ラッキースケベ代行


放課後の部活動が終わり、片付けを始める女子バレー部をよそに、男子バレー部は延長届けを出して練習を続けていた。
女子が使っていたコートの空きを使いにやってきた男子部員達は、それぞれ各々が思うままにボールを使っている。
片付けをしていた栞は、ふいにタオルを頭にかけられ思わず顔を上げた。

「ちょっとタオル持ってて」
「…私はタオルかけじゃないんですけど」

靴ひもを結び直す黒尾を睨むが、痛くもかゆくもないとばかりに鼻で笑われた。
タオルくらい首にかければいいのに、わざわざ栞の頭にかけるというということは、どうやら私をからかっているらしい。

仕返しに頭にのったタオルを外し、黒尾の首に巻いて結ぶともの凄く嫌そうな顔をした。

「何してんだよお前」
「うわぁ、黒尾すっごい似合うよそのスカーフ」
「マジで?お前顔笑ってるけどマジで?」

マジマジ、と親指を立てると、「嘘付け」と頭にチョップを落とされた。
地味に痛いそれに頭をさすると、黒尾はけらけら笑った。

女子のコートではすでに男子部員が数人入り、ミニゲームのようなものをはじめており、丁度リエーフ君がブロックを決めた。
やったーと喜ぶリエーフの足下を暴れる2本の紐に栞が気づくと同時に、黒尾もそれを視界に捕えたようだった。


「リエーフ、靴紐ほどけてんぞ」

黒尾の言葉に、足下に視線を向けたリエーフは、自身の足下に散らばる靴ひもを認めて声を上げた。

「あっ、本当だ」
「よし、靴ひも結んでる間俺と替われ」
「えぇー」

黒尾さんコートに入りたいだけでしょ、というリエーフの声等聞こえていないというようにしらばっくれて、黒尾がコートの中に入っていく。

ちぇー、という風に黒尾と入れ替わってコートの外に出たリエーフは、その場にしゃがんで靴ひもを結びはじめた。
リエーフはその身長のせいもあってしゃがんでも尚背が高い。
190p以上ある彼を見た時は、それはもう驚いたものだ。
そんなことを思い出していると、コート内でボールが弾かれる音が響いた。

コートの中にいた研磨の「あ」という言葉と共に、ブロックで弾かれたこちらにボールが飛んで来る。

反射的にそれを避けた栞だったが、自分が避けた方にリエーフがいることまで頭が回らなかった。

リエーフにぶつかってそのまま体勢を崩し、乗りかかるように転ぶ。
どたん、という音にリエーフと栞の周辺にいた部員達の視線が一斉にそちらに向かう。
ボールを回避したものの、もっと惨事になったのではないかというくらいにはぶつけた体が痛い。

「いった…ごめ、リエーフ君」
「痛…いけど大丈夫です」

倒れ込んだ栞をかばうために、とっさに体で受け止めてくれていたらしいリエーフの声が、胸元で聞こえる。
ん?と首をかしげながら恐る恐る下を見ると、栞の胸あたりに顔を埋めた状態のリエーフと目があった。
数秒の沈黙の後、栞は悲鳴を上げて起き上がった。
傍のコート内にいた誰かが「ラッキースケベ…」とぼそりと呟いたものだから、栞は顔から火が出そうである。

「リ、ご、ごめ…ん」
「大丈夫ッスよー。久世先輩柔らかかったし」
「や、やわ…」

ケロッとした顔でそう言うリエーフの発言に恐らく他意は無い。
純粋な心配をしているその無意識化の中で、感触の事を言及されて栞は穴があったら入りたくなった。

「あ…あぁ…」
傍のコート内にいた山本が倒れ、バタンという音が体育館に響く。
「お、おい山本大丈夫か!?」
慌てた夜久の声を聞いて思わずそちらに視線を向けると、眉間に皺を寄せた黒尾と目があった。

最悪だ。
今度は顔を青くした栞に、リエーフは心配そうに声をかける。

「どこか痛いんすか?」
「えっ、い、いや…痛いというか…」

視線が痛いかもしれない。
思わず体育館に正座している栞に、ゆっくりと黒尾が近づいてくる気配がする。
まずい、何がまずいのか自分でもよく分からないけど、何かとてつもなく嫌な予感がする。
空気が読めていないリエーフはきょとんとしているが、二人のアクシデントを見ていた人間はごくりと息を飲んだ。

キュッと床を踏む音が近くで止まり、恐る恐る見上げると感情の読めない黒尾と目が合った。

「…お前、本当になんなの?ドジっ子とかそういうキャラ付けいらないんだけど」
「私もそんなキャラいらないよ」
「避け方とかあんだろ、リエーフが可哀想だろうが」
「も、申し訳ありません」
「?俺は別に…」

口を挟もうとしたリエーフだったが、黒尾の無言の圧力により、口をつぐんだ。
理由はよく分からないが、黒尾の機嫌が悪い事は分かった。
こういう時は何も喋らない方が得策だと最近理解したリエーフはおとなしく居住まいを正す。
相変わらず青い顔の栞は、黒尾の様子を伺いながらひたすらに黒尾に弁解していた。
そこに事情を知らない女バレの主将が通りかかり、近場にいた男子に尋ねた。

「何あれ」
「…リエーフが久世の胸に顔つっこんだから黒尾が説教してんだよ」
「は?」

何そのラッキースケベ、と漏らした女バレ主将の声を拾ったのか、リエーフは首をかしげながら、こっそりと近場にいた研磨に声をかける。

「ラッキースケベって何すか?」
「…今のリエーフの事だよ」
「おいこらリエーフお前の練習量明日から増やすからな」
「何でっすか!?」

そんなぁ俺久世先輩のことかばったのに!と嘆くも、黒尾の発言は撤回されず、リエーフはこの日はスパルタレシーブ練習漬けになった。
申し訳無さそうにしている栞をさっさと追い払う黒尾は、無表情ながらも威圧的だった。
明日からって言ったのに、と文句をたれるリエーフに容赦無くボールを打ち込みながらムスッとした黒尾を見かねて、夜久は声をかけた。


「黒尾、眉間に皺寄ってるぞ」
「分かってるよ」

自嘲気味に笑う黒尾に呆れながらも、何でそこまで分かってて素直にならないのかと夜久はため息をついた。
皆が見ている手前格好つけて久世を説教していたものの、真意はそこでは無いだろう。


「で、本音は?」
「すっげぇむかつく」

だろうなぁ、と生暖かい目で黒尾を見るも、本人は気づかない。

「あーリエーフと交代しなかったら、俺があいつ受け止めてたのに」

がしがしと頭をかいてから、黒尾は飛んで来たボールをキャッチし、リエーフのレシーブ練習に参加する。

「そんな事俺に言うくらいなら、久世に言ってやればいいのに」
「いや、俺が言うと殴られるだろ」

…それもそうだな、と夜久は妙に納得した。

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