「今野君ってさ、有馬さんに気があるんじゃないの?」

 大学時代、友人に似たような事を言われたことがある。同じ学科のある男が、港に気があるのではないかと口にした友人も、今港の目の前にいる同僚のように確信を持った表情をしていた。しかし、その男は港に好意を持っていると見せかけて、その実抱えていた感情は真逆のものだった。彼の彼女が及川の事を好きになり、破局したその腹いせに港に近づいたのだと言われた時のことは、それなりにショックでよく覚えている。だからこそ、同僚にそう言われたところで嫌な予感しかしなかった。

「そう?」
「見るからにそうでしょ、逆に何で気付かないの?」
「いや、だって……自意識過剰じゃない? そもそも私、そんなモテないし」
「人を好きになるのに、モテるモテないは関係ないでしょ……」

 呆れた、という同僚の表情を眺めながら、港は「うっ」と言葉に詰まる。身に覚えがあるからこそ言い返せないが、だからと言って同僚の言葉を素直に聞き入れるのは躊躇われる。港も薄々、今野に好かれているかもしれないと勘付いたからこそ、どう対応すればいいのか分からず困っていた。
 今野と再会したのはここに入社した時である。小学生時代の同級生とのまさかの再会にお互い驚き、職場でそれなりに親しく話していたのも自然の事だった。気の知れた同僚、という認識であった港がある時気付いたのは、今野から「休日に飲みに行かないか」という誘われた時だった。相手が職場の同僚とは言っても、彼と一緒に二人で出かけたらデートになるのではないか。港にはその気は無いが、これは浮気になるのではないか。判別が難しい問題にぶちあたり、港はとりあえず「予定を確認してみる」と言って誘いを保留にした。そして女性の同僚に遠回しに「これは浮気になるのか」と相談してみると、意見はそれなりに割れた。「相手からの好意を自覚していて、その誘いに下心で乗れば浮気なんじゃない?」というある同僚の助言を聞き、しっくりときた港は、これは浮気にならないのだろうと思った。しかし、脳裏に及川の事が過り、結局誘いは断った。いくら下心がないと言っても、及川にしたら気分の良いものではないだろう。
 しかし、その後も何度か飲みや遊びに誘われると、港も流石に断り辛くなってくる。今野も今野で、港が困っているのを分かっていて誘ってくるのだ。そして港がぎこちなく理由をつけて断ると、まるで犬のようにしゅんとしてから「そっか、残念」と口にするのだ。毎度罪悪感がわき、港はなんとも言えない気持ちに襲われる。もしかして私を虐めて楽しんでいるのだろうか……? と考えもしたが、今野がそういう風にする男にも思えなかった。彼は悪い人ではないが、今港を翻弄しているのは事実だった。男の人が考える事は、良く分からない。
 こういう時はどうすればいいのだろう。誰かこういう分野に詳しい人間はいないだろうか……と港が匙を投げた瞬間、脳内でよく知る人物がそれを拾い上げた。異性からの好意をたくさん集め、恐らくそれを受け入れる事もかわすことにも慣れている男。及川に聞けば、打開策が見つかるのではないか。妙案ではあったが、同時に相談しにくい事でもある。もしかしたら自分の事を好きな男がいるかもしれない……なんて事を及川が聞いて、快く思うはずがない。しかし、港も今の状況にはほとほと困っているのだ。
 どうにか誤摩化しつつ、アドバイスを貰おうと、港は携帯を取り出した。この時間なら及川は家でのんびりしているだろうと電話をかけると、数コールで及川が応答した。

「もしもし、及……徹?」

 呼び名を言い直すと、電話の向こうの男はプッと吹き出した。

『はい、徹です』

 クスクスと笑っている及川は、港が慣れぬ呼び方をした事をからかう。それが気恥ずかしくて口元をもにょりと引き結んだ港ではあったが、とりあえず平静なふりをして咳払いをした。

「今暇?」
『暇ってわけじゃないけど……大丈夫だよ』
「そっか……。あのさ、ちょっと相談というか聞きたい事があって……話は長くなるんだけど」

 今野にもしかしたら好かれているかもしれない。しかし、今野は思わせぶりな態度を取るのに、港に決定的な言葉を漏らさない。実際は、港の事をどう思っているのだろうかという、判断基準を知りたい。そしてあわよくば対応の仕方も知りたい。
 そんな事を考えながら、港は自身の現状を「同僚A」に置き換えて及川に相談した。同僚Aが困っていて、港に相談してきたのだと説明すると、及川は「へぇ〜」と声を漏らした。

