十一月も半ば、休み時間も勉強している人間が多いこの時期に、港は未だに問題をかかえていた。

「今後の進路をどうしよう」

 そんな事を悶々と考えながら、港は放課後の教室でひとり席に腰掛けていた。春高予選も終わったことで、目の前にある受験という現実に直面しなければならなくなった。早い人は進学先も決まっているこの時期に、港はこれといった今後の方向性があまり固まっていない。悩んでいる、というわけではない。特にこれといって打ち込みたい! と思えることが今の時点で無く、将来のことは大学生活中に考えてから決めるつもりであるのだが、その大学生活を送る場所が決まっていないのだ。ある程度興味の湧くことが勉強できるならどこでもいい、というスタンスが逆に足をひっぱり、こうして担任の先生に放課後の面談に呼び出されたわけである。面談に呼ばれたのは港だけでは無いのだが、こうして一人教室に残って面談の順番を待っていると非常に暇である。受験生であるのだから勉強をすればいいのだが、こんな中途半端な時間ではやる気もおきない。適当な時間潰しに何かないか、とカバンを漁ると、先日手芸屋で買った毛糸を見つけた。店のビニール袋の中に入ったままの状態のそれを取り出し、港はなんとも言えない心境に陥りながら、袋の口を広げた。中に入っている赤い毛糸玉を買うのに、港は非常に苦労をした。
 きっかけは、「あと1ヶ月くらいでクリスマスだね」と話していた彼氏持ちの友達が、彼氏のプレゼントをどうするか港に尋ねてきたことだった。クリスマスすら意識していなかった港には、及川にプレゼントを渡すなどとも思いつきもしなかったために、寝耳に水だった。クリスマスには何かあげた方がいいのだろうか、と港は逆に尋ね返してしまった。そんな港の動揺を上手く察してくれた友人は、にこりと笑って港に助言をくれた。

「あげなきゃいけない、ってわけではないと思うけど……」
「うん……」
「港ちゃんがプレゼントくれたら、及川君喜ぶと思うよ」

 そんな友達の言葉を聞いて、港はぼんやりとその情景を思い浮かべた。いつもは港に憎まれぎ口を叩く及川ではあるが、楽しそうにしている時はとても綺麗に笑う。嬉しい時は、少し子供っぽさのあるしまりの無い顔でへらりと口元を緩めるのだ。クリスマスにプレゼントを渡したら、及川はあんな風に喜んでくれるだろうか。そんなことを一瞬考えたが、ニヤつき始めた友人の表情に気づいてハッとした。「ま、私には似合わないし……無い無い!」とこの場は誤摩化したものの、その日の帰りに港は近所の手芸屋に立ち寄っていた。クリスマスプレゼント=手編みのマフラー、というイメージが港の中にはあった。柄じゃないよなぁ…と思いながらも、どの毛糸にしようかと悩んでいる辺りで、答えは既に決まっているようなものだった。そうして手芸屋で「プレゼントを渡すか否か」「色は何にしようか」などと長い時間悩みに悩み、港はなんとか赤い毛糸を買って帰った。及川に手編みのマフラーをプレゼントしようとしている自身に強烈な羞恥を感じながらも、港はついに現実から目を反らせなくなった。
 もしかしたら私は、及川の事が好きなのかもしれない。現在手の中にある毛糸を買うに至った経緯を思い出し、港は頭をガンと机に打ち付けた。あまりの恥ずかしさに居たたまれず、何かしていないと非常に落ち着かない。未だカバンの中に入ったままになっている毛糸だって、現実を直視したくないばかりにそのままにしてしまっている。こんな調子で、はたして手編みのマフラーを及川に渡せるのか、今から先行きが不安である。はぁ……とため息をつきながら、港は細めの毛糸を少しだけ引っ張りだす。及川が身につけるのだから、品の良い感じのものがいいだろうと思い、なんとなくお洒落なイメージのある深い赤色を選んだ。買ったのはいいが、果たして自分にマフラーが編めるのか、及川にちゃんと渡せるのか、そもそもクリスマスに会う約束をとりつけられるのか、と問題は山積みである。そんな浮ついたことばかり考えていたからなのか、港は教室に誰かが入ってきたことに気づかなかった。

「何やってるの?」

 突如頭上から降ってきた言葉に、港はあからさまに肩をびくつかせた。慌てて袋に入った毛糸を隠そうとした勢いで、港は少しだけひっぱり出した毛糸をブチリと千切ってしまった。己の握力に恐ろしさを感じながらも、港は恐る恐る隣を見上げる。そこには、不審そうな顔で港を見下ろす及川が立っていた。

「今何隠したの?」
「いや……別に大したものでは……」
「へぇ……じゃぁ、その手の中の赤い紐は?」

 港が勢いで引きちぎった毛糸について指摘しながら、及川は港の前の席に腰掛けた。肩にかけたスポーツバックを机の上に置いて、後ろの港の方に振り返る。何故そこに座るのかが気になるが、港は回転の悪い頭で、及川からの質問に答えた。

