クリスマスに、及川に手編みのマフラーをプレゼントしよう。港がそう決めてからそれなりに時間が経過した。編み物をしたことは無かったが、子供の頃から母親が毛糸を編んでいる姿をよく眺めていた。編み物が上手い母に教えて貰おうかとも思ったが、最初は自力で頑張ってみる事にした。とりあえず編み物指南本を購入し、それを参考に最初は自分で努力したものの、結局上手く行かずに母親に「編み物を教えて欲しい」と相談することになった。編んだマフラーを及川に渡すつもりなのだとひっそりと母親に伝えた翌日、この話は父と兄、そして近所のおばさんにまで伝わっていた。学校へ登校する途中、近所の人に「マフラーいいのできるといいねぇ」と声をかけられた時は恥ずかしさで死ぬかと思った。港に彼氏ができたという事実も、手編みのマフラーを制作していることも、それ程までに衝撃的なニュースだったらしい。

「マフラー上手くいってる?」
「……まぁまぁ」

 開き直ってリビングのソファで編み物をしていると、兄がDVDを片手にやって来た。どうやら、リビングで映画鑑賞をするつもりらしい。デッキにディスクをセットし、港の隣に腰掛けた兄は、ちらりと編み上がったマフラーに視線を向ける。

「結構編めてるじゃん」
「毎日少しずつやってるからね」
「だんだん上手くなっていってるのが良く分かるな」
「………」

 半笑いの兄にそんな事を言われなくても、自分でも充分に分かっている。編みはじめの方に点々とある編み目のバラツキは、最近では随分と減って安定している。だんだん上手く編めるようになっているのは嬉しいのだが、完成したものを眺めてみると、その練習の成果の跡が窺えて恥ずかしい。「あっ、この辺から編むの上手くなってるね〜」なんて及川に言われてしまうような気がして、既にむずがゆい感覚に襲われる。更に「なんかこの一部だけ綺麗だね」なんて言われてしまうと、母親がこっそりと港が上手く出来ていないところを修正しているとも言えない。

「で、及川君とどこにデートに行くわけ?」

 テレビの画面を操作している兄にそんな事を言われ、港はぴたりと静止した。そんな妹の様子には気づかず、兄は画面を切り替えてDVDを見はじめる。こんな昼間からホラー映画を優雅に鑑賞しはじめる兄の何気ない発言で、港は重大な事実に気がついた。
 そもそも、及川とクリスマスに会うという約束をとりつけていない。学校で適当に渡せばいいや、などと考えていたのだが、確認をすると今年のクリスマスは休日である。何の約束も無しでは、及川の家に押し掛けない限り会う事もないのだ。これはまずい、と港はおもむろにソファから立ち上がる。「どこにデートに行くの?」ともう一度聞いてくる兄の発言など、港の耳には入らなかった。ただマフラーを渡すくらいならば、及川の家に行くだけでも充分だ。しかし、自分は及川の彼女という立場であるし、それならばクリスマスデートというものをしてみたい。そしてあわよくば、プレゼントを受け取って喜んでくれるだろう自分の恋人を見たい。そんな淡い野望を抱きながら、港はフゥと気合いを入れる。デートの約束をしていないのならば、自分から声をかければいい話だ。これまでのデート(と言っても怪しいものが多いが)はほとんど、及川が誘ってくれたものばかりである。交際というものにあまり慣れていない港の事を知っているがゆえなのか、及川はよく声をかけてくれた。そんな及川の気遣いに気づき、港は一人枕に顔を埋めて悶えていたのは最近の事だ。
 恩返しというわけではないが、このまま及川に気を遣わせ続けるのは違うだろう。そう思い、今回のクリスマスの件は自分から誘ってみようと港は決意する。そうして翌日、学校に登校してから、及川にクリスマスについて早速声をかけた。

「及川」
「何?」
「あの……」

 日直のため、授業の後の黒板を綺麗に消している及川は、声をかけてきた港を見下ろして首を傾げる。港に視線を向けながらも手を動かしている目の前の男と、港は何故か目をあわせられない。デートに誘うというのは、こんなに緊張するものだと、港はこの時はじめて思い知った。

