及川徹とは、何かの縁があってか高校生活三年連続同じクラスである。部活も同じバレー部で同じポジション、甘いマスクの下で実はいい性格(褒め言葉ではない)をしている事を港は知っている。女子バレー部全体に自身の本性がバレているため、黄色い声を上げない港達には、及川は取り繕うことなく平然と本音を言うし、軽口も叩く。特に及川をぞんざいに扱っている自覚のある港には、及川の軽口が暴言になりかかるくらいには砕けている。良い例が、奴の私へのあだ名は「アマゾネス」だ。とても正面切って女子に言うようなあだ名ではない。
 話せば結構な頻度で険悪な空気になり、周りの人間が退散していくくらいには良く喧嘩をするが、次の日にはケロッと忘れていることも少なく無い。その応酬にも慣れたせいもあり、今では険悪さも随分とは収まっているが、だからと言って仲が良好とも言えない。
 しかし、港にとって及川徹は、一番気の知れた男友達だと思っている。喧嘩も良くするが、気を遣わなくてもいいし、なにより素でいられるので、及川といるのは随分と楽だ。嫌いではない、という表現が奴にはしっくりくる。
 それは及川も同じなんじゃないか、となんとなく思っていた。


 青葉城西の文化祭まで一ヶ月をきった。我がクラスでは模擬店でたこ焼き屋をすることになっており、HRの時間を利用して、各自役割分担をしてたこ焼きのトッピングや看板やメニュー表などの制作を行なっていた。新聞紙を丸めて大きな丸を作り、そこに着色を施してたこ焼きのオブジェを作っている生徒が多い中、港は黙々とたこ焼き屋の看板を作っていた。ダンボールに「た」の文字を鉛筆で下書きし、ジャキジャキとカッターナイフでパーツを削りとる。切ったダンボールの側面がややガタガタとしてしまうのはしょうがないが、できるだけ綺麗に切り取れるように務める。同じく看板制作係である及川は「屋」の文字の下書きが気に食わないらしく、先程から消しゴムで消したり書いたりを繰り返していた。

「まだ悩んでるの? 読めたらいいんだから、ちょっとくらい妥協しなよ」
「いや……なんかこう……もうちょっとで理想に辿り着きそうなんだよ……」

 意外に凝り性なのか、及川はぐぬぬと納得いかない様子でダンボールを睨んでいる。港も及川の描いた下書きを覗き込んでみたが、確かにあと何かが足りないようなもどかしい気分に陥る。文字のバランス感が足りないのだろうか? と首を傾げたものの、別にこれでもいいのでは? というのが本音である。看板制作が捗っていない港と及川をよそに、近場でたこ焼きのオブジェを作っていた男子と女子の楽しそうな会話が耳に入る。

「え、あの音楽グループ好きなの?」
「おう」
「私もそのグループ興味あるの! お勧めの曲とか教えてくれない?」
「いいぜ、なんならCD貸そうか?」
「いいの?」

 キャッキャと実に楽しそうに盛り上がっている二人の男女を眺め、港は三年目を迎える文化祭で、ぽろりと思っていた事を口にした。

「文化祭の前後って、カップルできやすいよね」
「普段あんまり話さない人と話せる機会でもあるからね」

 あの二人みたいに気があって、そのままつき合うパターンも珍しく無いよ。そう言う及川は恋愛経験豊富なので、その言葉には妙に説得力が有る。そういえば、友達にも文化祭がきっかけで彼氏ができた子がいたなぁ、とぼんやりと思い出した。

「なぁに、彼氏できたことない有馬さんは羨ましいのかな?」

 ニヤニヤ、と完璧に馬鹿にした笑みを浮かべる及川の顔面を殴ってやろうかと思ったが、あの綺麗な顔に傷でもつけようものなら、港が女の子達に酷い目に遭わされるだろう。ぐっと握った拳をしまった港はふと、片思いを実らせた同じバレー部の友人の事を思い出した。

「……そうなのかも」

 及川の先程の質問を素直に肯定すれば、及川は目を見開いて勢い良くこちらを向いた。
 一年くらいだっただろうか、及川の幼馴染みである岩泉に、港の友人は片思いをしていた。告白なんてする勇気はない、と言って岩泉を遠目で眺めて満足していた彼女が、想いを通じ合わせたきっかけは、及川の余計なちょっかいだった。及川の失恋のうさばらしの標的にされ、それに頭にきた彼女は図らずも、岩泉への想いを大声で口にしたのだ。及川が原因で本意ではない公開告白のようなものを行なってしまった彼女だが、なんだかんだで上手くいき、恋を成就させた。今でも岩泉とは仲睦まじく、見ていてなんだか微笑ましいし、港もたまにからかいの言葉をかけてしまうくらいには、面白い反応を見せるカップルである。
 以前その二人が、デートをしている現場を偶然目撃したことがある。邪魔にならぬよう、見つからぬように港はその場を後にしたのだが、隣に並んで歩くあの二人の後ろ姿が妙に脳裏から離れなかった。手を繋いでいたわけでもない、くっついていた訳でもない。ごく自然に隣あって歩いているだけの二人に、港は憧れを抱いた。いいなぁ、とポツリと零してしまってハッとし、周りに誰もいないか急いで確認したのは自分でも相当に恥ずかしい行動だと自覚している。
 彼女は彼が好きで、彼も彼女が好きなのだ。だからこそ恋人なわけで、そんな当たり前の前提を改めて知り、羨ましく思った。バレーに打ち込みたいし、彼氏なんかどうでもいいや、なんて恋とは無縁の生活を送っていたのに、自身の心境の変化に驚いた。どうやら私も、一応は女であったらしい。
 しかし、急に乙女心に目覚めても、今の自分はどうだろう。特別見た目が整っているわけでもなければ、身だしなみもたいして整えていない。普段着も動きやすさ重視のスニーカーにズボン、Tシャツにジャケット。おまけに可愛さのない配色。誰かとあんな風になれたら、と憧れてはみても、理想には程遠いような気がした。
 記憶を遡ったせいでため息をついた港に、及川は嬉々として顔を上げる。ニタァ、と口元が笑っているから、どうせ馬鹿にするようなことを言うつもりだ。

