「……どうしたの、これ」

 及川の家に遊びに来て早々、港は及川のベッドの上に並べられている服を視界に入れ、首を傾げた。ベッドの上には、黒を基調とした服が引っぱり出されていた。及川はわりと綺麗好きな方なので、こうして服が散らかっているのは珍しい。新しい一面を見たかもしれない、なんて感心している港を見て、及川は「違うって」と否定した。なんでも大学の学祭で仮装をするらしく、その衣装になりそうなものが無いかと探して、候補を並べているらしい。一体何の仮装をするのかと聞くと「ドラキュラ」と返ってきた。学祭前にはハロウィンのイベントもあるようで、二つのイベントで衣装を流用するつもりなのだと言う。

「問題はマントかな……売ってるの買うしか無いか」
「布買ってきて羽織ったら?」
「それも考えたんだけど、やっぱり完成度が違うでしょ?」

 完成度を気にしている辺り、意外と凝り性である。シャツとズボンは自前のものでなんとかなりそうだが、マントだけはどうにかしないといけないらしい。マントなんて買ったところで、それ以降使う機会があるのだろうか。そう思うのは及川も同じらしいが「まぁ記念に持っとくのもいいかな」という結論に落ち着いたようである。

「というかお前、早く来るなら連絡してよ」
「ごめんって、時間勘違いしてて……」

 港が家に来ると分かっていた及川がこうして服を広げたままだったのは、港が予定の時刻よりも早くに及川の家に来たことが原因である。約束の時間よりもわりと早くに及川の家にやって来てしまったせいで、及川は港が来るまでの間の所用を片付けられていなかった。だからこそベッドの上に服が広げられているし、昼ご飯を食べたばかりなのか食器もテーブルの上に残されたままだ。

「あとさ……悪いんだけど、ちょっと出かけて来るから留守番しててくれない?」
「えっ、どこ行くの?」
「これ、今日中に出さなきゃいけなくてさ」

 ピラピラ、と及川が振ったのは、ありふれた茶封筒である。港が家に来る前に出して来ようと思っていたのに、港が時間を勘違いしたせいでそのタイミングが無くなってしまったようである。及川の家から一番近いポストは、自転車で十分程の場所にあったように思う。「ちょっと投函してくる」と言った及川は、郵便物片手に自転車の鍵を指に引っ掛けた。そうして「三十分以内には戻る」と言い残し、見送りをしようとした港をそのままにさっさと部屋から出て行った。もしかしたら早く帰って来たいがために急いで家を出て行ったのかもしれない。しかし、港としては彼女らしく「いってらっしゃい」なんて言ってみたかったものだから、チャンスを逃して少し残念である。
 そうして及川が家を出て行ったのを確認し、港はそのまま部屋に戻った。見慣れた及川の私家は妙に静かで、家主の居ない部屋に自分だけがいるというのは、なんとも不思議な感じがする。急にそわそわと落ち着かなくなった港は、ふとベッドの上に視線を落とす。そこには相変らず及川が引っ張りだした服が積まれており、港は興味本位で及川の私服を一枚持ち上げた。至ってシンプルな白いシャツではあるが、これを及川が着るだけで様になるのだから、人間の素材が良いというのは羨ましい。他にも数枚服を漁ってみたが、及川の持っている服は無地のものが多い。及川の私服を一枚一枚確認していると、一番下の方に非常に見覚えのある服を見つけた。白地にミントグリーンのライン、数字の『1』が大きくかかれたそれは、及川の高校時代のユニフォームである。なんと、東京にまでこれをわざわざ持ってきていたようだ。それを手に取りながら、港はしげしげと及川のユニフォームを眺める。もう着る事など無くなってしまったユニフォームではあるが、及川にとっては大事な思い出の品だろう。両肩の部分を摘み、目の前に持ち上げてから、港は服の大きさを確認する。高身長の及川が普通に着ていたユニフォームとあって、当然ながら港には大きい。肩幅も、背の大きさも、腕の太さも、肉付きも、全てが港を上回る。男と女なのだから差があって当然ではあるのだが、自身が及川よりも小さい事を実感すると、ドキドキと胸が高鳴るのだ。運動能力が長けていたが故に、男子に女扱いをあまりされなかった港には、及川の前では自分が女であるのだと思える事が非常に嬉しかった。女扱いをして貰いたい人の前でそうなれる事は、港の心を酷く揺さぶる。

