今日は雨が降ったために、体育の授業を男女合同で室内球技を行なうことになった。授業は三年五組と六組で合同で行なうため、体育館内の人口密度はいつもより高い。急遽授業内容を変更したために、体育の先生は特に何をするかなど決めていなかったらしく、生徒に「何かしたいことあったら言え」と緩く希望をとった。そしてその結果、圧倒的男子の支持でドッジボールをすることになった。
 チームは男女別に各4チーム、メンバーはクラスの区別無く、先生が適当に決めた。そのせいか、男子のチーム編成に酷い偏りが出たらしく、不満の声が上がっていた。

「岩泉と及川同じチームだよ」

 女子バレー部員兼、岩泉の彼女である静香が、港の肩をトントンと叩く。それにつられて視線を向ければ、腰に手をあてた及川が、不満を述べる男子生徒を諌めていた。及川はどうやらチームのメンバー変更は嫌らしく、文句を言っている男子を上手く丸め込んでいる。及川はああいう話術は得意だよなぁ、と感心しているのか呆れているのか、自分でもよく分からない感情がこみ上げてくる。対する女子は、運動神経のいい子達が満遍なく各チームに配分されているので、港は特に文句も無い。
 ドッジボールだなんて随分と久しぶりだ。小学校の頃はよくやったものだ、と港は思い返す。当時から中々の重い球を投げ、男子に恐れられていた自分の事もついでに思い出し、微妙な気持ちに陥る。思えば、小学生の頃から女っぽくない子供だった。
 そんな事を考えている港をよそに、ドッジボールの進行内容が決まった。先生の指示で女子と男子、交互に試合を行なうようである。自動的に、女子の試合中は男子が観戦し、自動的に男子の試合中は女子が観戦することになる。まずは女子の試合となり、体育館の二つのコートで女子四チームがゲームを行う。コート内に入った港は、自身のチームの後方辺りの壁際に立つ及川に視線を向ける。
 ああ、絶対に見に来るだろうとは思っていた。参観日にやって来た母親の如く、へらっとした顔で手を振られると、まるで馬鹿にされているような気がする。港の対戦相手チームにいる静香を見に来ているであろう岩泉は、隣で手を振る及川を怪訝な表情で眺めている。ピッ、と試合開始の合図の笛が鳴り、港を含めコート内にいる生徒は身構える。相手コート内にいる静香と目が合い、港が笑うと静香は苦笑いを浮かべた。
 最初のボールは相手チームの女子が取り、それを勢い良くブンと投げる。ボールを投げた彼女は華奢な体の割に運動が得意で、特に足が速い事が港の印象に残っている。それなりの威力のあるボールは早速こちら飛んできて、港はそれをバシンとキャッチした。
 途端に相手チームがピリッと緊張したのが分かったが、そんなことはおかまい無しに港は思い切りボールを投げた。とても女子が投げたものとは思えない程の威力を持ったそれは、相手チームの一番端で固まっていた女子生徒の肩にぶつかりはじき飛ばされ、そのボールを港のチームの外野がキャッチした。あまりの威力に一瞬ざわついた男子一同とは反対に、ずっと合同で体育を行なっている女子達は、港が普通の女子より力が強いことなど衆知の事だ。相手チームの女子達は想定内とばかりに落ち着いてはいるが、内心では「あれをどうやって受け止めればいいのか」と半ば対策しあぐねている。
 同じチームの外野の女子が、コート内にいる港にボールを投げて寄越す。再びボールを手にした港は、次に目の合った女子生徒にボールをぶつけてみせた。港が相手チームの女子にボールを当てるだけ、という一方的な流れを繰り返し、相手チームの内野に残るのは静香のみという状況になった。
 観戦していた男子は呆気にとられている者、「すげーぞ有馬!」と冷やかす者、及川のように爆笑している者、岩泉のように相手チームに同情している者など様々である。圧倒的にドン引きしている生徒が多いのは港も分かっているが、授業であれ、スポーツは全力でやらなければ面白く無い。相手コート内にただ一人残った静香は、ごくりと息を飲んで身構える。気を張っているのか、構え方がバレーの試合中のそれである。
 港は手に持ったボールを床に何度か宙に投げてから、思い切り静香向かって投球する。しかし、ここは三年間同じバレー部でボールを扱っているだけあって、港のパワーのある球に見慣れている静香はボールを上手くキャッチする。港が味方にいるから、とあまり身構えていなかったチームメイトが緊張した瞬間、静香に速攻でボールを投げ返され、チームメイトの一人がアウトにされてしまった。
 「どうだ!」と言わんばかりの得意顔をする静香に、流石の港もどうしようかと考え始める。バレー部内でも守備が良い上に、港のボールに慣れていれば、手の内もばれている。静香をアウトにするのは、一筋縄ではいかないだろう。
 案の定、試合終了の笛が鳴るまで、港と静香のキャッチボールは続き、最終的にコート内に残った人数の多かった港のチームの勝利に終わった。悔しそうにしている静香にふふんと笑えば、軽く背中をばしんと叩かれる。

