彼氏彼女になったら、具体的にどうなるのだろう。何をすればいいのだろう。

「それを俺に聞いちゃう?」
「だって及川、彼女いっぱいいたじゃない」
「……その言い方、俺が遊び人みたいで嫌なんだけど」

 苦々しげに笑う及川は、右手に持った絵筆を筆洗いの中に突っ込んだ。濁った水をガシャガシャとかき回してから、インク汚れのついたタオルで水分を拭き取る。先日のHRでやっと看板に使うパーツを切り取ることができたので、今日の作業は着色である。和気あいあいとした教室の中で、港と及川の間にだけ、妙な空気が漂っていた。

「……なんだかいつもと変わらない気がする」
「まぁ……つき合いはじめて三日くらいしか経ってないしね」

 しかも昨日と一昨日学校休みで部活の時間もずれてたから、会っても無いし。普段と変わらない調子で、ペタペタとダンボールに色を乗せはじめた及川を尻目に、港はうーんと唸る。
 先日のふわふわした空気と、彼氏という未知の存在に興味を引かれ、港は及川の提案に頷いた。自分から「つき合おう」と言ったくせに、驚愕の表情を浮かべる及川に逆に不安になり「ごめん冗談だった? 真に受けた」と謝ると「いや、冗談じゃないです」と及川はブンブン首を振った。いまいち奴が何を考えているのか分からない。そうして港が唸っている内容を何となく察しているのか、及川は若干居心地悪そうに口を開いた。

「じゃあ、デートでもしてみる?」
「……デートかぁ」

 ドラマや映画、漫画で得た知識でデートというものを思い浮かべる。遊園地や水族館へ行ってみたり、ショッピングに出かけてみたり、学生らしく制服で寄り道をしてみたり、港の頭にはおおよそ典型的なデートのイメージが浮かぶ。しかし、イメージ上の仲睦まじい二人の男女を、港と及川に差し替えてみるが、なんともしっくりとこない。それどころか、私と及川がデートなんて、何の冗談かと思われる組み合わせだろう。お前ら罰ゲームでもしてるの? と普段の二人を見ている人間なら、言いそうだ。

「お前ら罰ゲームかなんかやらされてんの?」

 デートをしよう、と決めて早速その日に実行するのは、今日が偶然にも部活が休みの月曜日だったからである。普段は岩泉と一緒に帰っている及川が、帰りがけに廊下を歩いていた岩泉を呼び止めた。「ごめん今日デートして帰る」とサラリと言った及川に、岩泉は慣れたように「おお」と返す。そして及川の隣に立っていた港に視線を向けて、デートの相手を察した岩泉はやや目を見開いた。並ぶ及川と港をまじまじと眺めて、岩泉は「罰ゲーム」というワードを思い浮かべたらしい。案の定、そんな反応をされて港は苦笑いをする。

「いやいや岩ちゃん、俺達つき合いはじめたって言ったじゃん……」
「……あぁ、そういやお前そんなこと言ってたな。あれ本当だったのか」
「こんなこと嘘ついてどうすんのさ」
「ただのお前の願望かと思った」

 ボケたような発言をする岩泉に、及川は口元を引きつらせながら肩を落とした。あのねぇ、俺の事なんだと思ってるわけ? といつもの調子で口喧嘩のようなものをはじめるのは、もはや日常的な光景だ。喧嘩に乗じ、ねちねちと日頃の不満まで吐露しはじめた及川に、ああこれは長くなりそうだなぁ、と港は遠い目をする。一方、岩泉は「めんどくせぇ」と言わんばかりの表情で、及川を追い払うようにシッシと手首を振る。

