前日の文化祭に引き続き、快晴に恵まれた空のもと、青葉城西の体育祭は開催された。運動はどちらかと言えば得意な港は、毎年体育祭を楽しみにしており、昨日よりも俄然やる気満々である。午前のリレーもそこそこの成績を残し、所属する青チームの得点に貢献出来て気分もいい。午後のリレーも同じように得点を稼ぐぞ! などと気合いを入れていた。しかし、そんな気合いが空回ってしまったのか、体育祭の中盤、リレーのバトン渡しが上手くいかずに転んでしまった港は現在、保健室で先生に消毒をしてもらっているところだった。最終的に港が入っていたチームはアンカーの頑張りも有り、1位を取る事ができたのだが、港は肩を落とした。高校生活最後の体育祭、最後のリレーは良い思いで終わりたかった、というのが本音である。
 「染みるけど我慢してねー」なんて気遣うような事を言うわりに、容赦無く傷口に消毒液を塗り込んでくるものだから、港はぐっと歯を噛み締める。保健の先生がてきぱきと傷の手当をしているだけの保健室で、放送用のスピーカーから体育祭の進行状況がアナウンスされる。そろそろ、体育祭の目玉である「借り物競走」が行なわれるらしい。

「はい、これでいいわ」
「ありがとうございます……」
「いーえ。ほら、早くしないと借り物競走始まっちゃうわよ」

 ガーゼや消毒液の片付けをしながら、保健の先生はアナウンスが流れたスピーカーの方を指差した。借り物競走が、この体育祭で一番の目玉であると知っている先生は、この学校に赴任してから長いらしい。やや痛みの残る足を動かし、港は先生に頭を下げて保健室を出た。のろのろと廊下を歩きながら耳に入るのは、運動場で今行なわれている借り物競走の実況だ。

『おおっと! 皆立ち止まってしまったぞぉ! 今年はそんなにえげつないお題なのかぁ!?』

 お題の内容など知っているくせに、このしらばっくれようだ。ゴール地点にやってきた生徒にさまざまなコメントをする体育委員の実況担当の生徒は、本当に口が良く回る。下駄箱で靴を履き替えながら、そういえば借り物競走に及川が出場するのだと思い出す。体育祭の目玉ということもあり、去年も一昨年もノリ気で借り物競争に参加していたような気がする。ただ去年は、当時付き合っていた彼女とこじれて悲惨なことになっていたような、そうで無かったような。うろ覚えの記憶を辿りながらグラウンドへ戻ると、三組の生徒の観客席辺りで借り物競走を眺めている花巻と遭遇した。

「あれ、有馬。何でここにいんの?」
「ちょっとね……。借り物競走、今どんな感じ?」
「あー……あと及川と四組の奴だけだな」

 苦笑いをしている花巻は、腕を組んでグラウンドに視線を向ける。港も花巻の先を辿り、観客席の方で誰かを探している及川を見やる。残り二人ということもあって、及川は焦った様子で辺りを見回していた。

「多分なんだけど、及川……有馬の事探してるんだと思うんだよね」
「……え?」

 うーん、と顎に手をあてる花巻を見上げ「何で分かるの?」と疑問を口にする。それに対し「なんとなく」と返した花巻は、ニッと笑ってみせた。

「試してみる?」
「……どうやって?」

 こうやって、と続けて、花巻は大声で「及川!」と叫んだ。観客席に視線を向けて目的の人物を捜している及川も、花巻と港の回りに居た生徒も、突然の大声に驚いてこちらに振り返る。及川がこちらに視線を向けたと同時に、花巻が親指をグッとたてて港を指差す。目的の人物はこいつだろ、と言いたげにフフンと笑っている花巻の横顔を港は見上げる。何故こんなに花巻は確信が持てるのだろう、と疑問を抱いていたが、客席の方にいた及川はズンズンと足早にこちらにやってきた。借り物競走の選手はもう及川と四組の生徒しか残っていないので、グラウンド中の視線が集まる。そうして港達の目の前にまでやってきた及川は、青色のハチマキをはためかせ、港と目を合わせた。

