「有馬さん、明日飲み会あるんだけど行かない?」

 大学に入学してから1ヶ月が経った。オリエンテーションや宿泊研修を終え、どの講義を受けるか自分で決め、初めての大学生活に何かと忙しいことにも一段落ついた頃。同じ学科の友人の誘いで、港は居酒屋にやって来ていた。東京という新しい土地では知り合いもおらず、学科の同期達と仲を深められたらと思い、港はこの飲み会に参加することにした。新入生歓迎会のような、ただ単に同じ学科の人達で交流を深めるような、そんなものだと思っていた港だったが、席につこうとして異変に気付いた。友人達と連れ立って個室に案内され、薄い戸を開けた先の部屋には、既に先客がいた。

「いらっしゃーい!」
「待ってました!」

 イエーイ! と盛り上がる先客の男達に、港を含む何人かも「えっ」と声を漏らす。するとここで、港達を飲み会に誘ってくれた学科の友人が「実は一緒に飲まないかと声をかけられて……」と説明をはじめた。なんでも、先客は他大学の同級生の男子生徒らしく、その中の中心人物と港を飲み会に誘ってくれた彼女が知り合いであるらしい。女子大生だけの飲み会と聞きつけ「俺達が奢るから是非一緒に飲みたい」とのことらしい。港を含め、女性陣の何人かは暫く戸惑ってはいたが、適応力が高いのか、さっさと席に着いていた。未だに状況が飲み込めずにいた港もなんとか適当なところに座ったが、未だ落ち着かないままである。何故皆そんなに平然としていられるのだろう。これが都会人というものなのだろうか。そうして港は恐る恐る、隣に座る友人に話しかける。

「なんだか合コンみたいだね」
「何言ってるの」

 これもう合コンでしょ? と当然のように言ってみせた友人に、港はピシリと固まった。港は生まれてこのかた、合コンというものに参加したことが無い。しかし、合コンというものが男女が交際相手との出会いを求めての飲み会をする場であるということは、流石に知っている。そして自分が、このような場に来てはいけない人間であるということも当然ながら分かっている。
 及川に知られたらどうしよう。真っ先に脳内に浮かんだのは、同じく東京の大学に進学し、同じ都市に住んでいる恋人の顔である。大学も違うし、港よりもずっと部活で忙しい及川とは、やはり高校生の時程会えてはいない。更に入学したてという忙しい時期ということもあり、東京に引っ越してきてからは、たまに電話をして他愛ない話をするくらいで落ち着いている。だからこそ、そんな及川の今日の予定など把握していない港は、まさか及川と鉢合わせたりしないだろうかと不安を過らせる。しかし、流石にこの広い土地で、何件もある居酒屋のこんな奥の個室にまで及川がやって来るかと言われれば、その可能性は限りなく低いだろう。それに安堵しつつ、及川に今日の事を報告しておこうかと少し悩む。『不可抗力で合コンに参加することになりました、ごめんなさい』とメッセージを綴ったものの、こんな事を聞いても及川は不快に思うだけだろうと思い至る。それならば、自分が黙っていればいいだけの話だろうと、港は先程打ち込んだメッセージを消した。
 そうして乾杯し、お互いの自己紹介などをしていきながら、飲み会という名前の合コンは始まった。友人達は慣れているのかノリが良く、他大学の男子達とすぐに打ち解けている様子だったが、港は始終ぎこちないままだった。
それなりに慣れた相手となれば、自分の素のままで対応ができるというのに、全く喋った事もない同級生の男相手となると、どうしてこうも話題が出て来ないのだろう。そんな港の脳内で、及川が「お前の経験がないからだよ」とにっこりと言い放つ。脳内でくらい甘い言葉でも吐いてくれればいいのだが、及川にそんな事を言われては自分もどんな態度をとればいいのか分からないし、そもそも事実なのでぐうの音も出ない。話しかけられてもそんなに話が弾むことなく、港も一体どうすればいいのか掴めなかった結果、港は個室の隅の席の方に移動し、ひたすらに飲み食いをしていた。周りで盛り上がっている話を右から左に聞き流しながら時刻を確認するが、この飲み会の〆までには随分と時間があった。彼氏というものがいる身でありながら、合コンに参加してしまったのは不可抗力でもあまりよろしいものではないだろう。しかし、だからと言ってこの場から抜け出せるような雰囲気では無い。
男子の奢りとあって、ここで港がさっさと帰ってしまったら「あいつは飲み食いのためだけにここに来たのか」と思われてしまうだろう。それだと港に声をかけてくれた友人にも迷惑がかかってしまう。もはや、この飲み会が早く終わる事を祈るばかりである。
 そうして目の前の唐揚げの消費に集中していると、トイレに行っていたらしい他大学の男子生徒が戻って来た途端「メンバー増えても大丈夫?」と言って戸から顔を覗かせた。「女の子?」と聞いた彼の友人の質問に「いや男」と彼は即答した。なんでも、トイレに行っていた彼の顔見知りが、偶然この居酒屋にいたらしい。なんだ〜男か〜、とがっかりしている男性陣を他所に、女性陣は「いいよいいよ!」と俄然乗り気である。そうして飛び入りで何人か増えることになり、個室の入り口付近は少しだけ騒がしくなる。それと同じくらいのタイミングで、港が追加で注文したラーメンが席に運ばれてきた。「こいつ良く食べるな……」と言いたげな視線を集めているような気はしたが、美味しそうなラーメンの登場に、港の気分は少しだけ晴れる。花より団子というべきか、飛び入りの男達に目もくれず、港はパキリと割り箸を綺麗に割った。「あの人かっこよくない……?」と小さく囁き合う友人達の声を聞きながら、港は湯気のたつラーメンに視線を落とす。いただきます、と心の中で呟いて、箸を入れてラーメンをズルズルとすする。ああ、美味しい……と、この時の港は呑気に浸っていた。しかし、このタイミングで空いていたとなりの座に、不意に誰かが腰を下ろした。何故わざわざここに座るんだろう……と思って顔を上げると、そこには見覚えの有りすぎる人物が座っており、港は一瞬夢でも見ているのかと思った。

