休日。
今日は及川と予定が合うという事で、デートでアスレチックに行く予定だったというのに、大雨が降って予定を急遽変更することになってしまった。どうする? と昨晩電話越しに相談し、特に良い案も浮かばなかった。その結果、流れで及川の家に遊びに行くことになった。しかし、ただ家に遊びに行くとなるとつまらないだろうということで、雨の中二人でレンタルビデオ屋に待ち合わせて、今に至る。言うなれば、今日はお家デートという名前の映画鑑賞会である。

「お前……そんなの借りるの?」

 港が手に取ったDVDのパッケージを二度見して、及川はげんなりとした顔をする。及川は傘をさして歩いて来たというのに、あまりの激しい雨のせいで気持ちしんなりとした雰囲気を漂わせている。少し癖のある髪は水分を含み、いつもよりくるりとうねっているのがなんだか面白い。そんな及川を尻目に、港は不気味なパッケージからDVDを抜き出した。

「一度見てみたかったんだけど、一人で見る勇気無くてさ」
「やだよホラーなんて…。夜に思い出すじゃん……」

 あからさまに嫌そうな顔をする及川は、港の手にある空になったパッケージを奪い、詳細の書かれている裏面を確認する。確認なんてしなくとも、ある意味国民的に有名なこのホラー映画の内容など、及川は恐らく知っているはずである。

「及川ってホラー苦手なの?」
「見られないこともないけど、好んでは見ないかな」

 気味悪いじゃん、と言う及川が既に手に持っているのは、去年話題になった映画のDVD数本である。気にはなっていたが、時間の都合や気力の問題で映画館に行く事ができなかったものをこの機会に見てしまいたいらしい。ハリウッド超大作のSF、切ない恋愛ものの邦画、流行したアニメ映画など、わりとこだわりがない。とりあえず興味が湧いたもの全部借りてみよう、というのが及川のスタンスらしい。

「じゃあこれは?」
「あー……これは……」

 ホラー映画のDVDをさり気なく確保しながら、港は話題逸らしのために適当なDVDを指差した。しかし、それを見た及川の懐かしむような予想外の反応に、港は首を傾げる。可愛らしい犬がメインのこの映画に、何か楽しい思い出でもあるらしい。

「前に岩ちゃんと一緒にテレビで見たやつだ、それ」
「そうなの?」
「そうそう。岩ちゃんこういう動物もの弱くてさぁ」
「あぁ……なんだかそんな感じする」
「予告だけでじんわりしてたからね」

 クスクスと笑いながら、及川はその動物ものの映画のDVDを棚から取り出す。きっと過去の、じんわりとしている岩泉を思い出しているのだろう。「もうグスグスうるさくてさぁ」なんて思い出話を口にしながら、及川は結局動物もののDVDをパッケージから抜き出した。結局これも借りるらしい。

「そんなに借りて、今日中に見られるの?」
「明日も休みだから、残ったら明日見ればいいでしょ」
「まぁ、そうだけど……」

 これは本当に、本格的な映画鑑賞会になりそうである。もしかして今日は、徹夜で映画を見る事になるのでは……? と港が不安を過らせたタイミングでふと、成人コーナーから二人の男の人が出てきた。入り口にかけられた暖簾を払い現れた、及川並に背が高い男二人に思わず気をとられた港に気付いて、及川もゆるりと顔を上げる。そしてその二人を見るや否や及川は硬直し、二人の背の高い男達は及川を認識して、「あ」と声を漏らした。居合わせた四人の間に、一瞬だけ妙な空気が流れる。そうして一番先に口を開いたのは、はねた黒髪が印象的な男の人だった。

「及川じゃん。何やってんの?」
「……君たちこそ何やってるんだよ」
「それ聞く?」

 どうやら、成人コーナーから現れたあの二人の男は及川の知り合いらしい。しかし、最悪なタイミングでで出くわしたものである。

「ここから出て来たら、やることは一つでしょ」

 ニヤリというしたり顔が妙に様になる黒髪の男が言う事は最もであるが、あまりにも身も蓋もない発言である。及川だって二人が何をしていたのかなんて分かっているはずで、聞きたかったのはそこではないだろう。案の定、及川も「そんなの見れば分かるよ」と苦笑いを浮かべている。そしてこの時、彼らに対して及川の向こう側に立っていた港の存在に、黒髪の男の方がやっと気付いた。及川の影に隠れて気付けなかったのも仕方がないが、この場に一応は「女」が居合わせていると理解したらしい。黒髪の男はさっと手に持ったDVDを背後に隠し、半ばカタコトになりながら慌てて姿勢を正す。