「…………」

 ぼんやりとユニフォームを眺めてから、港はそろりと振り返る。先程出て行った及川が帰って来る気配は無い。今がチャンスなのではないか。ごくりと息を飲みつつ、港は及川の高校時代のユニフォームをじっと眺める。着てみたい。ほんの興味本位、それの意味なんて深く考えるわけもなく、港は上着をそそくさと脱ぎ、及川のユニフォームを頭から被った。港の体よりも大きなそれを身に纏うと、肩の部分は二の腕の方にずれ落ち、首元も少しだけ広く、服の中は空間が空きスカスカとしている。やっぱり及川って大きいんだな……なんて考えながら、港は自身の太腿辺りに視線を落とした。及川のユニフォームは港には大きい故に、服の裾が太腿を隠してしまっている。これだけでワンピースのようになるのでは?と思い、港はすくりと立ち上がる。心もとない部分もあるが、及川のユニフォーム一枚で下着まで隠れてしまいそうだ。そう思うと更に興味が湧き、港は試しにスカートを脱いだ。及川の家に遊びに行くから……という事で、最近購入したばかりのスカートを丁寧に畳み、机の上に置く。そして自身の太腿を覆う裾をピッと伸ばし、足下に視線を落としてから、港はなんだか気恥ずかしくなった。自分は一体何をしているんだろう……とは思うが、密かにやってみたい事であったのも事実である。こうして自身と及川の体格差をまざまざと体感し、港は妙にドキドキとする。確か洗面所の方に鏡があったはず……と一旦奥の部屋を出てから、港は鏡野ある洗面所へ向かう。鏡で自身の今の格好を確認しようと思っての行動だったが、しかし、これが致命的なミスだった。

「ただいま」

 このタイミングで、なんの前触れも無く家主が帰って来た。帰って来るにしてはあまりに早過ぎるため、予想もしていなかった港は、及川の視線の先でガチリと固まる。洗面所に向かうために廊下を歩いていた港は、丁度玄関から見える場所に立っており、及川も港の姿を視界に捕えて静止した。一瞬の沈黙を、こんなに長いと感じた事は無い。及川と目が合った瞬間、港は凄まじい速度で洗面所に飛び込み、壁に張り付いた。
 見られた。死にたい。あまりに受け入れがたい現実に、港は頭を抱える。そもそも、及川が帰って来るのが早すぎる。しかし、それにしても何故及川の足音に気付かなかったのかと自身を責めたところで、後の祭である。控えめな足音がどんどんこちらに近づいて来る。間違いなく及川は港の格好を目にしたはずで、及川の向かう先は港が逃げ込んだ洗面所である。一瞬、近場にある風呂場に逃げ込もうかと思ったが、そこへ逃げた所で追いつめられている事実は変わらない。ならばいっそ、ここでトドメを刺された方がいいのでは無いかと、港は壁伝いに滑り、座り込んだ。

「なーにやってるの?」

 及川の声色は、明らかなからかいを含んでいる。及川と視線を合わせられるはずもなく、港はユニフォームの裾を伸ばしつつ、壁にひっつくように正座した。あまりに恥ずかし過ぎてどうすればいいのか分からず、港は両膝に手を乗せて俯く。

「ほんの出来心で……」
「へぇ〜?」

 港と視線を合わせるためにしゃがんだ及川は、非常に楽しそうな様子でニヤリと笑った。そうして港の格好を上から下までじっくりと眺め、赤面し固まっている港の様子を捕え、及川は頬杖をついた。

「ふぅ〜ん?」

 一体、何が「ふーん」なのか。普段ならばそれを普通に追及できるのに、状況が状況だけに港は何も言えなかった。恥ずかしい。自身が及川が留守の間、見つけた及川のユニフォームに袖を通していた事がばれるなんて、公開処刑もいいところだ。港はとても顔を上げる事ができず、いつもより剥き出しになっている自身の太腿を見つめる。改まったのだというアピールのつもりで正座をしたのだが、そのせいで裾が先程よりもずり上がってしまっており、それが港の心を余計に揺さぶった。

「お前も、こういうことやるんだね」
「……ごめん」
「別に良いよ、面白いから」

 でしょうね、と言いたくなるくらいに及川の声は軽い。これは、とんだ弱味を握られてしまったかもしれない。今後、これをネタに及川にからかわれるのかと思うと、港は頭を抱えたくなった。そんな借りてきた猫のようになっている港を認めて、及川はスッと目を細める。