「及川、そっち座んの?」
「うん。こっち広いし」

 少し離れた席、女の子が多く集まっているスペースから声をかけられ、隣に座る及川は何の気無しに答える。さり気なくこの席付近に女の子が寄ってくるのを察知しながら、港は箸を片手に息を飲んだ。
 なぜここに及川が。港の背筋を、嫌な汗が伝った。

「こんばんは」

 まるで初対面の人に話しかけるような言葉、そして当たり障りのない笑みを浮かべた及川に声をかけられ、港は隣に座る男に視線を奪われたまま固まる。及川と直接会うのは、引っ越しの手伝いに来てもらった時以来、数週間ぶりである。それが何故、こんな奇跡にも近い形で最悪な時に鉢合わせなければいけないのか。

「……こ、こんばんは……」
「あはは、そんな緊張しないでよ」

 思わず他人行儀で挨拶してしまったものの、及川は大して驚きもせず、そのまま役に徹する。丁度訪れた居酒屋で開催されていた合コンに飛び入り参加をした男役の及川は、にこにこと笑いながらメニュー表を手に取った。一方、及川徹という男とは一切面識もない合コン初参加の女役の港は、この状況に胃が痛くなり、美味しいラーメンすら喉を通らなくなっていた。更に追い打ちと言うべきか、先程まで港の周辺には無口な男子大学生がひとりいるだけだったというのに、少し離れた席にいた友人達がじりじりと集まってくる。

「及川君……だよね? 何飲む?」
「オレンジジュースにしようかなぁ」
「え〜? 及川君お酒苦手なの?」
「可愛い〜」
「アハハ、俺まだ飲めないんですよ」

 隣にいる及川と、周りに集まって来た友人達が盛り上がりはじめる中、港は一言も発せぬままに、ひたすらにラーメンに視線を落とす。先程、自分は下戸なのだと言った男子大学生に「お酒飲めないの〜?」「つまんな〜い」と言い放った彼女達の発言から、まるで手のひらを返したかのような言葉が飛び出る。その原因は十中八九、及川の見た目の良さなからなのだろうが、あまりの寝返りの早さに港は笑えばいいのか呆れればいいのか、良く分からなくなった。

「及川君すっごく背高いね……何センチあるの?」
「あ〜……。何センチだと思う?」

 そう言って、及川は先程から黙ったままの港にニコリと笑いかける。周りにいる彼女達からすれば、『話の輪に入れていない港に気を利かせて話しかける及川君』という姿に映っただろうが、港からすればとんでもない嫌味である。先日、及川と電話をした時に、「この前身体測定したんだけど、また少し背が伸びてさ〜」などと奴は言っていた。そして聞いてもいないのに、自身の身長が何センチになったか話していたこの男のこの質問は、どこからどう見ても港に対する当て付けだった。
 お前は知っているだろう、と。知っているような関係だろう、と。いろんな感情や意味を孕んだこの質問に、港はボソボソと及川の身長を口にした。

