二人の日常


同じバレー部に所属していながらも、高校1年の頃は黒尾の存在は知っていても話した事は無かった。
よく話すようになったのは、高校2年の時に同じクラスになってである。

偶然同じ美化委員になり、大体委員会の仕事は二人で行なっていた。
黒尾は背も高いし、何を考えているのかいまいちつかみにくく、栞は少し黒尾を苦手としていた。
栞が距離を置いている事をなんとなく察したらしい黒尾は、戸惑っている栞にやたらに絡んでくるようになった。
どういう対応をすればいいのかあたふたしている様を眺めて、けらけらと楽しげに笑っているのが常だった。
散々ににからかわれ続け、意地悪され続けて、流石に栞も黒尾に慣れた。

慣れると黒尾の存在は特に脅威で無くなり、案外話やすい奴なのだと気づいた。
バレーという共通の話題があったために会話もそこそこに弾んだし、何より黒尾の気さくさは栞の口数を多くさせた。

黒尾は大きい図体と纏う大人っぽい雰囲気の割に、中身はまるきり男子高校生でどこか子供っぽいという事を知った。
さらりと茶目っ気を落としてからかってみたり、悪巧みをしているような笑みを浮かべてふざけた事を言ってみたり、とかなかにユーモアのある奴でもある。
飄々としていてつかみ所が無い黒尾であるが、男女共に友達も多く、バレー部の後輩にも慕われている。

黒尾と話すと楽しくて、栞はいつしか委員会の活動を楽しみにしていたし、高校3年になっても同じクラスになれた事で舞い上がった。
黒尾にはからかわれてばかりいたが、それが嫌でなかったのは彼が自分に気をかけてくれているという事実が嬉しかったからである。

しかし高校3年になってから、ふとした時に気づいた。
恐らく、黒尾とは気軽に軽口を叩ける気の知れた仲ではある。
しかし、気が知れた仲=恋愛対象になるとは限らないのだ。


昼休み、クラスの日直の女の子が、今日提出の宿題をクラス分回収して職員室に持っていこうとしていた。
大量にノートをかかえてふらつく彼女を見かね、黒尾がその子からさらりとノートの束を奪った。
急に手の中のものが軽くなったものだから、彼女は驚いて黒尾を見上げる。

「足下おぼつかねぇな」
「ご、ごめん黒尾君…」
「いいって、気にすんな」

真面目な彼女が「手伝ってくれてありがとう」と丁寧にお礼を言うと、黒尾はけらけらと笑った。
そんな黒尾を遠目で眺めていた男子がからかうように「黒尾やっさしー」などと茶化すと「女の子には常に優しいんで僕」とわざと真面目な顔を作って返す。
一体どの口がそれを言うのか。
盛り上がる彼らを視界に入れながら、女子であるのに女の子扱いされない自分はどうなのかと、栞は最近良く考える。

これまでの黒尾との付き合いで、あんな風に親切にされたことがあっただろうか。
あったとしても「手伝って欲しいなら購買のやきぞばパン献上な」などと何かしらの条件がつく。
気が知れているからこそ、そんな軽口が言えるのかもしれない。
しかし、気になっている女の子に対して雑な扱いをするだろうか。

普通は、大切にしたいと思うのではないか。
ならば私は、黒尾の中では女の子という対象にはなっていないのだろうか。

答えは本人しか知らないし、聞けるはずもない疑問をかかえたまま、栞は日々悶々と過ごしている。



「なんか元気無さそうだけど大丈夫?」

午後の授業を終え、返却された小テストの点数が著しく悪く、頭をかかえていると黒尾の声が降って来る。
座ったままの私を見下ろし、流れるように手にあった答案を奪うのでギョッとした。

「ちょっ、何するの黒尾」
「うわ、これ補修決定じゃん」
「勝手に見ないでよ!」
「お前、英語苦手だっけ?」

悪びれる様子も無く答案を返され、栞はそれをこそこそとファイルにしまう。
英語は苦手な方ではあるが、実はテスト前日に大して勉強もしないまま寝てしまったのだ。
なんとかなるだろう、という甘い考えは、こうして数値となって栞の前に現実を突きつける。
英語の補修は担当教員のせいか時間が長く、なかなか帰してもらえないことで有名だ。
だからこそ、英語のテストは皆一様に気合いを入れて臨んでいるのだが、手を抜いた結果がこれだ。

「苦手とかそういう点数じゃねぇな、お前勉強しなかったろ」

ニヤニヤと笑みを浮かべてはいるが、黒尾の視線の中に軽蔑が含まれていた。
黒尾は学校生活で、何よりバレー部での活動を大事にしている。
高校最後の年、今年こそ全国大会へ行くのだと目標をかかげ日々精進している。
補修なんか受けていたら部活の時間が削られるため、黒尾は案外真面目に勉強をするし、成績もそこそこいいのだ。
なまけていたせいで部活の時間を削る事になってしまった私を、信じられないという風に見る視線から目を背ける。
あぁ、黒尾に幻滅された。

「ま、補修でちゃんと頭に叩き込むことだな」
「…わかってるよ」

はぁ、とため息をつくと、ぐしゃぐしゃと頭をかき回された。
驚いて再び顔を上げると、黒尾は憎たらしい笑みを浮かべている。
突然の黒尾の行動は意味不明だが、もしかしたら励ましてくれたのかもしれない。
実に愉快、と言わんばかりの表情に、栞は肩の力が抜けた気がした。

「髪すっげぇボサボサになったな」
「…そうだね、黒尾とおそろいかも」

ふふん、と鼻で笑って片側の前髪をかきあげると、黒尾は口元をひくつかせた。

「お前、人が気にしている事を…」
「大丈夫だって、毎朝頑張ってセットして来てるみたいに見えてるから」
「それはそれで嫌なんだけど」

かっこつけるの失敗してるみたいじゃん?と首を傾げる黒尾がなんだかおかしくて笑った。
でかい図体をしているくせに、結構寝癖の事を気にしている黒尾は少し可愛いと思う。
眉間に皺を寄せる黒尾を無視して、部活に向かうためカバンを肩にかけると、黒尾は神妙な面持ちで栞に視線を向ける。

「何?」
「…いや、なんでもねぇ」


この日、帰宅してかばんの中を開けると、ノートの隙間にはさまっていた玩具のゴキブリに悲鳴をあげることになる。
すぐに黒尾に連絡すると「やっと気づいたのかよ!」とげらげら笑い、その玩具が3日前にしかけられていたと知った。

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