「次は負けないから」
「臨むところ」

 あはは、と笑ってみせれば、静香も肩の力を抜いてつられて笑った。
 次は男子の試合のため、早々にコートから引き上げて行く途中、こちらに向かってやってくるに及川達のチームが視界に入る。すれ違う前から、ニヤニヤと笑みを浮かべている及川が遠目に確認できたので、きっと何か冷やかされるに違いない。そんな港の予測は、ものの数秒で見事的中する。

「さっすが、アマゾネスの称号は伊達じゃないね」

 平然と港に面と向かって言い放つ及川に、岩泉以外のチームメイトの男子達がギョッとする。とても女子に言うような愛称では無く、蔑称に近いそれに、全員が港の顔色を窺っているのが分かった。しかし、これには港も慣れたものである。特に怯む事なく、さらりと及川に切り返す。

「せいぜい皆の足引っぱらないでよ、ゴリラ」

 こちらも、恐らく学年で一番モテている、女子から王子様と称される及川に言うセリフでは無い。眉をひくつかせた及川に対し、隣の岩泉も便乗して「そうだぞゴリラ」と追い打ちをかける。

「岩ちゃんにだけは言われたくないんだけど!」
「お疲れ栗原、惜しかったな」
「ありがとう、流石に有馬は手強かったよ」
「無視?」

 騒ぐ及川などいない者として静香と話し始める岩泉の対応に、及川は恨めしそうに二人を睨む。まるで子供のように拗ねている及川が滑稽で鼻で笑うと、今度はこっちを睨んでくるので咄嗟に視線を逸らす。

「おい、及川岩泉。試合始まるぞ」

 及川達のチームメイトが、急かすようにコート内に立って待ち構えている先生を指差す。視線だけで「早く来い」と言っている体育担当教員の意思を感じて、及川と岩泉は話を切り上げた。慌ててコートに向かって歩き出した彼らとすれ違い様、静香が一瞬、岩泉を引き止めた。

「頑張ってね、岩泉」

 静香は岩泉の袖をツイツイと引いて、こそっと岩泉に囁く。それを聞いた岩泉は、やや目を見開いてから、ふっと穏やかに笑った。「任せとけ」と応えた言葉には、なんとも言えない甘さが含まれている。ぽん、と静香の頭に手を置いてからコートに入って行く岩泉を見送る。目の前で繰り広げられたカップルの些細なやり取りに、港は先程の自分の発言を思い返す。
 「せいぜい足引っ張らないでよ、ゴリラ」なんてセリフは、一応つき合っている彼氏に対して相応しい発言だろうか。……いや、無いよなぁ。でも及川だって「アマゾネス」なんて普通彼女に言わないようなことを言っていたし……いや、でもなぁ。悶々と悩みながら、急に自身の発言に後悔しはじめ、港は頭を抱えた。それを不思議そうに眺める静香と共に、体育館の壁際に移動する。
 暫くして始まった男子の試合を観戦しながら、港は自然と及川を視線で追う。相変わらず運動神経のいい及川は、ドッジボールでもその実力を発揮し大活躍で、周りの女子から黄色い声を浴びている。「キャー及川くーん!」という歓声にファンサービスでブイサインをかまし、男子の不評を買っても王子様スマイルは崩さない。だからといって不満を抱く敵チームの男子が及川にボールを集めてみても、余裕でキャッチされ反撃されてしまうというのが落ちだった。何故だろう、男子でもないのに港も苛々としはじめる。
 しかし、ここで男子の憂さの救世主が現れた。不満の溜った男子代表岩泉一が、間違えて(絶対にわざと)味方の及川の後頭部にボールをぶつけた。