「あ……あやとりしようかと思って!」

 自分でも、苦し紛れな事を言っている自覚はある。引きつった表情の港を見て、及川もそれは察したらしい。

「ふーん、まぁ……たまに変わった遊びとかしたくなるよね」
「そ……そうだよね!」

 深く追及して欲しく無い、という港の心の内を読み取って、及川は誤摩化されてくれた。こういうさりげない気遣いにドキリとしてしまうくらいには、港は一々及川の優しさに気づいてしまう。まずい、何もかもが非常にまずい。たらりと冷や汗を流す港をよそに、及川はカバンの中から一冊の本を取り出してパラリと開く。優雅に足を組んで読書をする様は絵になるのだが、及川の手にある本のタイトルは『たのしい国語』である。一体、何を思ってそれを読んでいるのだろう。

「ねぇ、それもしかして……国語の教科書?」
「そうだよ。部屋掃除してたら小学校の頃のが出てきてさ」

 今読み返すとわりと楽しいよ、と言う及川に苦笑いを浮かべながら、港は更にもう一つの疑問を口にした。

「……で、及川は何でここにいるの?」
「先生に今日渡す書類があったんだけど、家に忘れちゃってさ。取りに戻ってたんだけど、今先生面談中でしょ?」
「……あぁ」

 港も面談のために教室に残って、前の人の面談が終わるのを待っているのだが、それは及川も同じらしい。今現在進路指導室でクラスメイトの葉山君も、進路が決まらずに悩んでいた生徒の一人である。面談が始まってそれなりの時間が経っているが、彼が教室に戻って来る気配は無い。

「そういえば、お前も面談だったね。大学どうするの?」
「……まだ悩んでる」

 東京の大学から声をかけられている及川は、先日そこに行く事に決めたと港に言った。それに対して「今後の行き先が決まって羨ましい」とまず第一に思った港だったが、よくよく考えてみれば及川と物理的に距離が離れてしまうかもしれないのだ。今になってやっとそれに思い至り、港はぴたりと静止する。

「お前の学力で行ける大学があるといいね」
「……うるさい」

 人がシリアスになっている時に、及川はいつもの嫌味を忘れない。けらけらと笑いながら、暇潰しに国語の教科書を眺めている及川を尻目に、港は手の中にある赤い毛糸に目を落とす。

 「あやとりをしようかと思って!」と言った手前、そうせざるを得なくなってしまった港は、とりあえず毛糸の端と端を結んだ。小学生の頃に習得したあやとりの技の数々をなんとか思い出しながら、指に毛糸をひっかけていく。そうしてどんどん毛糸を交差させていき、両手の間にあるものの形が出来上がった。あやとりをしたのは随分と久しぶりであるのだが、やり方を覚えていた自分に素直に感心しつつ、港は正面に座る及川の方に顔を向ける。

「及川及川」
「何」

 国語の教科書から顔を上げた及川に、港は出来上がった作品を見せた。

「東京タワー」
「……へぇ」

 赤い毛糸でできた東京タワーは自信作だったのに、及川の呆れたような顔が地味にグサリと突き刺さる。そりゃあ、しょうもないことをしている自覚はあるけどさぁ…と息をつき、港は性懲りもなくあやとりを続ける。次ははしごでも作ろうか、と両手の指に毛糸をひっかける。教室で二人だけという空間に緊張を覚えつつ、港は記憶にあるあやとりの技を思い出す。何かしていないと及川を意識しすぎて、挙動がおかしくなってしまいそうだ。しかし、あやとりのネタなんて数個しか覚えておらず、すぐに暇潰しの材料は尽きてしまった。及川も教科書を読んではいたが、なんだかんだ言って暇らしく、港が動かしている手をたまに眺めていた。及川が見ている、という事に知って港の指の動きはぎこちないものになる。そんな港に気づいたらしく、及川は軽く息を吐きだすように笑った。

「あやとりのネタ、他にもうないの?」
「あとひとつあるんだけど、思い出せないんだよね……」

 ここから、どうだったか。うーんと唸りながら、適当に指に糸をひっかけていくが、記憶にある形にならない。自身の席の机に肘をついてあやとりをしていたのだが、いつの間にか及川も片肘をついてこちらを見ていることに気づいた。国語の教科書は閉じられており、今は及川の片手に収まっている。それを意識した途端、目の前の毛糸の組み方になど集中出来るはずもない。うぐ……と行き詰まって動きの止まった港に、及川は可笑しそうに口を挟む。

