港の機微を見逃さまいとしているようで、港は少し緊張する。

「……今までの可愛い彼女に飽きたから、珍味に興味が湧いた感じ……?」
「何それ……」

 微妙に呆れた顔をした及川は、ハァ〜と盛大なため息をついた。先程までのピリッとした空気は薄まり、及川は頭が痛い……とばかりに目を閉じて、何かを考えているようだった。

「有馬に質問なんだけどさ、男女が彼氏彼女になるのは、どうしてか分かるよね?」

 及川の質問に、港の脳裏にバレー部の友人の姿が思い浮かぶ。及川の幼馴染みと付き合っている友人は、お互いに同じ気持ちを通い合わせているからこそ、彼氏彼女の関係をはじめ、そして今も続けている。お互いの好意が向き合っているからこそ成り立つ関係。答えは恐らく、それで合っているはずだ。

「……お互いに好きだから、です」

 いつだったか、似たような事を及川に問われた気がする。二度も同じ内容を質問されるという事は、自分には学習能力が足りないという事なのだろうか。不安げに吐き出された港の解答を聞いた後、及川はうっすらと目を細め、サラリと港の質問の答えを口にした。

「じゃあ、そういう事じゃないの?」

 まっすぐに港を見る及川は、酷く凪いでいるように見えた。及川が立ち止まった分、二人の間には二メートル程の距離が開いている。その間を流れる空気が、及川の言葉により透き通るように晴れ渡り、静寂に包まれたかのように錯覚する。クリアになった世界に息を詰め、目を見開いた港を認めて、及川は微かに笑った気がした。

「よく考えて自覚しなよ、馬鹿」

自覚も足りない

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