「エッ……及川の彼女?」
「……そうだけど」

 怪訝な表情の及川の発言を耳にし、銀髪が印象的な元気そうな方の男が「ヘェー!」と関心した様子で港の方を覗き込む。高身長な彼は比較的フレンドリーそうに見えるが、やはり威圧感というものは凄まじい。
「コンニチハ!」と丁寧に挨拶をされ、港も慌てて頭を下げて挨拶を返す。あぁでも、彼のこの雰囲気は話しやすいかもしれない。港はそうして少し安堵したが、しかし。その男は恐ろしく素直に、港の安堵を消し飛ばすような事を口にした。

「君が及川の彼女かぁ〜。なんか意外だな!」

 何の嫌味も意図も含まれていないその発言に、港はサクリと胸を刺される。意外とはどういう意味だ、なんて言い返す必要がない程に愚問である。要は、及川の彼女として自分は「意外」と言われてしまうくらいに、釣り合っていないというわけである。久しぶりのデートということもあり、気合いを入れてきたつもりだったのに、そんな事を言われてしまい正直ショックである。やっぱり努力が足りないのか……と密かに落ち込む港に気付いたのか「意外」だと言った彼の背中を、隣に立つ黒髪の彼が慌ててドンと叩いた。

「いってぇ! 何すんだよ黒尾!」
「ははは、ゴメンネ及川。デートの邪魔しちゃって」

 黒尾と言うらしい黒髪の彼は、この場の空気をさり気なく誤摩化そうと必死である。隣の男の失言に対するこちらへのフォローに入ってくれているのだろうが、片手に持ったDVDのいかがわしいタイトルがチラリと見えて、いろいろ台無しである。そして黒尾のそんな努力もむなしく、隣の元気そうな男は「そういや及川丁度良かった!」などと言い出した。この場から帰る気配も無く、成人コーナーの前を占拠し、ついに話し込み始める。この元気な彼(木兎さんと言うらしい)が最初に振った話題といえば、大学での部活の日程についてである。「さっき先輩に聞いたんだけど、今度の練習試合が〜」などという話の内容から、彼らが及川の大学での部活仲間であると察した。日程が変更になるかもしれない、という話から、今度の練習相手についてなど、三人の話題はだんだん真面目なものになっていく。その三人のうち、二人がR指定のDVDを持っているというのが、この真面目な会議の突っ込みどころではある。

「……及川、私あっちのコーナー見て来るね」
「あ、ごめん。俺も後で行くから……」
「いいよ、気にしないで」

 なんだか重要そうな話をしているし、水を差すのもあれだろう。そう思ってこの場から一旦抜け出そうとする港に、木兎は「ごめんな、ちょっと及川借してくれ!」と謝罪する。先程の失言の件はあったが、悪い人ではないんだろうということが分かり、港が余計に悲しくなったのはここだけの話である。そうして三人の居る場所から一旦離れ、適当にDVDを物色しながら、港はふと考える。
 及川もああいう、破廉恥なDVDを見るのだろうか。ぐるりと純粋な疑問が脳内を一周したが、そんなもの考えなくとも分かっている。今までの十数年の人生の中で、男がそういうものに触れない機会がないはずがない。現に高校時代、男子の部室からいかがわしい本が見つかったと及川がため息をついていたのを思い出す。あの時の及川は確か部長になりたてて、何故か部長責任で持ち主不明のエロ本の処分を任されたと嘆いていた。エロ本の入った大きな紙封筒を差し出し、からかい気味に「これいる?」なんて港に言い放った及川とは、あの時期はまだ険悪な仲であった。あれは嫌がらせに近いものではあったが、よく考えればとんだセクハラ行為である。そんな過去の記憶を遡りながら、港は目の前の棚に置かれたラブロマンスもののDVDのパッケージに視線を落とす。店員の手描きのPOPでオススメ!と記されており、ある話題の女優の濡れ場は必見! などと紹介文まで添えられている。そのDVDを何気なく手に取り、裏面をひっくり返すと、濡れ場のワンシーンらしいカットが小さくプリントされていた。
 及川も、はやりそういうことに興味があるのだろうか。私とこんなことしたいなんて、思ったりするのだろうか。そんな答えの出ない事を悶々と考えながら、港はそっとDVDのケースを元の棚に戻す。一体私は何を考えているんだろう。そんな雑念を振り払おうと頭をブンブンと振った時、港の目の前にある棚の向こう側から、聞き覚えのある声が聞こえた。

