もはや痴話喧嘩


「お前ら肝試しから口聞いてないだろ」

合宿2日目の昼休み、食堂で昼食をとっていると、カレーの乗ったおぼんを持った夜久に声をかけられた。
夜久の言う”お前ら”とは、恐らく栞と黒尾の事を指している。
その質問に肯定すると、夜久は呆れたような顔をして栞の正面にわざわざ座った。

男子は奥の方のテーブルに固まって座っているため、女子の集まるこの席に座るのはそれなりに勇気がいるだろう。
そう思ったのは栞だけでなく、一緒に昼食をとっていた主将の沢木も同じだったようだ。

「夜久よくこんなところでご飯食べようと思えるね」
「まぁな、誰かさんの調子が悪いと部員の俺達が困るんだよ」
「………」

じとっとした夜久の視線を受けて、栞は気まずげに視線を逸らした。

昨日の肝試しから、黒尾と接触する機会は3度あった。
就寝前の主将副主将会議、早朝の予定の確認、そして朝食時は打ち合わせの関係で食堂では正面に座っていた。
その間栞は黒尾に対して口をきかず、黒尾も昨日の自分の悪戯と失言で栞の機嫌が悪い事を察して黙ったままだった。
夜久も含めて、海や沢木も、顔を見合わせて「やれやれ」といいたげな表情をしていたのは知っている。

栞は確かに、昨日の黒尾の行動と思わぬ発言に蹴りをかます程度には怒っていたのだが、一旦寝て起きて冷静になると、大して怒りは湧かなかった。
逆に、就寝前の会議で意地を張ってしまった事に後悔する有様である。
黒尾がこちらの様子をうっすら伺っているのがわかって、栞は引っ込みがつかなくなってしまった。

「どうせ、もう怒ってないんでしょ?ただ意地張って、今更あんたが黒尾に声かけられないだけ。違う?」

ズバリ、恐ろしい程の切れ味で栞の心のうちをずっぱ斬る沢木に、栞は返す言葉も無い。
全くその通りである。

「夜久達が可哀想だから、今日中に黒尾と気まずいのどうにかしなよ」
「……はい」

言い訳の余地も与えられなかった。
さながら母親のように言い聞かせる彼女の迫力に逆らえる者などいない。
これが、主将沢木がボスとあだ名で呼ばれる所以である。


午後の練習は、いつも通り5時くらいに終わった。
今日は夕食とお風呂の後に、レクリエーションを行なう事になっている。
これもまたくじびきでグループを決めて、適当にボードゲームやら雑談をするだけという、雑な企画である。
昨夜の肝試しは事前にかなりの打ち合わせをするが、このレクリエーションは「お前人生ゲーム持ってる?」「持ってる持ってる」くらいの会話の流れで何をするか決まる。
そのせいで、どのグループも大半がトランプ大会になるのがこの催しの全容である。

栞のグループは、出だしからババ抜きである。
このグループに振り分けられた娯楽道具は、トランプと麻雀しかない。
麻雀なんて誰が持って来たんだ…などと考えつつ、手札に早速ジョーカーが入り込んでいたために真顔を作った。

ババ抜き、ポーカー、ダウトを順番に行い、レクリエーションの時間の半分が経過した。
栞のいるグループには、良く喋る1年生の男子がいたために会話がはずみ、和気あいあいとしていた。
栞もそれなりに楽しみつつも、こっそりと黒尾のいるグループに視線を動かす。
黒尾以外は後輩ばかりのグループで、真ん中に広げた双六よりも会話の方がはずんでいるようだった。

結局タイミングが掴めぬまま、今日はまだ黒尾と話ができていない。
主将である沢木が、今日中にどうにかしろ、と言っていた事もあるが、栞自身も気まずい空気をどうにかしたいのは尚更だった。
後半、レクリエーションのグループ変えがあるものの、そう都合良く黒尾と同じ班になれるはずもなかった。
ふぅ、とこっそり頭だれると、「まだ話してねーの?」と同じグループになった夜久に小突かれた。

「今日はなんかタイミングつかめなくて…」
「隙あらば喋ってる奴らが何言ってんだよ」

えっ?と固まる栞に、夜久は呆れたように盛大なため息をついた。

「今更何驚いてるんだよ」
「…え?そんなに話してるように見える?」
「見えるっつーか事実だろ、つーか色々とバレバレ」
「色々…とは…?」
「言っていいのか?」
「やっぱいいです」

二人揃って恥ずかしい奴だよお前ら、おまけに面倒くさい。
夜久のぼやくような発言に羞恥で顔が染まると同時に、内心で喜んでいる自分が隠せない。
ほのかに抱いている期待が、第三者からもそう見えると言われて舞い上がらずにはいられなかった。

「あー、夜久さん何久世先輩口説いてるんすか」
「リエーフは黙ってろ」

暇なのか、夜久の後ろをうろうろしているリエーフに蹴りを入れ、夜久は視線を大部屋の出入り口辺りに向けた。
栞も同じようにそちらに顔を向けると、トイレに行くのか、丁度黒尾が部屋から出て行ったところだった。

「ほら、背中押してやるから行って来いよ。ついでにジュース買って来て」

しっし、と栞を追い払うような仕草をする夜久に、感動に近い感情を覚える。
黒尾と二人になれる機会をアドバイスするだけでなく、夜久に頼まれてジュースを買いに行くという理由まで提供してくれるらしい。

