「……どうしたの、このツリー」
「ゴリエがくれたの」
「は……?」
「くじで当たったらしいんだけど、部屋に置けないからって、くれた」

 十二月初日の休日。港の家に上がってからの及川の第一声は最もである。港の借り部屋の入ってすぐの場所に、飾り付けが途中止めになっている大きなツリーが置かれたのはつい最近である。そうでなくても狭い部屋の入り口にそんなものが置かれていれば、誰だって気付くし、誰だって「どうしたの?」と聞きたくなるだろう。

「ゴリエって……あのゴリエちゃん?」
「及川の大学のゴリエちゃん」
「え、何? 交流あるの?」
「まぁね」

 及川の驚いたような反応は無理も無い。及川としては同じ大学、同じ学科、先日の大学祭の一件以来はそれなりに話すようになったらしい、テニス部期待のエース入江さん……通称、ゴリエ。港が彼女と初めて顔を会わせたのは、及川の通う大学の大学祭だ。会ったと言っても、同じステージで腕相撲をしたくらいで、ほとんどと話した事はない相手である。しかし、そんな彼女と思わぬところで縁ができた。
 遡る事二週間前。及川が港の家に泊まって行った日に、無性にピザが食べたくなって、宅配ピザを注文した。そして届けられたそれを受け取りに出た及川が、宅配ピザを持って来てくれたバイトのゴリエに八合わせたのだ。まさかゴリエがピザ屋で働いているという事も知らなければ、まさか持ってくるのが彼女であるなど予想もできなかった及川は、ゴリエと視線を合わせて固まっていた。ゴリエもまた「ピザの注文をしたのは有馬さんという人ではなかっただろうか」と疑問符を浮かべていた。そしてそこに何も知らない港が顔を出し、状況が理解できていないゴリエに更なる混乱を与えた。結果、及川と港が付き合っている事が、ゴリエに知られる事になったわけである。

「連絡先交換してから仲良くなったんだ。この前は一緒にご飯食べに行ったし」
「……君達この短期間で仲良くなるの早すぎでしょ」

 半ば呆れるような表情で、及川は飾り付けが充分でないツリーを触る。そしてツリーの足下に置かれたオーナメントの入った箱を持ち上げた。

「まぁ類は友を呼ぶっていうもんなぁ」
「それゴリエにも言っておくね」
「やめて、ごめんって」

 少しだけ動揺したのが、及川の声の微妙な響きで伝わった。報復されるかもと怯えているのだろうか、とチラリと様子を窺えば、及川はツリーにオーナメントをちまちまと飾り付けていた。

「……なんかでも、意外」
「そう?」
「だってさ、少なくともゴリエちゃんは俺に気があったでしょ」
「……凄い自信」
「事実でしょ、大学祭の後凄くアプローチされたし」

 それは初耳である。及川からもゴリエからも、そんな話は一切聞かなかったが、確かに進んで港に言える事ではない。

「険悪な事にはならなかったの?」
「なったよ。宅配ピザ持ってうちに来た三日後くらいに、ゴリエ一人で家に乗り込んで来たもん」
「えっ」
「ちょっと喧嘩したけど、話したら分かってくれたよ」
「……そんな平穏に収まるもんなの?」
「そんなもんだよ」

 台所でお茶とお菓子の準備をしていた港は、お盆にそれらを乗せてテーブルへと運ぶ。奥の部屋で付けっぱなしにしたままのテレビでは、現在再放送中のドラマが映し出されている。先週見た内容なので港は先の展開を知っているが、BGM代わりにとチャンネルは変えずにそのままにしている。画面の中に映し出されている二人のカップルは、険悪な雰囲気で言い合いをしていた。
 お客様をもてなす準備はできたと息をついた港は、未だ玄関辺りでツリーの飾り付けをしている及川の方に顔を向ける。どうやら最後まで飾り付けをしてくれるらしい。ならば自分も手伝うべきだろうと、港もツリーの傍に立ち、及川の持っている箱からオーナメントをひとつ取った。

「女の子って、本当に良く分からないなぁ」

 一人の男に好意を寄せている女同士、険悪な雰囲気になり打ち解けるなどほど遠い関係に発展しそうではあるが、港とゴリエの場合はそうならなかった。お互いの性格のおかげもあるが、多くはゴリエのさっぱりとして懐の大きいところに助けられたように思う。そして彼女が及川を追いかけていたのは、ただ単にカッコいいからという理由で、心底惚れているというわけでは無かったという事が、主な和解の理由である。