「痛だっ!」
「おっ、わりーな間違えた」
「絶対嘘でしょ!」

 言葉では謝っているが、ぐっと親指を立てている岩泉は全く悪気を隠すつもりはない。コート内にいる男子は敵も味方も含めて数人、岩泉に拍手を送っる始末である。及川の自業自得、調子にのるからこうなるのだ。遠目で眺めていた港でさえ、内心で「ざまぁみろ」と思ったのだが、しかし、ここでハッとする。先程の事といい、いつもの癖で及川に対して生意気な事を言ったり、考えてしまうのはまずいのではないか。ちらりと隣の静香を窺うが、相変わらず岩泉に夢中で港の視線になど気づかない。静香に岩泉の事を聞けば、大体「かっこいい」か「好き」しかコメントしない彼女であるが、それが紛れも無い本心である事は港でさえ分かる。こんな風に素直であれば、港にも可愛げというものが身に付くのだろうか。
 港は、いつぞや及川に言われた「お前、可愛らしさとかいう言葉ドブに捨ててきたんじゃないの?」という発言を思い出す。あれは確か、高校二年の時だった。及川と今よりも断然に険悪で、口喧嘩の多い時期ではあったのだが、港はこの発言に正直傷ついたので良く覚えている。当時は「何を及川に言われたくらいでショックを受けているんだ」などと強気に出て誤摩化したが、今になって分かる。当時は分かっていなかったが、友達に彼氏ができはじめ、あまり興味も無かった『恋愛』というものに、密かに興味を引かれはじめていた時期だった。それが自分には叶わないと分かった事と、当時毛嫌いしていた及川に指摘されたことが胸を刺したのだろう。
 あの頃から考えると、港も及川も随分と落ち着いたものだと他人事のように思う。まさか、高校三年の後半になって及川とつき合い始めることになろうとは、誰が予想できただろう。
 都合のいい事に、憧れの『彼氏』という存在が出来た事に、港は密かに浮き足立っている。ただの気まぐれでも、及川のように港とつき合ってくれるという物好きは、貴重な存在だ。奴を逃がせば、アマゾネスと称される港の彼氏になってくれるような男が、今後現れる保証は無い。だからこそ、及川に愛想を尽かされないようにしなくてはいけない。男子の試合などそっち退けで、うーんと唸りながら港は思考を巡らせる。港が憧れる彼氏彼女のイメージは、隣にいる静香と岩泉のような関係である。静香のような素直さがあれば、及川は喜ぶだろうか。彼女の振る舞いは、普段の岩泉からはとても想像できないような優しい笑みを引き出す程なのだから、きっと効果的に違いない。
 男子のドッジボールの試合内容は、及川岩泉無双と言っても過言ではないくらいに圧倒的な進みを見せており、まだ試合が始まって数分しか経っていないのに、既に決着が着きそうな雰囲気だった。しかし、港にとってもはや男子の試合内容など視界に入ってはいない。及川が数回、港の方に視線を向けたことにすら気づかず、妙な方向に決意を固める。
 素直、素直だ。試合が終わったら及川に素直に声をかけよう。「ボールぶつけられた後頭部は大丈夫?」は皮肉に受け取れる。
「女子に騒がれてたね」も……なんだか責めているように聞こえる。「お疲れ様!」はどうだろうか。内容は大した事は無いが、港でも気軽に声もかけやすい内容、更に親密度もある感じがする。そうだ、これにしよう。
 港がひらめいた瞬間、試合終了を知らせる笛の音が体育館に響き渡る。圧倒的実力差により勝利を収めた及川達はコートから離れ、入れ替わりで再び女子がコート内に入っていく。先程とは別のチームと対戦しつつも、港の頭の中ではドッジボールの事よりも、いつどのタイミングで及川に声をかけるか、という事でいっぱいだった。上の空で試合をしていたせいで、最後の最後に文化部所属の女の子のヒョロヒョロとしたボールを取り落とす、という失態をおかしたものの、港達のチームは全勝という戦績を残した。
 同じく全勝した及川達のチームが引き上げてくるのを見計らい、港は気合いを入れて及川の背後に立った。

「及川!」
「うわっ、びっくりした……何?」

 急に背後から声をかけられて驚いたらしく、肩をびくつかせて及川は振り返る。及川の周りにいたチームメイト達は、体育の授業が終わりそうということもあり、それぞれ進んで片付けに向かって行く。図らずも、及川と二人だけで話すことができるこの状況を逃す手は無い。

「お、つかれ様……」

 たかだか「お疲れ」と声をかけるだけなのに、何故こんなに緊張しているのか自分でも分からない。しかし、もの凄くささやかではあるが、素直に言えたのではないだろうか、と港は自身の発言と行動を割と評価する。落ち着きなく手をもじもじと動かしながら及川の様子を窺うと、奴は眉間に皺を寄せて変な顔をしていた。