「その……」
「……」

 もごもごと港が言い淀んでいる間、暫くは及川も黙って待っていてくれた。しかし、黒板を消し終わっても尚口を開かない港に、及川はついに眉を潜める。

「ねぇ、俺も暇じゃないんだけど……早く言ってくれない?」
「……嘘つきなよ、どう見ても暇でしょ」
「これから黒板消し掃除しなきゃいけないから暇じゃないです」
「すぐ終わるじゃん」

 港が思わず言い返すと、及川は「暇じゃない」とアピールするため、黒板消しクリーナーの電源を入れる。ブオオ……と大きめの音をたてるクリーナーの音で港の発言をかき消し、及川はフンと鼻で笑う。それに口元をひきつらせた港は、もう一つある汚れた黒板消しを持って及川ににじり寄る。無言で「お前の制服に触るぞ」と伝えるように構えると、及川もジリ……と構える。まるで小学生同士の馬鹿らしい喧嘩をくり広げる二人に、教室の一番前の席で黙々と勉強していたクラスの男子が、呆れたように口を開いた。

「なぁ、痴話喧嘩はよそでやってくんない?」
「「痴話喧嘩じゃない!」」

 息もピッタリに二人揃って否定の言葉を発すると、近場にいた女子のグループ数人がクスクスと笑いはじめた。

「じゃあ何で付き合ってんの?」
「……」
「……」

 ニヤと笑うクラスの男子の発言に、及川も港も咄嗟に言い返せずに固まる。心の内ではお互いに気になっているくせに、表面上ではその片鱗を見せようとしない二人には、強烈な一撃とも言える発言である。黒板消しを構えて間抜けにも立ち尽くしている二人を、パシャリと写真に収める女子生徒も現れた。「何だかんだ言って、好きなんだろ?」と続けて追い打ちをかけてくるクラスの男子の発言に、及川は思わず口を開く。

「誰がこんな奴のこと……」

 売り言葉に買い言葉、と言った様子で思わず零した言葉に、港も負けじと「私だって……!」と声を荒げる。平穏な痴話喧嘩から一変、不穏な空気を漂わせはじめた及川と港に、クラスの男子は「まずい」と表情を固くしていく。少しからかうつもりではあったのだろうが、それが原因で一組の恋人の仲をこじれさせたくないというのが本音なのだろう。しかし、「待て、落ち着け」という彼の静止の声も虚しく、及川と港が痴話喧嘩状態のまま、休憩時間が終わってしまった。
 そして次の授業中、港はここでやっと、先程及川をクリスマスデートに誘うつもりであった事を思い出し、額をゆっくりと机に押し付けた。何をやっているんだ……! と嘆いたところで、全てが遅い。幸い、これくらいの軽い喧嘩のようなものならば、お互いに慣れてはいるので、そこは大したことではない。しかし、この流れで、どうやってクリスマスに一緒に出かけようと誘えばいいのか。


「……で、それを俺に話してどうすんだよ」

 呆れたように言う岩泉の発言は最も過ぎて、何の反論もできない。昼休み、及川のことなら一番詳しいであろう岩泉を引き止め、及川をクリスマスに誘うにはどうすればいいのか、無理を言って相談にのって貰う。途方に暮れた結果の相談ではあったが、答えなんてはじめから分かりきっているのは重々に承知している。しかし、それでも誰かの助言が欲しいと思う程に、港は不安に揺れていた。先程の軽い喧嘩が原因で、デートの誘いを断られるのは港といえど恐いのだ。

「普通に声かけりゃいい話じゃねーか」
「……普通って、どんな感じ?」
「クリスマスにどっか付き合え、とかでいいだろ」

 面倒くさそうにしながらも、岩泉は港の質問になんだかんだで答えてくれた。そうして数秒、港の後方に視線を向けた後、岩泉は何食わぬ表情のままに港を見下ろす。

「何でそんな喧嘩腰なの?」
「お前ら大体いつもそうだろ」

「何を今更」と呆れた様子の岩泉の発言には、返す言葉もない。常に歩み寄りを見せている岩泉カップルからすれば、自分たちは常に反発しあっているように見えるだろう。付き合っているという状況は同じはずなのに、何故こんなにも違うか……と港は苦笑いを浮かべる。呆れた様子で腕を組んでいる岩泉に視線を向けながら、港はふと純粋な疑問を抱く。