「及川さん今フリーだし、暇潰しがてらつき合ってあげてもいいけど?」

 そら見た事か。この上から目線の発言に腹が立つが、この男がモテるという事実に言い返せないのが、最も気に食わないところである。

「……及川とつき合うとか、恐ろしい噂立てられそうで怖い」

 港は知っている限り、及川の元彼女達を思い出す。皆学年でも指折りの美女達で、男の理想を具現化したような女の子だったように思う。中身はどうあれ、見てくれは完璧で高身長、スポーツ万能な及川を追いかける女の子は後を絶たない。アイドルとまでは言わないが、王子様、という言葉は不本意ながら似合う男だ。その及川が、あんな天使みたいな彼女達の後につき合う相手が私だなんて、周りが困惑する事は必至だろう。

「及川君、有馬さんに脅されてつき合ってるの? なんて聞いて来る女子絶対いるよ」
「ブフッ……何それ」

 なんとなく予想がついたのか、及川はけらけらと笑っている。ここは気をつかって「そんなことないよ」と否定してくれてもいいと思うのだが、相手が港だからと容赦は無い。まぁ別に遠慮しろとは言わないが、きっと及川が彼女に選ぶような女の子には、もっと言葉をオブラートに包むのだろう。それはもう何重にも、丁寧に。

「無駄口はいいから、さっさと下書き終わらせなよ」
「はいはい」

 適当に返事をした及川は、未だに看板のパーツ一つも完成させていない。線の太さをああでもない、こうでもないと再び悩みはじめたのを尻目に、港は「た」の文字を完成させ、次の「こ」の文字の下書きに入る。パーツも少ないしすぐに終わるな、と思いながらサラサラとダンボールの切れ端に鉛筆を滑らせると、ふいに及川が口を開いた。

「……あのさ、」

 何? と作業の片手間に返せば、次の瞬間、及川は予想外のことを口にした。

「……わりとマジでつき合わない?」

 無言で港が顔を上げると、及川は若干俯いた。そろぉ、と目を逸らす所作が妙にリアルで港は思わず硬直する。及川が本気で言っているように聞こえるのだが、港の勘違いなのだろうか。嘘、え? どうしよう、真面目に返さなくては……と、予想外の事態に内心慌てた港をよそに、及川は急にヘラリと笑ってみせた。いつもの営業スマイルとでも言えばいいのだろうか、この隙の無い笑顔を浮かべるときは大体ろくなことがない。

「及川さんとつき合えるなんて、すっごく光栄なことだと思わない?」

 さっきの、及川の一瞬の戸惑いはなんだったのか。演技だというのなら、主演男優賞でもくれてやりたい気分ではあるが、こうして目の前で鼻で笑う及川を見ると、どうやら賞を授与しなければならないらしい。若干ドキリとしてしまった港は、なんだか負けたような心境に陥る。

「言ってなよバカ及川」
「……ほんっとに、有馬ってかわいさの欠片も無いよね」
「知ってる」

 何を今更と吐き捨て、港は再び目の前のダンボールに視線を落とす。下書きも完成したところで、次は切り取り作業に入ろうとカッターを手に取った。ジャキ、としまっていた刃を出して、いざ入刀、というところで再び及川が口を開いた。

「……で、どうなの」
「は?」
「さっきの返事は?」

 まだそのネタ引っ張るのか、とやや呆れて顔を上げた港だったが、未だに下書きをしている及川の様子に違和感を覚えた。完璧な笑顔は形を潜め、何故か緊張した面持ちで口元を引き結び、ひたすらに手を動かしている。手を動かしている、と言っても先程からずっと同じ場所をなぞっているだけだった。「屋」の文字の払いの部分だけ異常に濃くなっているのを認め、港もついに察した。
 嘘、何でちょっと照れてるの、なんでそっぽ向いてるの。え? 冗談じゃないの? 本気なの? えっ?
 状況が上手く処理できず、港は内心悲鳴をあげるも、そんなものが及川に届くはずもない。

「ほ……本気?」
「……冗談だと思ってるなら、お前の目は相当の節穴だし、耳は腐ってるんじゃないの?」

 けなされているのに、もはや照れ隠しにしか聞こえなかった。なんだ、このぬるい雰囲気。どうすればいい、なんて聞きたくても聞けないし、聞ける相手もいないこの状況に、港はほとほと困り果てた。
 どうしてくれるんだ、こんな教室の真ん中で、このふわふわした空気を。

マイスイートアマノジャク

back