「ちょっと面貸しなよ」
「……もうちょっと言い方とか無いの?」

 柄の悪いヤンキーに呼び出しを食らったような心境である。港が苦い顔をすると、及川はチラリとグランドの方を振り返り、未だうろうろとしている選手を見やる。

「ちょっと……早くしてよ、あと俺と四組の人しか残ってないんだから」
「ねぇ、お題の内容何? 凄く怖いんだけど……」

 例年、この借り物競走のお題にはろくな事が書かれていない。嫌な予感しかしないこの状況で、及川の言葉に港はすぐに頷けなかった。巻き込まれたく無い、というのが正直なところではあるが、港達の所属する青チームの足を引っ張るようなこともしたくない。暫く自身の本音と周りへの迷惑とで答えを悩んでいたものの、「早く!」と急かす及川に折れ、港は仕方なしににグラウンドへ足を踏み入れた。こうなれば、変なお題でない事を祈るしか無い。

「ったく……お前今までどこにいたんだよ、かなり探したんだけど」
「理不尽なこと言わないでよ、さっきまで保健室に行ってたの」

 小走りでゴール地点へ向かっていた二人だったが、不意に及川は走る速度を落とした。

「……何、怪我したの?」
「リレーで転んでね。膝擦りむいただけだから大したことは無いよ」

 及川に合わせて走っていた港だったが、及川が速度を緩めた事に気づき驚く。港が怪我をしていると聞いて、最終的に小走りから徒歩に切り替わったものだから、港は更に感心した。

「……流石はミスター青城」
「は? 何……?」

 気を遣っているわりに、態度は機嫌の悪いそれである。不満そうな顔でこちらに視線を落とす及川だが、それが照れ隠しであると、港はなんとなく察した。

「及川って、こういう気遣いサラッとやるよね」

 見た目がいいというのもあるが、無意識にこういう事ができるからこそモテるんだろう。心の中でそう呟く港の事を知ってか知らずか「だからお前は彼氏もできないんだよ」と及川はハッと吐き捨てた。褒めたつもりだったはずが、及川に逆に辛辣な言葉を浴びせられ、不満に思わないはずが無い。いつもの癖で言い返そうと口を開いた港だったが、及川の表情を見た途端、文句は言葉にできなかった。

「そういう事は、気づいても言うなよ……」

 心底嫌そうな顔をするわりに、港から視線を逸らして照れくさそうにしている及川を見て、港はドキリとした。何だこの及川の反応……などと港まで恥ずかしくなり、二人して無言のままゴールに辿り着く。そんな二人のぎこちない様子に、実況担当の運営委員の生徒は、なんとも言えない生暖かい目でマイクを差し出した。

『なんだか甘酸っぱい感じにゴールしてきましたが、二人はどういうご関係ですか?』
「……そんなことより、早く確認してよ」

 ニヤついた表情の司会の話をスルーし、及川は雑にお題の書かれた紙を差し出した。そこには触れないで欲しい、というのは及川も港も共通の認識である。及川からお題の書かれた紙を受け取り、実況の生徒はニヤニヤとしながら紙の内側に書かれている文字を目で追う。それに息を飲み、港はじっとお題が発表されるのを待つ。例年の傾向を考えると、あの紙には恐らく普通の事は書かれていない。出場選手も連れて来られた生徒も、だいたいろくな目に合わないという事は分かっている。だからせめて、精神的にダメージの少ないお題でありますように! と心の中で手を合わせる。

『三年六組及川君のお題は……告白したい女子!!』

 ドキドキとしている借り物競走参加者の心境など知った事か、と実況担当がお題を発表する。その内容にざわつく生徒達、盛り上がるバレー部員、悲鳴を上げる女子など反応は様々である。告白したい女子として選ばれた港は、固まる他無い。『では告白をどうぞ』と実況の生徒に差し出されたマイクを受け取り、及川は無言で港に向き直る。告白って何だ……と呆気にとられる港を他所に、及川は普段より落ち着いた様子である。それが余計に現実味を帯びているように見えて、及川と目があった途端に港は焦る。

「ま、待って及川……」

 なんだこの状況は、と港は悲鳴をあげたくなった。こんな皆の見ている前で、公開告白でもしようというのか。しかし、慌てる港を見ても、及川の態度は大して変わらない。

「有馬、お前にずっと言いたかったんだけど……」

 目の前の及川の真面目な様子に、港はついに耐えられなくなり頬を染める。待ってよ及川、こんな人の目が集まっている中ではやめて。せめて二人だけの時に……! ある意味脳内で盛り上がりを見せていた港だったが、及川の次の言葉で、全ては瓦解する。

