「俺達のクラスの売り上げは、お前にかかっている」

 そんな大層な言葉と供に首にかけられた「三年六組たこ焼き」という札を見て、及川は満更でもなさそうに「任せなよ!」とぐっと親指を立ててみせた。女子に集られる及川を普段は僻んでいる男子達も、文化祭という今日は及川と同じクラスで良かったと思っている事だろう。及川を宣伝に出せば、たこ焼きという商品であっても恐らく女性客が多く集められる。担任を含め、クラスメイトの全員が確信していたことではあった。
 しかし文化祭当日、及川がたこ焼きの売り歩きに出て三十分後、十人以上の保護者や他校の女子生徒を連れて戻って来た時には、店番をしていた生徒全員が言葉を失った。まるで漫画の中の話ような現実に、現実は小説よりも奇なり、という言葉が港の脳裏を過る。

「ごめん、たこ焼き売り切れちゃって……」

 ヘラリと笑っている及川に、たこ焼きにソースを塗り、パックにつめていたクラスメイトの男子が「お、おう」と苦笑いを浮かべる。嫉妬とかそういうものが振り切れて「及川すげぇ」と逆に感心しながら、及川にできたてのたこ焼きのパックを何個か渡していた。そんなやり取りを屋台内で窺っていた港も、クラスメイトの男子と同じような心境である。あいつ、女の子の扱いとかは上手いもんなぁ……などと感心しながら、目の前の焼かれているたこ焼きをひっくり返し、くるくると丸めて球体を作り上げる。何度も練習した甲斐もあってか、綺麗な丸の形に焼き上げられるようになったことが少し嬉しい。気持ち鼻歌を歌いながらパックに焼き上げたものを詰めていると、受付の向こう側にいた及川がひょっこりとやって来た。

「有馬、お前店番いつまでやるの?」
「あと1時間くらい」

 備え付けられた時計を見ながら大体の時間を確認すると、及川は「ふーん」と答えて、焼き上がったたこ焼きを一つ口に放り込んだ。

「あっつ!」
「……そりゃそうでしょ」

 つまみ食いをした上に、口を抑えて無言になって震えている及川を見て、港は呆れた。なんとか口内の熱い物を咀嚼し、飲み込んだ及川はふうと息をつく。

「やけどしたかも……」
「馬鹿でしょ」

 港はテーブルの近くに置いておいた、買ったばかりのお茶のペットボトルを及川に手渡す。及川は素直にそれを受け取り、三口程お茶を飲んだ。

「あー……まだ口の中ひりひりする」
「もう少し冷ましたのがそっちにあるんだから、それ食べれば良かったのに……」
「でも旨いよ」
「……それは良かった」

 ソースがかかっていないものを口にしただけの及川ではあったが、たこ焼きの味には満足したらしい。

「及川〜。次のたこ焼き二十パックできたぞ〜」

 箱にたこ焼きを詰め終えた受付のクラスメイトが、少し離れた場所から及川を呼ぶ。「わかったー」と返事をした及川は、再び歩き売りに出て行くらしい。たこ焼きのパックが入った立ち売り用の箱を首にかけ、屋台から出て行こうとする及川を、港は引き止める。

「ちょっと待って及川」
「何?」

 我がクラスの売り上げの大戦力なんだから、ソースのないたこ焼きだけだと少し可哀想だろう。そう思って港は、自身がつい数分前に貰った完成品のたこ焼きのパックを空け、その中のひとつに爪楊枝をブスリと刺す。そしてそれを持ち上げ、及川の口元に持って行く。

「ほら口あけて」
「は?」

 港が何をしようとしているのか流石に察した及川は、ギョッとした表情で固まる。差し出されたたこ焼きと、それを持ち上げる港を交互に見てゴクリと息を飲んだ。そんな及川の様子を見て、港も「あ、これはやりすぎたかも」と冷静になった。しかし、ここまでやっておいて今更引くのもどうだろう。

「折角なんだから、ソースついてるのも食べときなよ」
「……」

 港の言葉には応えず、及川は恐る恐るといった風に口元に寄せられたたこ焼きに食いついた。一口で港の手の手元にある球体を頬張り、黙々と味わってからごくりと飲み込む。なんだろう、自分からやっておいてなんだけど恥ずかしいかもしれない。思う事はどちらも同じなのか、二人の間に妙な沈黙が流れる。

「なんかあいつらがアレやると、いちゃついてるように見えないな」
「でかい動物にエサやってるみてぇ」

 屋台の奥の方でパックや爪楊枝の準備をしていたクラスメイトのコソコソと話す声を耳で拾い「……聞こえてっから」と及川は反応を示す。自分がでかい動物と揶揄された事が気に食わなかったのか、ピクリと眉を引きつらせている。やべぇ、などと口にする割に、クラスメイト二人には大して慌てた様子は見られない。

「ほら、早く宣伝行って来なよパトラッシュ」

 クラスメイトの二人に便乗し、港も半笑いで及川の肩をぽんと叩いた。及川は「パトラッシュ……?」と某名作に出てくる犬の名前に首を傾げたが、遠回しに「でかい犬」と言われた事に気づき、それはそれは爽やかな笑みを浮かべた。