「凄い、正解」

 パチパチと拍手する及川は、整った笑みの背後で、ニヤリと鼻で笑っているのだろう。及川の正確な身長を聞き、更に盛り上がり始める友人達のキャッキャという声を拾いながら、港は目の前のラーメンを口に運ぶ。少しだけ伸びているような気もするが、この場での居たたまれなさから逃亡するには、これを啜るしか手段が無い。そうして及川の周りに人が集まり、盛り上がっている最中、港は言葉数少なく縮こまっていた。

「……さっきからあんまり喋ってないけど、大丈夫?」
「あはは、及川君が隣にいるから緊張してるんだよ」

 その子あんまり男に慣れてなくて〜と港の紹介をし始める友人の言葉を聞きながら、港は「もうこれ以上余計な事を言わないでくれ」と内心で懇願する。実質、高校一年生の頃からの付き合いであり、現在港のはじめての彼氏である及川は、そんなことなどとっくの昔に知っているのだ。だからこそ、その事実を改めて指摘されてしまうのは、もの凄く恥ずかしい。しかし、そんな港の願いも虚しく、友人達は及川に対して一番気になっているであろう質問を投げかけた。

「及川君すっごくモテそう」
「ほんと〜、彼女とかいないの?」

 港は思わず、ラーメンを啜ろうとしていた箸の手を止め、友人達の間で一瞬の沈黙のような空気が流れた事に気付いた。彼女がいるのか否か。その返答次第では、彼女達のこれからの行動に影響してくるのだ。

「いるよ」

 刹那の緊張感に気付いているくせに、何の気無しに答えてみせた及川は、港の取り皿の上にあった唐揚げを箸で掴み、口に放り込んだ。何故人の皿のもの食べてるのかと思ったが、もしかしたら言葉無く友人達に分からせようという意図があったのかもしれない。しかし、及川に彼女がいるという「ですよねー」と言いたくなるような事実を知った彼女達は、港の皿の上から唐揚げがひとつ消えた事に誰も気付かなかった。

「やっぱり……。でも、彼女がいるのにここで飲んでて大丈夫なの?」
「うーん……。実は今日のは、断るつもりだったんだけど……」
「えっ……じゃあ何で飲み会に来たの?」
「気になる子がいたから」

 及川のこの発言に、友人達はキャー! と声をあげる。空気に酔っているのか、なんだかふわふわとしている彼女達は、嬉しそうに「及川君それ浮気じゃ〜ん」と盛り上がりる。それを耳にした港は、ついにラーメンを食べきり、箸を置いた。及川は、嘘は言っていない。しかしそれが浮気にはならないということに気付いているのは、この場では港しかいない。それが余計に心労を増やすようではあったが、ほんの少しだけ、自分は特別なのだという優越感に浸ってしまった。

「じゃあ、私にもチャンスあるのかな〜」
「ちょっと、何言ってるの……」

 自分達にもチャンスがあると思ったのだろう、友人達から及川への質問攻めはどんどん進む。その会話の流れを聞きながら、港はお皿に残った唐揚げと、サラダを摘んだ。そして妙に女が集まっているこのスペースに見かねたのか、離れた席に集まっていた男達が「及川ばっかりに構われるとこっちが凄く寂しいんですけど〜!」と騒ぎはじめた。それに対し、友人達が「そっちに行こうか〜?」「あはは」などと和気あいあいとし始めたタイミングで、及川は港にチラリと視線を向けた。そして港にしか聞き取れないくらい小さめの声で、ぼそりと呟く。

「合コンでラーメン食べてる女の子初めて見た」
「……」
「ねぇ、有馬さんは彼氏とかいないの?」
「……います」
「彼氏いるのに、こんなところに来て大丈夫なの?」
「……知らなかったんです」

 港が素直に白状すると、及川は他人行儀な対応を崩した。

「……だと思った。お前、こういうところには進んで来ないだろうし」

 ハァ、と息を吐きながら、及川はポケットから携帯を取り出し、時刻を確認する。気がつけば、この飲み会もあと15分程で終わるくらいまでには時が経過していたらしい。

「二次会には行くの?」
「……行かない」

 当然行かないよね? というニュアンスを含んだ発言だった。港は元より二次会に行くつもりは無かったが、及川にこうも脅されると尚更である。しかし、港はすんなりと一次会だけで帰れるだろうが、及川はそうはいかないのではないかと思い至る。きっと飲み会に参加している多くの女達のターゲットにされているだろう及川は、きっと強引にでも二次会に誘われるだろう。それは嫌だな……と思った港は、オレンジジュースを飲んでいる及川をそろりと見上げる。

「及川は?」
「何?」
「二次会行くの?」
「……行かないよ」

 少しだけ不安そうにしている港に気づき、及川は可笑しそうに吹き出した。そんな及川の笑い声を聞きつけ、他のテーブルに座る男性陣と話していた女性陣も振り返り、及川に何があったのか必死に尋ねていた。



