酷くいかがわしい夢を見た。身に纏ったものを全て脱ぎ捨てて、及川と抱き合う夢。はじめての事だらけの、愛を確かめるという行為に勤しむ、長い記憶。

「……」

 なんて夢を見ているんだろう。港は目を覚まして、まず第一に心の内でそう呟いた。夢とは、自身の中に抑え込んでいる願望が現れるものなのだと、友達の誰かが言っていたような気がする。私は及川と、実はこういう事をしたいのだろうか。暫くそんな事を考えながら、ぼうっと天井を見上げた後、港現実逃避をやめて隣に顔を向けた。耳を澄ませなければ聞こえない程小さな寝息をたてながら、昨晩の『長い記憶』を共有した男は未だ眠っていた。元々整った顔をしているが、寝顔もそれに比例して綺麗である。夢ではない。汗を含み、額にはりついている前髪をそっと払ってから、港は及川の寝顔を眺めながら昨晩の事を思い出した。
 まさに熱帯夜というべきか、あまりの熱さにぼうっとする意識の中、まるで酔っているかのように及川と触れ合った。男の人の肌は想像よりも固く、女の自分とはまるで違うのだとまざまざと思い知らされた。筋肉のついた引き締まった及川の肌を、まるで自身の体との違いを確かめるように撫でていた港と同様に、及川も自身の体と違う、港の女の体を弄った。汗でしんなりとした前髪から覗く及川の熱をたたえた目は酷く色っぽく、港の方が見蕩れてしまいそうになった。そんな男が、触れるだけに留まらず、唇や舌を這わせてくるものだから、港は溜ったものではない。普段の自分のものとは思えぬ声まで零してしまい、羞恥で死にそうになっている港を更に揺さぶるべく、及川の所作はエスカレートしていく。丁寧に全てを暴き、何度も、何度も、何度も、港は体を味わわれた。アマゾネスだなんて、まるで女扱いに程遠いあだ名をつけられる港ではあるが、行為の最中はただの女でしかなかった。ひとつになるという表現は、まさしくその通りなのだと思い知り、触れ合う熱さに酔いしれた。初めての痛み、そして初めての感覚に首を振り、その原因である及川にすがりつくという矛盾。「いや」なんて反射的に零してしまうのに、行動は発言の全く逆を行くという矛盾。抱えた矛盾がまるで、自分たちのようだった。
 及川も男の人なのだと、改めて実感した。今まで異性に抱かれたことなど無い港がそう思ってしまうのは、内に抱えた本能によるものなのかもしれない。港がそんな事を考えていると、少しだけ及川が身じろぎをした。もしかして起きたのだろうか、とドキリとした港ではあったが、及川は少しだけベッドに沈み込んだだけで、寝顔は特に変わりない。早く目覚めて欲しいような、そうでないような複雑な心境にかられながら、港は及川の傍に寄る。
 整った寝顔をぼうっと眺めてから、何度も重ねた事のある唇に視線を奪われる。港をいつも言葉でからかう時に動く口は、行為の最中は酷く甘やかな事を零した。可愛い、綺麗、やらしい、及川に面と向かって言われる事が滅多にない言葉の数々。対する港も、及川に負けず劣らず「好き」「大好き」などと零し、ハートマークを振りまかんばかりの興奮ぶりだった。再び、港は羞恥に震えながら赤面する。先程から一人で震えている自分は、第三者から見たら随分と滑稽な存在かもしれない。そうして港が悶えながら布団の中で落ち着かなく揺れていると、不意に頬に温かくカサついた感触が滑った。

「一人で楽しそうだね」
「……」

 頭上から落とされた声に、港は一瞬静止する。そして恐る恐る顔を上げ、少し見上げた先にある及川の顔を確認すれば、ばっちりと目を開きこちらを見下ろしていた。どうやら港が唸っている間に目を覚ましていたらしい。港の頬に手を添えている及川は少しだけ眠たげではあったが、昨晩の最中の雰囲気をやや引きずっているかのように、妙に色っぽい。それに驚いた港は思わず飛び退き、その拍子にこちらに顔を寄せようとしていた及川に頭をぶつけてしまった。港の頭部に鈍い痛みが広がると同時に、及川はぶつけた額を抑えて痛みに悶える。

「おっ……まえ……頭突きはないでしょ」
「ご、ごめん……つい!」

 慌てて及川の額に手を伸ばし、港は慌てて様子を伺う。痛みに唸っていたはずの及川だったが、しかし、だんだん肩を震わせ始め、ついにはクスクスと笑い出した。それに首を傾げた港ではあったが、穏やかな及川の笑みに、港はコクリと息を飲んだ。