「有馬、ちょっと立ってみてよ」
「え?」
「いいから」

 何故だろう……と思いつつ、港は素直に及川の言う通りに立ち上がる。立った方が足が隠れるし助かる、と思った港ではあったが、おもむろにポケットから携帯を取り出し、カメラを起動させた及川を認めて目を見開いた。

「えっ、何する気?」
「折角だから写真撮っておこうと思って」

 さも当たり前のような所作で携帯を構える及川に飛び上がり、港はカメラのレンズ部分を慌てて隠した。

「やめてよ、恥ずかしい!」
「いいじゃん別に、彼女の写真撮ったって」
「い……いいかもしれないけど、何もこんな格好のを撮らなくても……!」

 後でそれをネタに揺さぶりをかけられる未来が見える。たらりと冷や汗を流しながら、港は必死に及川の構える携帯のレンスを手で隠し、及川はそれから逃れようと携帯を持ち上げる。そんな攻防戦を続ける事一分程、埒が明かないと思ったのか、及川は説得にあたる。

「ほら、俺達忙しくてあんまり会えないじゃない? その寂しさを紛らわせるものだと思って」
「それなら着替えるから、この格好じゃない私の写真撮ってよ」
「いや、今のお前の写真が欲しい」
「恥ずかしいから、本当に勘弁して」
「お前のそういう、いかがわしい格好珍しいから無理」

 いかがわしい格好、と及川に言われ、港はガチリと固まった。及川には、港の格好がそう見えるらしい。途端に動揺し、動きが鈍った港の隙を見逃さず、及川は港から逃れて写真を撮った。及川のユニフォームを身に纏い、やや赤面したまま呆然としている港の写真を収めた画面を眺め、及川は満足げに頷く。

「うん、上手く撮れた」
「ちょっと……本当、もう……」

 なんと言ったらいいのか分からず、港は脱力して俯く。写真を撮られてしまった、という羞恥に襲われながらも、諦めがついたというのも確かである。もういっそ殺してくれ、と自棄になっている間に、及川は追撃とばかりにもう一枚写真を撮った。

「……それ、他の人に見せないでね」
「うん」

 ニコリ、と笑う及川を見上げ、港は何だかむず痒くなる。及川のユニフォームを勝手に着ていたことがバレてしまった事も、こうして写真を撮られてしまった事も恥ずかしい。しかし、及川に写真を欲しいと思ってもらえた事に関しては、少しだけ嬉しい。港も携帯にこっそりと、及川の写真を何枚か保存している。バレーの試合を応援に行った時の写真、デートに行った時の写真、昼寝している及川の寝顔を隠し撮りした写真、海旅行に行って水着姿で一緒に撮った写真、と数えられるくらいしか持っていないが、港はたまにそれを見返している。及川に知られたらどうしようかと思うが、好きな人の写真を眺めていると癒されるのだ。たまに口元がだらしなく緩み、今自分はこの人と付き合っているのだと改めて実感して「ふへ」なんて声を漏らしてしまう事もある。想い人と付き合えるのは、なんて幸せな事だろう。及川もそうなのだろうか。私の写真を見返して、口元を緩ませているのだろうか。そんな事をぼんやりと考えていた港は、ハッと思い至る。これは、チャンスかもしれない。転んでもただでは起きない、とばかりに港は顔を上げる。

「及川、私にも写真撮らせてよ」

 今なら『及川への仕返し』という理由で、及川の写真を正面から収められるかもしれない。そう思って港が勢い良く発言すると、及川は特に変わった様子も無く、あっさりと返事をした。

「いいよ」

 写真を撮られる事に慣れているが故に抵抗が無いのか、及川は「はい」と言ってピースをする。写真を撮らせて貰えるのはありがたいのだが、こうもあっさりと受け入れられると、拍子抜けしてしまうのは何故だろう。しかし、堂々と及川の写真を撮る事のできる機会を与えられた港は、浮き足立って携帯を取りに奥の部屋に戻る。自身が及川のユニフォームを着ている事などすっかり忘れ、カバンの中を漁り携帯を取り出す。そして早々にカメラを起動させたところで、港はふとベッドの上に並べられた及川の私服の存在を思い出した。つい最近、一緒に出かけた時に及川が着ていた薄手の白いニットもそこにあり、港はゴクリと息を飲んだ。及川は見た目が整っているから、わりとどんな格好をしていても似合う。しかし、先日これを着ていた及川は、なんというか港の好みのど真ん中だった。折角なら、この服を着ている及川の写真が欲しい。