「アイツどこ行ったんだろ……」

 及川の声である。DVDの並べられた棚の隙間から、向こう側がうっすらと確認できるのだが、そこから及川の今日着ている服が垣間見えて、港は動きを止める。もう三人での話し合いは終わったらしく、及川は港を探しているようである。予想より早かったな、なんて思いながらも、港は「あれ?」と首を傾げる。港が確認出来る範囲では、棚の向こう側には二人の影しか窺えない。もう一人はどこへ行ったのだろう。

「あれ、そういや木兎は?」
「あっちの洋画コーナーで釘付けになってるよ」
「あいつ……本当に自由っつーか、なんつーか……」

 一旦立ち止まり、振り向いたらしい黒尾は、どうやら遠目で木兎の姿を確認したようである。ハァとため息をつき、呆れている様子が港にまで伝わってきた。彼も苦労しているのだろうか……と知り合って短時間の港に思わせるくらいには、妙に貫禄のあるため息である。そうして港も無意識に木兎の姿を探したが、流石に棚の隙間からでは視界も悪く、木兎がどこにいるのか確認はできなかった。

「……ったく。つーか悪いな及川、デートの邪魔して。彼女サンにも謝っといて」
「本当だよ。アダルトビデオ借りてる友達と出くわすなんて予想もしてなかったから、どうしようかと思った」
「いや本当、ゴメンネ」

 ハハハ、なんて棒読みに口調で笑ってみせた黒尾は、数秒無言になった後、しみじみとした様子で口を開く。

「……でも、本当に意外だな」
「何が」
「及川の彼女。勝手にすげー美少女かと思ってたけど、案外普通の子だな」
「あぁ……良く言われる」

 良く言われる、という及川の発言に、港は更にザクリと胸を刺される。先程の木兎の発言といい、分かってはいたが、及川の口からハッキリと言われてしまうと余計に傷つく。まさか棚一枚を挟んだ向こう側に港本人がいるとは思っていない及川と黒尾は、ガーン、と港が頭垂れたことに気付けるはずもない。そんな二人は、尚も港の話題を続ける。

「でもあいつ、普通の女じゃないからね」
「そうなの?」
「そうそう。なんたって、高校時代のあだ名はゴリラにアマゾネスだったからね」

 先程まで落ち込んでいた港ではあったが、思わぬ及川の発言に「何故それを暴露するんだ!」と胸ぐらに掴みかかりたくなった。初めて会ったばかりの人に、そんな事を言うのはあんまりである。それに、港に面と向かってそう言っていたのは及川だけじゃないか! などと港は一瞬脳内で反論しかけた。しかし、影で男子に「アマゾネス」と呼ばれていたのも事実である。くっ……と一人悔しく思いながら、港はその場に立ち止まったまま動けない。アマゾネスと黒尾に認識されてしまった後では、非常に出て行き辛いし、恥ずかしい。そうして港が一人震えているなんて気付きもしない及川は、更に「ある意味凄い女だよ」だなんて付け加え、鼻で笑う。しかしここで、黒尾は予想外の事を口にした。

「それじゃ及川は、アマノジャクってところ?」

 黒尾の表情は伺えないが、口調からニヤリとした笑みを浮かべているのだろうという事がなんとなく分かった。そんな黒尾の投げかけに、及川は一瞬言い淀んだようだった。

「素直じゃないねぇ」
「……事実を言ったまでだよ」
「へぇ〜」

 いかにも愉快そうな様子が、黒尾の声から窺える。そして少しの妙な間の後、黒尾は至極楽しそうに言葉を続けた。

「そんな子と付き合ってるとか、なんかマジっぽいじゃん」
「……マジだからね」

 こればっかりはどうしようもない。そう諦め気味に言った及川の発言を聞き、硬直した港とは反対に、黒尾はケラケラと笑い出す。

「及川クンかっこい〜」
「知ってるよ」
「うわぁ、腹立つ〜」

 腹立つ、というのはきっと黒尾の本心である。そして「二人共お似合いだと思うよ」という発言の後、黒尾はこの場に及川を残し、スタスタとどこかへ歩いて行く。途中で「木兎帰るぞ〜」という気だるげな声が聞こえたので、どうやらこのまま店を出て行くつもりらしい。そうして黒尾が木兎を連れて去った後、港は棚越しに二人きりになった事に気付いた。二人も帰ってしまったことだし、港も及川と合流してしまってもいいだろう。先程の及川の発言の後遺症で呆然としながらも、港がそう考えついた時だった。