「岩泉、クリスマスはデートするの?」

 思った事をそのまま口にすると、岩泉はピタリと動きを止めた。急に自分の話題を振られたことに驚いた後、岩泉は無言でそろりと視線を逸らす。「岩泉は触れて欲しくないことを言われたり、照れたりすると、目をそらすんだよ」と岩泉の彼女である友人が言っていたことを思い出した。なるほど、どうやら図星らしい。

「へぇ、デートするんだ」
「……何か悪いのかよ」
「いや、何も」

 最終的に開き直った岩泉は、ハァ……とため息をついて、腰に手をあてた。言外に「世話が焼ける」と言われている気がして、港は若干居心地が悪い。

「言っとくけど、クリスマスに関しては、多分及川からお前に声はかけないと思うぞ」
「えっ、何で?」
「有馬、まだ受験生だろ?」
「うん……」
「有馬はまだ進路もはっきりしていないし、勉強の邪魔になるかもしれないし、クリスマスだからって無理に出かける必要もないかなぁ……つって、アイツ言ってたからな」

 岩泉の思わぬ発言に、港は目を丸くする。そんなことを岩泉に話したらしい及川に、港は少なからず驚いた。どういう流れでその話を聞いたのかは分からないが、及川がそんなところにまで気を遣ってくれているとは思わなかった。「お前まだ進路決まらないの?」なんて馬鹿にするような言葉を浴びせてくるくせに、本当のところでは心配をしてくれていたらしい。

「及川が……本当にそんなこと言ったの?」
「おー」

 表面上ではあまり容赦しないくせに、水面下でそういうふうに優しくしてくれるものだから、あの男は油断ならない。もっと分かりやすく優しくして欲しいとは思うが、これは港も同じようなものなので強くは言えない。思わぬ衝撃の事実を聞かされ、港は若干照れながら口元を引き結ぶ。岩泉の様子から、とても嘘を言っているようには思えない。だとするならば、なんとも嬉しくなってしまう事実に、港は少しだけ浮かれそうになった。
そうしてなんとかにやつきそうになる口を必死にひきしめていると、それを認めた岩泉は、次に不敵に口端を上げる。

「……だよな、及川?」

 ニヤリと笑った岩泉は、港越しの背後に視線を向ける。それだけで港の背後に誰かがいることを察し、静止する。岩泉の表情と発言から「まさか……」と現実逃避したくなりながらも、港は恐る恐る振り返った。廊下で岩泉と話していた港の後方辺りに立っていた及川は、呆気にとられた様子で立ち尽くしていた。一体何処から話しを聞かれていたのだろう。港が青ざめると「わりと最初の方からいたぞ」と岩泉は何食わぬ顔で言い放った。それが分かっていて何も言わなかったらしい岩泉を睨んでみたが、鼻で笑われるだけに終わる。
 港の後方で突っ立ったままの及川の手には英語の教科書が握られており、恐らくは誰かに借りたそれを返しにここにやって来たのだと見当がついた。気まずげな様子の及川は、岩泉に視線を向けながら、整った顔を引きつらせていた。自身の発言を暴露され、及川も穏やかではないようだ。

「……岩ちゃんさぁ」
「面倒だから、後はお前らでゆっくり話し合えよ」

 及川が投げかけようとした文句を遮り、岩泉は片手をあげてさっさと教室へと戻って行く。面倒だから、という言葉には嘘偽りはないのだろうが、このまま二人にして自分は退散するのはやめて欲しい。恐らく、港からクリスマスの予定をつけやすいように配慮してくれたのだろうが、あまりにも投げやりな方法に絶句する。自分は彼女とずっといい感じだからって、荒療治過ぎないだろうか。
 きっと、及川に「港がクリスマスにデートをしたいと思っている」ということも伝わってしまった。及川は勿論の事、港でさえ気まずく恥ずかしい状況に、暫しの無言が続く。これが羞恥プレイというやつなのか……と呆然としながらも、港は仕方なしに腹をくくった。ばれてしまったのならしょうがない、女は度胸だ! と気合いを入れて、港は及川を睨むように対峙する。

「……及川」
「……何」
「今月の25日、ちょっと面貸しなよ」
「……もっと他に言い方とかないの?」

ロマンチックを求めるな

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