「……及川」
「何?」
「この服着てる写真撮らせて」

 港の後を追って奥の部屋に戻ってきた及川は、妙に真剣な顔の港の見て吹き出した。クスクスと笑っている及川を正面に、港の本音が駄々漏れである事に気付いた。今日は羞恥で、本当に死に至れるかもしれない。

「……笑わないでよ」
「いや、ごめん……ぶくく」

 ごめんなんて言いながら、及川の笑いの震えは収まらない。そして非常に楽しそうに笑う及川は、穏やかに口を開いた。

「好きなんだ?」

 こういう服が。そういう意味での発言だとは分かってはいたが、なんだか「俺の事好きなんだ?」と言われた気がして、港は素直に頷く事ができなかった。ぐ、と言い淀む港の心境は筒抜けで、及川はそれに目を細める。

「仕方ないなぁ」

 そう言って、及川はおもむろに自身のTシャツに手をかけ、それを当然のように脱いでみせた。目の前で及川が上半身裸になったものだから、港は仰天する。バレーをしているが故に引き締まっている体、そして男の人の割に白い肌は、女の港から見ても目に毒だ。一緒に海に行った時も、なんだか見てはいけない気がしたし、肌を合わせている時は別の事に気をとられ、まじまじと見た事なんてない。そうして免疫が無くビシリと固まっている港をよそに、及川は港が指定したニットを拾い上げ、それを頭から被った。ピッと裾を伸ばして腹を隠した後「これでいい?」なんてニヤリと笑うものだから、港は言葉を失う。この余裕の差はなんだろう。そう嘆いたところで、現実が変わるはずもない。

「ほら、他にリクエストがあるなら応えてあげるよ?」
「……いいよ、もう」

 自分から写真を撮りたいと言っておいてあれだが、さっさと写真を撮り終えてしまいたい。そう思って携帯を構えた港に合わせて、及川はゆるりと腰に手を当てて「かっこよく撮ってね」などと宣った。誰が撮ったって、及川の格好良さは変わらないだろう……なんて思いながら、港はディスプレイ越しに及川を見つめた。そして及川もまた、カメラのレンズ越しに港を見つめ、穏やかに笑う。カシャリと控えめな音が響き、画面に収められた及川を見て、港はほぅ、と息をつく。ディスプレイには、優しく微笑む及川が写し出されている。なかなかに良い写真が撮れたのではないかと自負出来る一品である。

「上手く撮れた?」
「うん」

 画像がしっかりと保存されているのを確認し、港は満足げに頷いた。これで目的は達成したと携帯を仕舞うと、及川がおもむろに口を開いた。

「ねえ、折角だしさ」
「?」
「今度はこれ着てみてよ」

 そう言って及川が差し出したのは、ベッドの上に並べられていた自身の私服である、白いシャツだった。それを見て一瞬首を傾げそうになった港は、ふとある事を思い出して「えっ」と間抜けな声を漏らした。高校時代、友人が恋バナと称して「彼シャツ」なる話をしてくれた時の事が記憶に蘇る。彼氏の白いYシャツを彼女が着るというのは、男のロマンだとかなんとか言っていた気がする。もしかしてこれは、そういう事なのだろうか。及川は私が、そのシャツを着ている姿を見たいのだろうか。

「……及川の変態」
「何を今更」

 否定されるかと思ったのに、まさか開き直られるとは思わなかった。及川は特に悪びれた様子もなく、軽く首を傾げる。

「やることやってるんだから、そんなの知ってるでしょ?」

 至極当たり前のように言い放った及川ではあるが、それを聞いた港は堪ったものではない。やることをやっている、というのが何を意味しているのか察したと同時に、その時の事を思い出してしまって噴火しそうである。及川と肌を重ねたのは、これまででたった数回。「貪る」という表現が当てはまる程に抱かれた港は、及川がそんな事を言わなくとも、身を以て知っているのだ。唖然としている港を見下ろし、及川はクスクスと笑いながら、港の着ているユニフォームの肩の部分を摘んだ。そうして、港の二の腕までズレていたその部分を持ち上げる。及川もまた、自身と港の体格差というものを確認し、実感しているようだった。

「彼女のそういう格好、見たいじゃん?」

 ねぇ、着てみてよ。そう言って差し出された白いシャツを、港は恐る恐る受け取った。

彼氏彼女のロマン

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