「実はこの前、雨降った時にお前に貸したタオル。あれ……実は男子トイレの床掃除したやつだったらしいんだ」

 気づかず貸してゴメン!と両手を合わせ、及川は機嫌をとるように笑いかける。一瞬意味が分からなかったが、間抜けにも港の浮き上がった心は、真相という石をぶつけられて墜落していく。
そんなふわふわした話があるわけないだろ、と誰かが頭の中で囁いた気がした。
それもそうだな、と一人自嘲し、港は及川の胸ぐらを掴んだ。

「ちょ、タイムタイム!」

冷静に怒りを讃えている港に気づき、及川は慌てる。
恐らくトイレで使ったタオルを貸してしまった事に港が怒っていると思っているのだろうが、港の心の内はそうではない。ときめきを返せ、と言いたいが、言いたく無い。そんな複雑な心境で睨めば、及川は降参のポーズをとって表情をひきつらせた。

「だからごめんって! 俺も気づかなくて……」
「……百歩譲ってそれは許すとして、ひとつ聞いていい? 何でわざわざ、それをここで謝るの?」

 知らない方が幸せ、ということもあるのだ。それを分かっていて、わざわざこんなところでそれを言う必要があるのだろうか。もしかして、これは嫌がらせか何か? そうしてギャイギャイと言い争いをはじめた二人の様子に、競技を眺めていた生徒達は笑い出す。傍で見ていた実況の生徒は「なんだ、愛の告白とかじゃないのか……」とつまらなそうにしながら、ちゃっかりゴール地点にやって来た四組の生徒からお題の書かれた紙を受け取った。競技を眺めていた生徒や先生達は「あ」と言葉を零す。言い合っている二人を放置し、実況の生徒と四組の生徒、そして連れて来られた女子生徒はほがらかな空気で会話をしている。実況のためのマイクは現在、及川の手に握られたままなので、四組の生徒の借り物のお題が何だったのか観客からは分からない。ざわつく生徒達に気づき、実況担当の生徒はやっと及川に声をかける。

「あの、ちょっとマイク返してもらってもいいですか?」
「あっ……ごめん」

 マイクが拾った会話が響き渡り、港に胸ぐらを掴まれながらも冷静にマイクを返す及川に再び笑いが起きる。そしてマイクを無事受け取った実況の生徒は、声を張って発表する。

『四組の高田君、ゴーール! お題は元彼女でしたー!』

 楽しげにそう言う実況の生徒に「鬼かよ」と誰かが呟いた。しかし、よくよく見ると、気まずそうにしている四組の高田君と元彼女は、少し照れくさそうでもあった。それに気づいたゴール済みの選手達は、微笑ましげに拍手を送る。パチパチ、と温かな空気に包まれるグラウンドの中、他のことに気が回っていなかった二人はやっと喧嘩をやめた。言い合いをしている間に四組の生徒がゴールしてしまい、及川も港も呆気にとられる。そんな二人を見て、実況の生徒はニコニコと声をかけた。

『非常に残念ながら、及川君。最下位が決定しました』

 『今のお気持ちは?』とポンと肩を叩かれ、及川も港も無言になる。それ有りかよ、などと目で訴えるも、実況の生徒は結果を変える気はないらしい。それを察して二人して目を合わせ、再び言い合いを再開する。

「あー……もう! だから早くしろって言ったじゃん!」
「及川が告白とか紛らわしいお題引いたのが悪い」
「何、もしかして『好き』とか言われるとか期待してたわけ?」
「きっ……期待は別にしてない!」
「ふーん?」
『皆さん、最下位の及川君に盛大な拍手を!』

 実況の生徒は、未だ続く二人の応酬を無視し、ゴリ押しで競技を終了させようとしている。そうしてしれっと『次の競技は……』などと進行しはじめるものだから、生徒や先生達の中で三度目の笑いが起きる。

「付き合ってるんだから告白も何も無いだろ」
「まぁ……そうかもしれないけど……」

 実況の生徒のアナウンスの後ろで繰り広げられる及川と港のやり取りを、マイクが拾う。次の競技の時間に差し迫っていることもあり、実況の生徒は二人の話に耳も傾けずにさっさと進めていく。しかし数秒後、その放送を聞き流していた生徒達は、さらりと暴露された「二人が交際している」という事実に気づいて「えっ?」と声を漏らした。

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