「……で、元気出た?」

 DVDの並ぶ棚越しに、及川は唐突に口を開いた。それには流石の港も驚き、棚越しに立っているであろう及川の方に視線を向ける。なんと、港が対面側に立っていると気付いていたらしい。分かっていてああいう事を言ってくれたのだと分かり、港は一瞬言葉を詰まらせた。

「……気付いてたの?」
「さっきね、黒尾は最初から気付いてたみたいだけど」

 ハァ……というため息をつき、及川はゆっくりと体の向きを変える。

「余計なお世話なんだか、フォローなんだか……。食えない奴だよ」

 本当、どこに行ってもくせ者だらけだ。そう続けた及川の言葉に、港も心の内で同意した。



 二人がやっとDVDを借りて店を出る頃には、雨脚も少しばかり弱まっていた。それでも傘がないと濡れ鼠になってしまうという事実は変わりない。DVD数枚を入れた袋をカバンにしっかりとしまい、港は傘立てに置いていた自身の傘を抜き出した。港にしては珍しい、女らしい花柄の傘は、東京に引っ越して来てから購入したものである。及川にも「なんか珍しいチョイスだね」なんて指摘されてしまった代物ではあるが、同時に「可愛いんじゃない?」とも褒められた品である。後で「傘は可愛い」などと強調されてしまったが、それでも褒めてもらえた事が嬉しくて、港はこの傘を大事にしている。

「雨、当分止みそうにないなぁ」

 薄暗い空を見上げながらぼやく及川を横目に、港はひそやかに自身の左手に視線を落とす。先程、及川が黒尾との会話で漏らした本音を聞いて、嬉しく無いと言えば嘘になる。だからこそ、港も及川に自身の好意を伝えたいと思うのだ。私も同じなのだと、港の内で息づく乙女が顔を出す。そうしてゴクリと息を飲み、港はそろりと自身の左手を伸ばした。傘を片手に握ったまま、空をぼんやりと眺めている及川の手を恐る恐る握ると、及川は数度瞬きをしてから港を見下ろした。とても及川と目を合わせられる状況ではない。しかし、及川が驚いていることは空気で分かった。自分から、こうして積極的に手を繋いだのははじめてかもしれない。そんな事をぐるぐると考え、茹で上がっている港の様子に、及川は数秒後にプスリと吹き出した。

「あのさ……。手繋いじゃったら、傘させないと思うんだけど」

 可笑しそうに言う及川の言葉に、港はみるみる顔を紅潮させていく。勇気を出して手を握ってみたというのに、この雨の中ではそれが難しいのだと及川に指摘されて気付くなんて、自分はなんて恥ずかしい奴なのだろう。思わず滑らせた手をひっこめると、及川はケラケラと笑いながら自身の傘を空に向けてさした。自分の長身にあわせた大きめの傘は、高校時代から及川が愛用しているものである。あの傘で一度だけ、及川と相合い傘というものをしたことがあった。それを思い出した事もあり、港はしばらくこの羞恥心から逃れられそうにない。

「どうする、お互い傘さした状態で手繋ぐ? 多分濡れるけど」
「いいよもう!」
「それか、腕を組めば相合い傘ができなくも、」
「もう良いって!」

 ニヤニヤとする及川を置いて、港は傘をさしてさっさと歩き出した。折角思い切ってみたというのに、空回りに終わってしまった事実が悲しい。なんでこんなに格好がつかないのだろう、と内心で嘆いている港を他所に、及川の口元は緩んでいる。

「お前のそういうところ、可愛いと思うよ」
「……本当にそう思ってる?」
「本当本当」

 からかっているのか、本心なのかよく分からない事を言いながら、及川は楽しそうに港の隣に並んだ。「だからほら、機嫌を直しなよ」なんて言いながら、港の頭をポンポンと叩く及川の手は優しかった。

愉快なキューピッド

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