『お前そんな相談されるようになったんだ』
「……まぁね」

 本当に感心したような反応をする及川を睨んでやりたいが、生憎この男は県を跨いだ向こう側にいる。恋愛の分野に得意というわけではないというのは港も自覚しているが、こうしてあからさまに感心されると思うものがある。しかも、及川はモテるからこそ港が言い返せないと分かっているのだ。この分かっていて翻弄してくる感じが、今野と非常に似ている気がする。

「で、この男が何考えてるのか分かる?」
『うーん、なんとなく検討はつくかな』
「えっ、本当!? 教えて!」
『……やけに食い付くね』

 あまりに食い気味に聞き返したせいで、及川の声に疑惑の色が混じる。まずい、と焦った港は、一旦心を落ち着けてから、声色を変えないように平然とした態度をとる。

「本当に同僚が困ってるみたいだからさ……私じゃ男の人の考えよく分からなくって」
『だろうね』

 お前男心には鈍いからなぁと言われ、これにも何も言い返せない。たまに及川の気遣いを気付かずスルーしてしまう事を、港は毎度申し訳ないと思っているくらいである。最近ではそれも減ったが、及川の気遣いをスルーした時の、あの及川の微妙な顔には罪悪感が湧く。

『港の話を聞いた感じだと……その同僚の男、Aさんの事好きなんじゃない? それでそのAさんって彼氏いるんでしょ?』
「うん……」
『彼氏がいると知ってるから、そうやって思わせぶりな態度とってるんじゃないかな。要は、同僚Aさんが自分に靡くのを待ってるんだよ。それだけアピールされちゃ、Aさんも意識するだろうし』

 全く持って及川の言う通りである。

『目的のためなら手段を選ばない、性格悪い奴だね』
「でも……その同僚の男の人、普段は爽やかで優しいし、そんな感じには見えないけどなぁ」
『猫被ってるんだろ』
「……徹みたいに?」
『……その言われ方はむかつくけど、まぁそうなんでしょ』

 自分が猫を被っている自覚はあるらしい。友好的なイメージを持たせた方が生活しやすい、なんて前に言っていた及川は、それを素直に認めた。悪いイメージは無いにこしたことはないというのは、港にも分かる話ではある。

「あの今野君がねぇ……」

 港の記憶の中の今野という男は、小学生時代の衣装が強い。爽やかなスポーツ少年だったような彼が、及川の言うように猫を被っているようには思えない。どちらかと言うと、猫を被っているというよりは素のままに接されている気がする。だからこそ質が悪いと言われると、そこまでではある。

「……でも、直接好きだとかは言われないんだよ? これってどうすればいいのかな?」
『本人に直接聞いたら? 勘違いだったら悪いんだけど私の事好きなの? ……ってさ』
「えぇ……それもし違ったらどうするの? 自意識過剰じゃない?」
『まぁ勘違いだったらかなり恥ずかしいけど、今後その男に困る事からは解放されるでしょ』

 背に腹は代えられないなら、それくらい覚悟した方がいいんじゃない? 及川の言う事は確かに一理あるが、他人事だと思って意見を述べている節がある。実際に他人事なのだが、なんと言ってもその同僚Aは港の事なのだ。当の港にとっては、それなりに覚悟が必要である。

『それか、Aさんの彼氏にどうにかして貰うのも手かもね』

 それは彼氏に牽制でもして貰えという事なのだろうか。しかし、こんな相談をした後、及川にお願いなんて出来るはずもない。それに心配もかけたくない。

「そっか。……分かった、ありがとう」

 たくさんの人に好意を寄せられた事のある及川の意見なのだから、きっと港が考えるよりもずっと確実なのだろう。少しだけ勇気が必要だが、言われたようにやってみよう。なんとか腹をくくった港は、及川に礼を言い、その後少し世間話をしてから通話を切った。