「おはよう」

 何気ない朝の挨拶。しかし、今この瞬間及川に落とされたこの言葉に、胸がじわりと温かくなっていく。

「……おはよう」

 ほんのり赤くなりながら、港はモゴモゴと返事を返す。それを聞いて満足したらしい及川は、港の体を気遣うように、さり気なく腰の辺りを撫でた。

「体……辛いとか、そういうのない?」
「……大丈夫」
「そっか……」

 スッと目を細めた及川は、ゆるりと口元を緩ませてから、頭を置いている枕に少しだけ顔を埋めた。

「実はさ、俺一時間前くらいに1回目起きてたんだ」
「……そうなの?」
「そう。なんか熱いな〜と思って目覚ましたら、有馬が凄く俺にくっついて寝てて息苦しかったみたいなんだ」
「……」

 それは、文句なのだろうか。及川のニヤニヤとした表情からは、からかっているように見えなくもない。しかし、どちらにしても港の居心地が悪い事には変わりない。港はそっと、及川から視線を逸らした。

「前にさ、一緒にキャンプのバイトに行った事あるじゃん?」
「……うん」
「あの時も一緒のテントに泊まってさ。目が覚めたら、有馬が俺の布団に入り込んでたよね」
「……」

 無言のまま、港は以前キャンプのバイトに及川と一緒に行った時の事を思い出した。同じテントで一緒に寝た翌朝、及川にくっつくように眠っていた港は目を覚まして悲鳴を上げた。港より先に起きだしていた及川は、どうしたものかと身を固まらせたまま、少しだけ気恥ずかしそうにしていた。慌てて飛び起き「何で!?」と尋ねると「それは俺のセリフなんだけど」と及川に視線を逸らしながら言われたような記憶がある。港自身疑問に思ったのは確かであるが、同時に心当たりもあった。高校時代、バレー部で合宿をした時にも港は似たような事をやらかしていた。隣で寝ていた友達の布団のスペースに転がり込んでいた事が何回か有り、友人には「港って人肌が恋しいんじゃない?」なんてからかわれもした。

「有馬の寝相悪いって聞いてたけど……まさかこういう意味だとは思わなかった」

 あまりの恥ずかしさに、港は無言で布団の中に潜り込んだ。朝日が登りきっているせいか、布団の中はそれなりに明るく、目の前に及川の引き締まった裸体が広がり、港は慌てて視線を逸らした。羞恥から逃亡する為に布団に潜り込んだというのに、思わぬ二次被害である。そうして動揺している港を追い、及川も布団の中に潜り込んでくる。

「なーに今更照れてるんだよ」
「改めて言われるとより恥ずかしい……」
「……昨日、もっと恥ずかしい事したのに?」
「言わないで!」

 勢い良く慌てて及川の口を片手で塞ぐと、及川は笑いながら港の腰の上に手を滑らせた。そして自身の口元を抑える為に伸ばされた港の手を掴み、塞がれた口からゆるりと離す。

「お前、俺以外の男と一緒に寝るなよ」
「寝ないよ」

 そもそも、そんなことになる気がしない。そう続けた港の言葉を途中で遮るように、及川は港に顔を寄せて口づける。不意の事に、港は思わず瞬きを繰り返す。

「まだ時間あるし、イチャイチャしとく?」
「……何その適当な感じ」

 言いながら、港は及川の額に自身の額を寄せてから、今度は自分から唇を重ねる。起床時間までイチャつくという及川の提案に賛成の意を示す港に、及川は目を細めて、彼女を愛すべく腕を伸ばす。及川がゆるりと動いたことで、ベッドが少しだけ軋んだ。

「ピロートークってやつだよ」
「……ん……及川」
「だめだよ、もっとこっち……」
「あっ……もう」
「おいで」
「……」
「……うん、いい子」

 二人分あった布団の膨らみが、一つの大きな膨らみに変わる。布切れ一枚の下、昨晩初めて肌を合わせた男女が睦みあう毎に、薄い布団の皺は波を打つように、めまぐるしく変わっていく。

「や、そんなこと……」
「いや?」
「……恥ずかしい」

 一瞬だけ、布団の膨らみが動きを止める。しかし、港の小さな呟きに嫌がられていないと理解した及川は、そのまま行為を続行する。白い布の山からは、籠ったようなリップ音が響き始める。時折漏れる吐息、控えめな嬌声、二人のいやらしい睦事はしかし、被った布団に隠される。ゴソゴソという布ズレの音をバックに、布団の中での秘め事に夢中になる二人ではあったが、熱中するうちに呼吸が苦しくなり、早々に布団から顔を出した。

「苦し……」
「……布団の中って息し辛いよね」

 ぷは、と息を整えてから、視線を合わせて二人して吹き出す。甘い空気に浸っていたかと思えば、最後までその甘みある雰囲気を保っていられないのが、なんとも自分達らしいと思う。きっと、港と同じように吹き出した及川も同じ事を考えているのだろう。私たちの関係は、高校時代の事を思えば随分と変わった。しかし、こうして変わらない部分もあるのだと気付くと、より愛しく思えるのは何故だろう。

「あ、枕の下に有馬の下着が……」
「ちょっと!」


愛しき矛、愛すべき盾

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