「で、思い出せそう?」
「無理っぽい……」

 及川がこちらを見ているから余計に集中できない。完全にどん詰まり状態になってしまい、港は逃げ場を求めて及川に話をふる。

「及川、あやとりで他に何か知らない?」
「んー……そうだなぁ……」

 及川はじっと港の手元に視線を落とし、数秒考え込んだ後、中途半端に交差している糸に小指をひっかけた。そうしてなんの言葉もないまま、凪いだような表情で、及川はその糸を引き上げた。張っていた一本の毛糸が引かれたことで、港の手の中で張り巡らされていた糸は形を変え、最終的には元の輪状の糸に戻った。複雑に絡んでいた糸がほどけてしまい、結局ふりだしに戻ったことで、港は適当に軽口を叩こうとした。いつも通り、「あーあ、ほどけちゃった」などと、小馬鹿にしたように肩を竦めてみせればいい。しかし、港がそれを口にしようとした瞬間、及川は自身の指にひっかかっている糸をクイと引き、静かに口を開いた。

「赤い糸」

 ピン、と張った赤い毛糸は、港の左手の小指と、及川の右手の小指にひっかかっていた。箒だとか、東京タワーだとか、そういうあやとりの「技」ではないじゃないか! ……などとそんなことを言う度胸もなく、港の頭の中は真っ白になった。これまで恋愛事に縁の無かった港ではあるが、小指と小指に結ばれた赤い糸の意味が分からないわけではない。

「……お前、凄く真っ赤」

 片肘をついたまま、及川は淡々と事実を述べた。指摘された通り、港も顔に熱が集まっている自覚があった。随分と気障な事を言っている及川の方が恥ずかしいはずなのに、本人は涼しい顔でこちらを見ているものだから、港の方が平静でいられない。だってしょうがないじゃないか。私はこんなこと、言われ慣れていない。

「……な、に考えてるの……?」

 この場の空気に居たたまれなくなり、港は視線をそらして俯こうとしたが、及川は指にひっかけた糸を引いて抗議する。そんなことをされては、港も顔を上げざるを得ず、正面に座る及川と対峙する。誤摩化すことは許さないと、空気が雄弁に語っていた。

「……分からない?」

及川は人をよく見ている。
その持ち前の観察力を持って、港の心境の変化など見透かしているのだ。

港がごくりと息を飲むと、正面に座っている及川は指に絡む糸を引きながら、顔をゆっくりと近づける。
何をしようとしているのか咄嗟に理解したところで、港は何もできずに硬直する他ない。
至近距離に迫る目を伏せた及川が、現実だと思えない。

港の思考全てが、指にひっかかった赤い糸のように、絡めとられる。

「……ねぇ。空気読んで、目閉じなよ」
「えっ……あ、はい」

 互いの吐く息が唇に触れる程に接近しても、港は目を見開いて固まったままだった。真面目な表情を変えなかった及川も流石に耐えきれなかったのか、頬を若干染めて文句を言う。気恥ずかしそうに視線を逸らす及川を眺めながら、港は間近に迫った男の顔を思わず凝視する。分かっていたことではあるが、改めて見ても及川の顔は非常に整っている。そんな綺麗な顔をした港にとっての嫌みな男は、いつの間にかこんなにも心臓に悪い存在になりあがっていた。ゴクリと息を飲み、港は腹をくくって瞼を下ろす。キスというのは、どういうものなのだろう。茹で上がりながらそんな事を考え、唇に重なるであろう柔らかい熱の感触を待つ。未だに小指にひっかかったままの赤い糸をきゅっと握ると、及川がかすかに笑った気がした。
 そうして気持ちが交わる瞬間を待ちわびていたのだが、数秒経っても及川に動きはない。二十秒程待ってはみたものの、やはり目の前に座っているはずの男は行動を起こさない。おかしい、と思いながら恐る恐る瞼を上げると、及川は自身の小指に赤い糸をひっかけたまま、小学生時代の国語の教科書を開いていた。それに呆気に取られ傷ついた港だったが、次の瞬間に教室のドアが開いて声をかけられた。

「有馬さん!面談終わったから、次どうぞ」

 面談が終わったらしい葉山君は、「遅くなってごめん」と付け加えて港に謝罪をした。それに何の反応も示せなかった港をよそに、及川はすくりと立ち上がる。

「あれ、及川? なんでここにいんの?」
「先生に渡さなきゃいけない書類あったんだよ」
「あ……もしかして俺の面談終わるの待ってた?」
「そうだよ」

 わりーな、と謝る葉山君は、及川の手にある国語の教科書に気づいて「懐かしいもん持ってるな!」と声をあげた。どうやら及川と葉山君は通っていた小学校が同じだったらしく、小学生時代の思い出話に花を咲かせ始める。その間も呆然としていた港は、ここでやっと及川が先程の行為を中断させた理由を察した。多分、葉山君が教室に戻って来る姿が見えたのだろう。ホッとしたような残念なような、矛盾した気持ちがないまぜになった心持ちで、港は脱力するかのように机に伏せた。
 小指にひっかかったままの赤い毛糸を握ったまま、港はついに自身の敗北を認めた。

言葉の綾で絡めとる

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