「あー、デートなんだろさっさと行けや」
「罰ゲームと勘違いしておいてその言い方はどうなの」
「悪かったって」

 全く悪いとは思っていなさそうな棒読みの発言には、さっさとこの会話を終わらせてしまいたいという岩泉の本音が滲み出ている。

「ま、お似合いなんじゃねーのお前ら」

 岩泉が何を基準にしてそのような事を言ったのかは分からない。しかし、大して深い考えも無く投げられたその言葉に嘘は含まれておらず、不意を打たれた港と及川は一瞬怯んだ。そんなことには気づきもしない岩泉は、鞄を肩にかけ直して「じゃあな」と片手を上げて颯爽と去って行く。小さな火種をぽろりと落とし、この場を後にする岩泉の背中を眺めながら、あの男とつき合っている友人は大層気苦労しているのだろうな、と港は全く関係ない事を考えた。

 デートをする、と言っても具体的にどうするかなんて考えてなどいなかった。適当に近所の広い公園にやって来て、広場で遊んでいる子供達を眺めながら、及川と二人でベンチに座る。小腹が空いたので途中でコンビニに寄り、港は買って来たやきそばパンの封を破る。漂う焼きそばの匂いを鼻で拾い「もっと色気あるもの買えよ」と説教をたれる及川の手には、新発売のコンビニスイーツ、ミルクプリンが握られている。これお互いに買う商品逆だよなぁ、とは思うものの、及川相手に取り繕う気もないので、港はパンにかじりついた。

「ねぇ及川」
「何」
「これ、ただの買い食いだよね」
「まぁね」

 視界の端で、中学生のカップルが公園の噴水の辺りで楽しそうに談笑している。やや緊張気味の女の子がいっぱいいっぱいになって、男の子に何かを話している姿は可愛らしい。男の子の方も、そんな一生懸命な女の子を優しい目で見ながら、うんうんと相槌を打っている。甘酸っぱい青春を詰め込んだような二人の様子を眺めながら、港はため息をついた。

「あの子達、すっごくカップルっぽいね」
「そうだね」
「私たち、どう見えてるんだろうね」

 ただ買い食いにやってきた腐れ縁の男女、それが今の二人を最も適切に表現している言葉だと思う。第三者にもそう見えているに違いない、と確信する港は、公園の外の歩道で話し込んでいる他校の女子高生に視線を向ける。先程からチラチラとこちらの様子を窺っているのは分かっていたが、あの盛り上がりの様子だと、目的は恐らく及川だ。

「声かけちゃいなよ」
「でも……あの人彼女かもしれないし」
「いや、あの雰囲気は多分違う。勘だけど」
「勘って……」
「普通、あんなイケメンの彼氏とデートする時、やきそばパンなんて食べないでしょ」
「……それもそうだね」

 こそこそと話している声がだんだん大きくなり、こちらにまで聞こえて来る始末だ。隣で「ぶくく」肩を震わせて笑う及川の肩を、港は容赦無くバシンと叩く。

「痛い!」
「何笑ってんのよ」
「いや笑うでしょ」

 通りすがりの女子高生に馬鹿にされてやんの〜、と小学生レベルの軽口を言う及川を睨んだところで、ベンチに座った二人に影が落ちる。揃って顔を上げると、先程の女子高生数名が近くに立っていた。

「あ、あのっ! 突然すみません、及川さん……ですよね?」

 先程見かけた中学生カップルの女の子のように、カァと赤くなって緊張した面持ちで話す彼女は、それはそれは愛らしい。やきそばパン片手に間抜け面している自分とはえらい違いである。

「そうだけど」
「あの、私もバレー部で。公式戦で何度か及川さんの試合見たことあるんです! それで……ファンというかなんというか……」

 話す事がまとまっていないのか、空回っているのか、目の前の女の子は必死に口を動かしている。
にこり、と笑うだけで王子様スマイルができてしまう及川は、女の子を落ち着かせるように優しく笑い、急かさないように、彼女が話し切るのを待っている。こういうことを素でやるんだよなぁ、と及川を横目で窺いながら、港は焼きそばパンをこっそり袋に戻した。引け目を感じるな、というのが無理な話だ。