「……何か変なものでも食べた?」

 急にそんなもじもじしながら言われると気味悪いんだけど、と失礼極まりない事を言う及川に対し、港は思わず膝裏に蹴りをかます。痛い! と悲鳴を上げる及川を視界に入れて、我に返った港は「しまった!」と叫んでしまい、慌てて口を閉じる。しかし、流石の及川も港の発言を聞き逃さなかった。

「……何が『しまった!』なわけ?」
「……いや」
「はっきり言いなよ」

 身を屈めてズイと覗き込んでくる及川は、先程から挙動不審な港を訝しんでいる。どう誤摩化そうか、と港は頭を働かせるも、目の前のこの男は付け焼き刃の言い訳などすぐに見破ってしまうだろう。及川は人を良く見ている、それはバレーの試合でも遺憾なく発揮され、幾度も彼のチームを勝利に導いている。

「及川に、愛想尽かされるかと思って……」
「はぁ……?」

 何それ? と片眉を上げる及川に、港は先程思った事をわりと正直に話した。それを聞いた及川は、変な顔をすると同時に、港を可哀想なものを見るような目で見下ろす。

「……要は、俺に逃げられたく無くて可愛げある彼女っぽい対応をしてみた、っていうことでOK?」
「まぁ、だいたいOK」

 うんと頷くと、及川はこれ見よがしにハァア……とため息をついた後、吐き捨てるように口を開いた。

「バッカじゃないの?」

 港としては割と頑張ったつもりだったのだが、心底呆れたような目で見られると少し落ち込む。若干港がしゅんとした事に気づいたのか、及川は正直に言いたい言葉をなんとか押し込め、唸りながら「ああ、もう」と頭を掻いた。

「そうやって俺の機嫌とっていればいいとか、本気で思ってるわけ?」
「そうは思わないけど……」

 自信なさげに答えると、及川はじっと港を見つめる。まるで何かを見定めているような視線を浴びて、港は始終居心地が悪い。

「お前が彼氏に憧れてるのは分かった。だけど、重要な事が欠落してる」

 見透かされている。そう判断がつくくらいに的確な及川の発言に、港はもはや何も言えない。

「例えばさ、岩ちゃんと栗原ちゃんはつき合ってるでしょ。それは何でかくらい、分かるよね?」

 まるで小さな子供に尋ねるような丁寧過ぎる質問、そして安易すぎる解答。答えが合っているのか逆に不安になるような聞き方に、港はすぐに思い浮かんだ答えを口にする事を躊躇った。しかし、無言の圧力をかける及川は、目だけで「言え」と港を促す。うぐ、と一歩後退した港を追いつめるように、及川も一歩詰め寄る。逃がす気など更々ない、という雰囲気を纏う及川に、港は早々に諦めた。

「お互いに好きだから……です」
「はい、正解」

 よくできましたねー、と棒読みで言う及川は、バチンと港の額にデコピンをお見舞いした。思いの外強烈な威力の籠ったそれを浴びて、港は額を抑えて呻く。

「お前が努力すべきは、理想の彼女になろうとする事じゃなくて、彼氏を好きになろうとすることじゃないの?」

 呻く港など知った事か、と及川は容赦なく話を続ける。痛みを抑えるように額をさすりながら、港は及川の言葉を脳内で反芻する。及川を好きになれば、理想の彼女になれると言いたいのだろうか。それはそれで、無茶苦茶な気がする。

「まあ、この俺が彼氏でありがたいと思いなよ」

 超優良物件でしょ? と自分で言いきってしまうのはどうかと思うのだが、あながち間違いでもないのが腹が立つ。性格は置いておいて、その他はほど完璧なのだ、この男は。

「だから……俺を好きになれば、簡単な話だと思うんだけど」

 スイと視線を逸らしながらボソリと落とされた言葉に、港はゆっくりと顔を上げる。気持ち尻窄みになった言葉のように、及川も勢いを無くしていくのが分かった。先程まで自信ありげに話していたというのに、急に不安そうにするのが良く分からない。

「……でも私、わりと及川の事好きだよ」

 及川といるのは気が楽でいい。変に取り繕わなくていいし、思った事もすんなりと口に出せる。港の中では、どちらかといえば、及川は既に好きな部類に属している。特になんの深い考えも無く答えたつもりだったのだが、目の前の及川は目を見開いて固まった。沈黙が二人を包み、目を合わせる事数秒、及川は片手で顔を覆い隠して唸った。

「……あー、何で俺がときめかなきゃいけないわけ?」
「えっ、ときめいた?」

 どこに!? と好奇心まる出しで聞いたのがまずかったのか、切り替えの速い及川は、それはそれは冷めた表情で「言うか馬鹿」と言い放った。

目的と手段

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