「夜久がモテる理由が分かったわ…」
「…おー、ありがとよ」

えっ、夜久さんその身長でモテるんすか?と余計な言葉を混ぜたリエーフは、発言した瞬間に鉄拳を喰らった。



自動販売機を前にして、そういえば夜久に何のジュースが欲しいのか聞いていなかった事を思い出した。
暫くうーんと悩んで、身長が伸びる事を祈って飲むヨーグルトのボタンを押す。
ついでに自分用にアップルジュースと、黒尾用にバナナジュースを買ってから、廊下を歩く。

廊下で待っていたのだが、トイレに行くにしては帰って来るのが遅いなぁと思いつつ、ジュースを持って廊下を歩くと、廊下の窓を開けて外を眺めている黒尾を見つけた。
黒尾は、廊下に栞が居る事に気づいていないようで、外にあるなにかをじっと眺めているようだった。
驚かせてやろう、という悪戯心が湧いて栞はそろりと背後に忍び寄る。

栞より高い位置にあるうなじに、ぴたりとバナナジュースのパックを当てると、黒尾はびくりと肩を揺らして振り向いた。

「びっくりした…何だ久世か」
「何見てるの?」
「…あれ」

ぴっと黒尾が指差した先には、小さな猫が茂みのあたりをうろうろと歩いていた。
ニーニーという小さな鳴き声が、ここにまでかすかに聞こえる。

「昨日も見かけたんだよあいつ…親猫いねぇのかな」
「心配してたんだ」
「まぁな……、あ」

言った傍で、奥の茂みから子猫と似た毛色の大きな猫が現れた。
子猫はその猫に寄っていき、すりすりと体を寄せた。
どうやら黒尾の心配は杞憂に終わったらしく、くすくすと笑うと、黒尾もふっと笑った。

「ん、黒尾に差し入れ」
「…なんでバナナジュース?」
「この前バナナクリームパン買ってたじゃない」
「あぁ…お前がコントやらかした時な」

栞としてはあまり思い出したく無い記憶だ。
栞が苦い顔をしたのを確認し、ニヤッとした顔で黒尾はストローをパックに刺した。
ああ、なんだ、思ったよりいつも通りに話せるじゃないか。
無駄に入っていた肩の力を抜いて、栞もアップルジュースにストローを刺し、黒尾の隣に並んだ。

「昨日は蹴ったりしてごめん、それ、そのお詫び」
「おお…。俺も悪かったな、変な事して」
「いいよ。あの時、私が黙っちゃったから、場の空気変えようとしたんでしょ」
「……」

そろ、と気まずげに視線を逸らす黒尾の様子を見るに、図星のようである。
まじまじと見上げた黒尾は、お風呂に入った後だからか、トサカのように跳ね上がっている髪はしんなりとおとなしくなっており、前髪を下ろしているために雰囲気が違って見える。
変な髪型が災いして、普段は大して意識しないものの黒尾は顔は整ってるのだ。
背も高いし、強豪バレー部の主将だし、話しやすくもあるから、それなりに女の子にも囲まれる。
そのうえ、こういう風に気配りもできて、さり気なく優しいんだよなぁ。

「…あーあ、むかつく」
「いきなり何だよ…」
「何でもない、ただの一人言」

ジューとアップルジュースを吸いながら、仲良くすり寄る猫の親子を眺める。
ふわふわとした毛を寄せているあの小動物は、何故ああも愛らしいのだろう。

「そういや、お前2本もジュース飲むのか?」
「ん?…あぁ、これは夜久の」
「何お前、パシリにされてんの?」
「まぁ…そんなところ。夜久ってヨーグルト好きかな?」
「知らねぇ…つーか飲むヨーグルトとかすっげぇ嫌がらせだな…」

やっぱりそうだろうか、どうしよう悪気は無かったのに…。
手の中でヨーグルトをくるくると回していると、隣からパックを奪われた。

「ちょっと黒尾…」
「俺バナナよりこっちがいいわ」
「……バナナジュース全部飲んでおいて何言ってるの」

黒尾の手元には、既に空になって凹んだ黄色いパッケージがあった。
小さな紙パック1本では足りなかったらしく、栞に断り無くヨーグルトにストローを突き刺す。
もう、と栞がじと目で見るも、黒尾はへらりと笑うだけだった。
「夜久のは後で買い直すから」と言う黒尾の、さらりと揺れる前髪から覗く目にドキリとする。

「…黒尾、本当に寝癖どうにかしたら?」
「んだよ…人が気にしてる事を…」
「髪型落ち着いてたら、格好いいのに…」

何気なく言った後、再びジュースのストローを銜えて栞は自身の発言を脳内で反芻する。

しまった、今、私何て言った。

外にいる猫の親子に視線を向けるも、間の悪い事に、2匹は茂みの奥へと姿を消してしまった。
どうしよう、思わず滑らせた本音をどう誤摩化すか必死に頭を回転させるも、隣の黒尾はブッと吹き出した。

「ぶっくく…何、今の俺格好いい?」
「ちょっと…寄らないで…」
「久世サン、顔赤いよー」

遊び道具を見つけた子供のように、ニヤニヤとした顔で身を寄せて来る黒尾を押し返す。
男性の平均身長を悠に超えるでかい男に寄りかかられては、流石の栞も分が悪い。

「重い…」
「かっこいい黒尾君にくっつかれてるんだから喜べよ」
「首もげそう」
「…そんなに?」

急に不安そうになった黒尾の顔が面白くて、栞は思わず笑った。

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