* * *


 及川に相談した週末、港はスタッフルームでトレーニングメニューを考えていた。最近指名してくれる女性客に合ったトレーニング内容についてもまとめ終え、ふぅと一息つきながら、今野の席の方を見やった。今彼は利用者の指名を受け、トレーニングルームで指導中である。タイミングさえ合えば今野に例の件を実践しようと思ってはいたが、なかなか機会がつかめず、港はため息をついた。それなりに度胸がいる事の上、正直話しにくい内容である事も重なり、なんとなく彼を避けているのも事実だった。いつも「今日こそは言うぞ!」と気合いを入れるのだが、こうして職場に赴くとその勢いも萎んでいく。しかし、このまま思わせぶりな態度を取られ続けるのも困る。ちょうど今日は仕事帰りに飲みに行かないかと同僚達に誘われており、今野もそのメンバーに入っていたはずである。飲み会の時はかなりの確率で港の隣にやって来る彼の事だ、話す機会もあるだろう。「よし」と心の内で己を奮い立たせた港が、次の資料を作ろうとパソコンに向かった、その時だった。

「有馬さん、大変よ!」

 突然、同僚が慌ただしくスタッフルームに駆け込んできた。「大変だ」と言うわりに、急いで走ってきた同僚はなんだか興奮しているようだった。そして何事かとポカンと椅子に座っている港の方に駆け寄り、バシバシと肩を叩いた。

「ちょっと来て!」
「えぇ……?」

 腕を掴まれ立たされた港は、そのまま引き擦られるようにスタッフルームを後にした。どこかに連れていかれる道中、他の同僚や先輩達も駆けつけ、皆一様に「大変だよ有馬さん!」と声を揃える。だから何が大変なんだ? と聞いたところで彼女達には教えて貰えず、とにかく「見れば分かる」の一点張りである。同僚達は疑問符を浮かべている港を見て嬉しそうにしているし、何がなんだか分からない。そうして港が連れて来られたのは、なんて事はない、ただの一階の受付だった。しかし、普段はお客さんがやって来てすぐに移動するため、そんなに人が多くない受付前に、何故だか人だかりができていた。それを少し離れたところで見ていた港は、同僚に背中を押されて、受付前のスペースに追し出される。

「えっ、何?」
「いいから、お客さんに混じってサイン貰って来なよ」
「サイン……?」

 港が首を傾げると、同僚達は皆ニヤリと口端を上げた。

「ほら、良く見てみなよ。有馬さんの旦那来てるよ?」
「……は」

 旦那、というワードを耳にし、港はここでやっと人だかりの中心人物を見た。集まっている女性客達より頭一つ抜けた高身長、見覚えのある髪色に髪型、渡されたノートか何かにサインを書いて渡している男の横顔を視界に入れ、港は驚きで言葉を無くした。見間違いだろうかと何度も瞬きを繰り返したが、輪の中心でヘラリと笑うあの男は確かにそこに存在した。
 何でここに。そうして港が呆気にとられている間に、サインを求められていた男は、港の存在に気がついた。自分の恋人……否、婚約者を見間違うはずもない。そうして及川徹は港と目を合わせると、周りにいた女性客に断わりを入れてからこちらに歩いてきた。歩いて来る及川を認めて、港の背中を押してくれた同僚達は何やらごしょごしょと騒いでいる。長い足で数歩程、港の正面に立った及川は、ラフな格好に大きなカバンを肩からかけていた。そしてニコリと爽やかな笑みを浮かべ、小首を傾げた。

「やっほ〜、来ちゃった」
「……なんでここに」
「いやさぁ、急にお前に会いたくなって」
「……嘘でしょ」

 それだけの理由で、ここまで来るはずがない。バレーの試合の予定は大丈夫なのだろうか。きっと合間をぬってここに来たであろう及川をポカンと見上げると、及川はやや背をまるめて、港に顔を近づけた。港の周囲で、女性陣が悲鳴を上げる声が聞こえた。

「別に嘘ってわけでもないんだけど……」

 港にしか聞こえないくらいの声でボソリと呟いた及川は、明るい口調で言葉を続けた。

「まぁ、人の女に横恋慕してる奴の顔でも拝もうと思って」

 ねぇ、Aさん? と口にした及川は、笑っている風なのに不穏な気配を漂わせていた。
 バレている。及川の恐ろしい程の爽やかな笑みに、港は口元を引きつらせた。

同族の男

back