「こんなところで会えるとは思っていなくて……本当に急に声をかけてごめんなさい。あの、お邪魔でしたよね?」
「ううん、大丈夫だよ。わざわざありがとう、嬉しいよ」

 及川の返事に、ホッとため息をついた女の子は、恐る恐る港に視線を向ける。彼女を取り巻くお友達は、初めから港の方ばかりを気にしていたので、この場にいる全員の視線が自身に集まり、心なしか痛い。これはあれか、私の方がお邪魔なのだろうか。

「……あの、もしかして彼女さんですか?」

 不安と期待の入り交じった視線を向けられ、港は一瞬どう答えるか迷った。その質問の答えはイエスだ。しかし、つい数日前につき合いはじめたばかりで、しかも恋人になったのは、お互いに想いを通じ合わせたから、という訳でもない。肩書きは彼女であっても、本当の意味では彼女では無い。

「そうだよ」

 しかし、すかさず女の子の質問に答えたのは及川だった。女の子達も港も、思わず及川に顔を向ける。きっと予想通りの反応だったのだろう、及川は大して驚きはしなかった。

「そ、そうですか。デート……ですよね?」
「まぁね」

 何の汚れもない爽やかな笑顔に、女の子達は流石にたじろいだ。まさかこんな女とつき合っているとは思わなかった女の子達は、気まずそうに顔を見合わせてから、そそくさとこの場を去って行く。「応援してます」と控えめに言う女の子には、当然ながら元気がない。それに気づいているくせに、帰って行く女の子に手を振って笑顔で見送る及川の隣で、港は複雑な心境に陥る。

「……意外」
「何がだよ」

 そして急に素に戻った及川は、呆れたような目で隣の港を見下ろした。先程までの王子様はどこへ行ったのだろう。いやまぁ、及川に王子様対応をされたらそれはそれで困るのだが。

「私を彼女だなんて紹介するとは思わなかった」
「事実でしょ」
「……そうだけどさ」
「何か不満でもあるわけ?」
「そういう訳じゃない」

 不満があるわけではない、どちらかというと不満を抱くのは及川のはずだ。港は高校生活の中で、及川に言われ蔑称を思い返す。アマゾネス、ゴリラ女、可愛げが欠落した女……等、結構酷い内容ではあるが、だいたい事実なので否定もできない。そんな女を彼女にしようと思う方がおかしいだろう。そもそも、何を思って港に付き合おうと言ったのか、それすらいまいち分かっていない。これについては、これまでつき合ってきた可愛い系統の女の子に飽きたから、ちょっとした珍味に興味が湧いたのだろうか、と港は勝手に予想はしている。

「及川は、恥ずかしくないの? 彼女が……その、私で」
「別に。というか、逆になんで恥ずかしいと思うの?」

 港は若干言い淀んだが、早く吐けと言うように及川が肘でつついてくるので、渋々本音を口にした。

「……だって私、デートでやきそばパン買うような女だし」

 ぼそりと呟けば、及川は数秒キョトンとした後「へぇ」と急にニヤつきはじめた。ああ、だから言いたくなかったんだと後悔したって、先程の港の発言は無かったことにはならない。嬉々とした様子の及川は、それはそれは楽しそうだ。

「俺は、やきそばパン食べてるお前がいいんだけど」

 ニヤリ、とからかいを含んだ笑みを浮かべ、及川は長い足を優雅に組んでみせた。その姿が様になるものだから、港は腹立たしくてしょうがない。言い返せない事を分かっているこの狡猾さが、この男が性格悪い、などと評される理由のひとつだ。全く、いい性格をしている。
 素直にこの男の言葉に従うのが癪で、やきそばパンをカバンの最奥にしまいこんだら、途端に及川は吹き出した。
港の天の邪鬼な行動に、あまりに楽しそうに笑うものだから、この判断は失敗だったかもしれないと港は後悔する。しかし、素直にやきそばパンを頬張ったところで、及川は今みたいに笑っただろう。
 結局逃げ場なんてなかったのだ、と肩を落とした港は、お腹をかかえて未だに笑っている及川の頭をパシンとはたいた。

彼氏彼女をはじめよう

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