「おモテになる及川君でも、分からない事があるんですね」
「まぁね。特にお前相手だと苦戦するよ」
「……それって褒めてないよね?」
「褒めてないよ」

 オブラートに包むという言葉を知らないのか、最初から包む気がないのか、隣に立つ男はカラカラと笑う。

「それに……自慢じゃないけど俺、結構振られてるし」

 ピタリ、とオーナメントを飾り付けている手を止めて、港は及川を見上げる。港が知る限り、及川には何人か彼女が存在していた。あまり長続きをしているような感じはしなかったが、全員可愛くて美人な女の子だったように思う。破局した事は噂で聞いて知ってはいたが、どちらがそれを切り出したのかまでは知らなかった。及川のこの口ぶりでは、振られた事の方が多かったのだろう。過去の彼女相手にニコニコとして優しいイメージがあったものだから、意外である。

「なんで振られたの?」
「それがさぁ、分かんないんだよね」

 ガサガサ、とオーナメントの入った箱を漁りながら、及川はなんでもないようにそう言った。奥の部屋にあるテレビから、口喧嘩をはじめたカップルの怒鳴り声が聞こえて来る。あちらは相当に険悪ムードらしい。一方こちらは、及川の過去の彼女の話をしているというのに、港と及川の間に流れる空気は妙に穏やかだ。

「部活で忙しくて、全然構ってあげられなかったのもあるとは思うんだけど。ぶっちゃけ、はっきりした事は良く分からなかった」
「ちなみに、なんて言われて振られたの?」
「何お前、古傷抉りたいわけ?」

 ははは、と棒読みのような笑い声を口にし、及川は頂上に差す予定の星と手に取り、それで港の頬を軽く突いた。グニグニ、と地味に頬に食い込むので、港としては正直痛い。
 「振る時の参考にされたくないから言わない」なんて続ける及川と、くだらないやり取りをしている時だった。奥の部屋のテレビでヒートアップしてしたカップルの、彼女の方のセリフが二人のいる玄関にまで届いた。

『仕事と私、どっちが大事なの!?』

 ドラマなどで良く聞くセリフである。そしてワッと泣き出した彼女を彼氏が抱きしめ、この回のドラマは終わりを迎える。来週、彼氏はなんと答えるのだろう。そんな事をぼんやりと考えてみたが、何を言ってもあの彼女とは駄目になりそうな気がした。及川もテレビから聞こえた女のセリフを耳で拾ったのか、港の頬に押し付けていた星を一旦離して、飾り付けがほぼ終わったツリーに視線を向ける。

「仮になんだけどさ」
「何?」
「バレーと私どっちが大事? ……ってお前が言ったとしてさ」
「……うん?」
「お前は、俺にどう答えて欲しい?」

 なんだその質問は。しかし、先程より少しだけ静かになった及川の様子からは、何か意味ありげな質問に聞こえる。ならばその意味は……? などと考えてみたものの、港にはいまいち分からなかった。なんのひっかけもないような質問だと思う。使い古された解答ではあるが、港は思った事をそのまま口にした。

「私そんな事言わないよ」
「知ってるよ。仮の話だよ、仮の話」
「ふーん……それじゃあ、どっちも大事、って言って欲しい」
「適当だな」

 意味深な雰囲気で尋ねてきたわりに、及川の反応はあっさりとしたものだった。何が言いたかったのだろう……と首を傾げながらも、港は手の中の飾りに視線を落とす。これと及川の持っている星を飾り付ければ、クリスマスツリーの完成である。

「ぶっくく……」
「……何、どうしたの?」
「お前って、本当に期待を裏切らないよね」

 星の飾りを持ったまま、及川は何が可笑しいのか楽しそうに肩を震わせている。

「どっちも大事って、凄く欲張りな答えだよね」
「そう?」
「そうだよ、そもそも質問に答えてないし」

 どっちかにしなきゃいけないんだよ、なんて言いながら及川は手に持った星をツリーの登頂に差し込んだ。

「及川はそうじゃないの?」
「いや、俺もそう答えようと思ってた」

 完成したツリーを眺めて、満足そうにしている及川は、港がこちらを見上げている事に気付いている。しかし、何を思ったのかはっきりと言わないまま、安堵しているようだった。

「どっちかだけを選ばれたら、どうしようかと思った」

 ポツリとそんな言葉を零し、及川は港の頭をわしゃわしゃと撫でた。及川と会うという事で髪を整えていたというのに、早速乱れまくっている。何をしてくれるんだ……と及川を睨むが、本人は愉快そうなままだった。

「有馬も自信ついてきたね、良い事だよ」
「ちょっと……何が言いたいの?」
「そもそも、お前はこういう質問すら思いつかないんだろうね」
「……馬鹿にしてたりする?」
「してないよ」

 その割に、言い方が偉そうである。

「いや〜。今俺すっごく機嫌いいから、有馬に嬉しいお知らせを一つ」
「何?」
「今年のクリスマス、なんとか時間が作れそうだからデートしようよ」
「……本当は今日、それを言いに来たんでしょ?」
「まぁね」

これからの支度

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