 そうして一次会は無事に終わり、二次会へ移動というタイミングで、やはり及川の不参加には「ええ〜」という残念がる声が上がった。

「及川君も行こうよ! もっと話たいし……」
「ごめんね。でも、俺彼女いるし…」
「えー……この中に気になる子がいるって言ってたじゃん!」

 そう言って及川になんとか思いとどまってもらおうとしている彼女達に対し、及川は申し訳無さそうにしている。「どうしよう……」と言った感じで笑みを浮かべてはいるが、きっと内心どうやってこの場を切り抜けるか回転の速い頭で考えているのだろう。これは説得させるまで時間がかかるのではないか……と港がぼんやりと眺めていると、思わぬ所から助け舟が出た。

「勘弁してやれよ。及川君の彼女も、心配してるみたいだし」

 友人達の発言をかき消すようにそう言ったのは、飲み会で港の席の近くに座っていた、無口な男子大学生だった。ひたすらにひとりで焼酎ばかり飲んでいた彼がこんなにも喋ったという事にも驚いたが、それ以上にフォローを入れてくれたことが衝撃的だった。彼の発言に対し、この合コンの男子側の中心人物である男が、恐る恐る口を開く。

「えっ……先輩、及川君の彼女知ってるんすか?」
「知ってるというか……」

 どうやら無口な彼は、男子側の主催者の先輩にあたる人らしい。あまり変わらぬ表情の彼ではあるが、この時ばかりは少し楽しそうにしていた。

「及川君の彼女って……有馬さんでしょ?」

 まるで自身の推理を披露するように言い放った彼の言葉に、友人達の視線は一斉に港に向かい、港の事を知らない男性陣は「誰…?」と首を傾げた。それに対し硬直した港を他所に、及川は少し目を見開いただけで、大して動揺した様子も無くクスクスと笑い出した。

「……バレました?」
「今日二人でこそこそしてたから、ピンときたよ」

 予測が的中して嬉しかったのか、無口だった彼は非常に満足そうにズボンのポケットに手を入れ「それじゃあ俺も二次会参加しないから」と言って颯爽と帰っていった。この場に衝撃を与えた張本人のなんともマイペースな行動に呆気にとられていると、及川は無言で港の方にやってきて、港の肩をトンと叩く。

「じゃあ、俺達も帰ります」

 軽く頭を下げ、笑顔で片手を上げた及川は、港の背中を押すように歩き始めた。それにつられて歩き出した港も慌てて頭を下げたが、衝撃を受けたままの友人達の表情を見て罪悪感に襲われた。こんなことになるなら、先に言っておけば良かったと後悔してももう遅い。そうして、彼女達からこの後送られて来るだろう携帯のメッセージや、明日大学で会った時の事を思うと恐ろしく、港はすでに胃が痛い。

「びっくりしたよ。部活の仲間と飲みに来てたんだけど、この後合コンに行かないか? って誘われて断ったのに、合コンやってる部屋の中にお前いるし……。見間違えたのかと思った」
「私もここに来るまで知らなかった」
「だろうね」

 聞くまでもない、と言わんばかりに、及川は大げさに肩を竦めてみせた。変な誤解をされずに済み、一抹の不安も杞憂に終わり、港も改めてホッとする。

「……でも、何で私が彼女だって分かったんだろう」

 及川と一緒に帰りながら、港はぽつりとそう零す。確かに今日の飲み会で及川とこそこそと話はしたが、たった数回の事である。そこからどうして確信に至れたのだろう…と首を傾げている港の発言に、及川はフンと鼻を鳴らした。

「……あの人、もしかしたらお前の事気にしてたのかもね」
「……何で?」
「さぁ。まぁ、ひとつ言えるのは、世の中には物好きもいるってことかな」

 「気をつけなよ」と及川に言われた港は、いまいちその発言の意図が理解できずに疑問符を浮かべる。そんな彼女の様子に気付いた及川は、呆れたように港を見下ろし、盛大にため息をついた。

「お前って本っ当に鈍いよね。岩ちゃんより鈍い」
「えっ……」
「……有馬はさぁ、俺がモテるのむかつかないの?」
「むかつく」
「でしょ?でもお前の場合、俺がモテる事にある程度慣れてるじゃん?」

 急に「俺は女にモテる」と言い出した及川に、港は一瞬喧嘩腰になる。しかし、及川はそんなことはどうでもいいというように畳み掛ける。

「俺、お前が男に好かれてるの慣れないから、なんか凄く腹立つんだよね」

 だからもうやめてよね、と吐き捨てた及川は、雑に港の右手と心臓を攫った。

新天地で進展地

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