「あはは、犬じゃねぇよ」

 表情と口から出た言葉が全く合致していない及川は、王子様スマイルでバックに黒いオーラを纏っている。
後で覚えてなよ、と言い残し、ニコニコとしながらたこ焼きを持って再び歩き売りに行った及川を見送り、港は再び目の前の作業に集中した。
 自分のクラスの模擬店の店番を済ませた後、港はバレー部の友達とぶらぶらと口校内を歩いて回って過ごした。他のクラスの模擬店のフライドポテトが美味しくて二つ買うと、友達に「太るよ」なんて指摘されてしまった。全く持ってその通りなのだが、空腹には耐えきれず結局二つ平らげた。一年生のクラスの展示や体育館で行なわれている劇、バンドの演奏などを一通り見て回りながら、柔道部主催の腕相撲大会に唯一の女子として参加したりもした。しかし、昨年度チャンピオン岩泉にはあっさりと負けてしまい、腕相撲トーナメントから早々に敗退することになった。自信あったんだけどなぁ……と零すと「なかなか良い線行ってたと思うぞ」とチャンピオンからの励ましの言葉を頂いた。劇の衣装のままのチャンピオンの後ろでは、彼女がそろいの格好で嬉しそうに佇んでいる。「惜しかったね、有馬」と口にする彼女は、彼氏である岩泉と一緒に文化祭を回っているらしかった。それを見て「いいなぁ」とごく自然に考えて五秒後、港は思わずハッとした。いいなぁ、って何だ。同時に脳裏を過った及川の姿に頭を抱えると、岩泉はギョッとしたようだった。ガン! と机に額を叩き付けると「おい大丈夫か!」なんて慌てたように声をかけられたが、港の心の内はそれどころではない。
 確かに、及川は自分の彼氏である。だから別に、彼氏と一緒に文化祭を回りたいと思ったとしてもなんら不思議ではないはずである。だがしかし、そんなことをごく自然に思ってしまった事に、とてつもない羞恥を感じてしまう。暫く呻いていると、丁度通りかかった先生が「どうした!?」と駆け込んで来て、港の正面に座る岩泉に視線を向けたものだから、港は慌てて顔を上げた。「なんでもないです!ちょっと黒歴史思い出して悶えてただけです!」と咄嗟に馬鹿みたいな言い訳をした。
あやうく岩泉が悪者にされてしまうところだったため、岩泉に一言詫びを入れ、迷惑をかけないようにさっさと教室を立ち去った。友達には「どうしたのアンタ?」と変な顔で聞かれたが、まさか素直に悶えていた理由を話せるはずも無い。
 そういえば、朝の模擬店以来今日は及川と会っていない。及川も誰かと一緒に楽しく校内を回っているのだろうか。もしかしたら、未だ宣伝係として、女の子を侍らせながら歩いているのかもしれない。そう思うと少し寂しいような、そうでないような複雑な気持ちに襲われる。まぁ及川は、私と一緒に文化祭回りたいとか、そういう事は思わないだろう。悶々としている中、そう思い至れば、後は深く考えずに済んだ。そうしてさっさと切り替えて、次はどこを回るかと友達と再び相談をする。こうして時間は過ぎ去り、高校生活最後の文化祭は、平穏に終わりを迎えた。
 及川のおかげなのか、我がクラスのたこ焼きは女性客によく売れた。これにはクラスメイト一同大喜びで、明日の体育祭の後に発表される「模擬店売り上げ最優秀賞」を期待していいのではないかと盛り上がっている。しかし、功労者である及川も喜びはしているのだが、どこか乗り切れていない様子である。騒ぐクラスメイトを一歩引いた所で眺めてぼんやりとしている事に、港は首を傾げる。どうしたんだろう、と心配になって及川の方へ向かうと、奴はすぐに港が寄ってきていることに気がついた。今年もミスター青城の称号を手にした及川は、未だ肩に「優勝」と書かれたタスキをかけたままだ。

「どうしたの及川、あんまり元気無さそうだね」
「……あのさぁ」

 もの凄く文句ありげな表情をする及川は、じとりとした目で港を見下ろす。体調でも悪いのかと思ったが、どうやらただ機嫌が悪いだけらしい。

「俺、お前に店番いつまでするの? って聞いたよね?」
「? ……うん」
「それ聞いてさ、何も思わなかったわけ?」
「……は?」

 何を? と聞き返すと、及川はあからさまにため息をついてみせた。ああもう、と零して片手で顔を覆い、何かを言いたげに口をはくはくと動かす。しかし言い辛い事なのか、なかなかに言葉が声に出されるまで時間がかかった。

「折角だから、一緒に文化祭回ろうと思ってたのに。模擬店戻ったらお前いないし……」

 整った顔をむすっと歪めて吐き出されたのは、随分と上から目線の発言である。それにカチンと来なかったわけでも無いが、港はそれよりも別の事が気になった。

「及川、私と文化祭回るつもりだったの……?」
「……そうだけど」

 半ば自棄になってそういう及川の言葉に、ふわりと心臓が浮き上がる心地がした。何だそれ、と心の内で呟いて、妙な気恥ずかしさに襲われる。自分が思っていたことと同じようなことを、及川も考えていたらしい。呆気に取られながらも、港自身の心臓が高鳴っている事に気がついた。私とつき合っているのは、及川の気まぐれなのだと思っていた。しかし、気まぐれだとしても、もしかしたら及川は私が思っているよりも、私の事を好いていてくれてるのかもしれない。嬉しい。認めたくは無いが、素直に嬉しいと思う。だが、しかし。

「あの質問だけでそこまで察しろ、っていうのは無理があるんじゃない?」
「……」

 及川は何も言わなかった。

圧倒的に言葉が足りない

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