アフターアフタースクール

「美術室の改装工事が始まるから、暫く美術室が使えなくなる」

高校3年の夏休みが明けた頃、担任の急な報告に暫し固まった。
では、受験を控えている私はどこで絵を描けばいいのか。
それだけが気になる、という私の考えを察したのか、美術担当である担任は続けて説明してくれた。

「美術室が使えない間は、うちの教室を美術室の代わりに使ってくれ」

「分かりました。…でも、なんで今の時期に工事をするんですか?」

「結構前から工事の話はあったんだよ。最初は夏休みに工事をする予定だったらしいんだが、都合が悪くなったらしくてな」


俺にも上の都合は分からん、と担任は首をふった。
試験まであと数ヶ月、この時期に使いなれた美術室を使えないのは少し残念だが、私が今やっている受験に向けての練習は、そんなに大がかりなものでは無いので教室で出来ないことも無い。
工事の話には少し驚いたが、大したことでは無いと、軽い気持ちで了承した。

それを後悔したのは、放課後教室にイーゼルや画板を運んで行った時だった。



教室にたった一人だけ、男子生徒が残っていたのだ。
しかもその男子生徒というのが、よりにもよって柳蓮二だった。

驚いて思わず画板を廊下に落としてしまい、大きめの音が響き渡る。
その音に流石に驚いたようで、柳君は読んでいた本から顔を上げてこちらを見た。
バッチリ目があってしまい、何かを言わなくては、ととっさに謝った。


「ご、ごめん」

「いや…構わないが、」


柳君はやや眉を寄せてこちらをじっと見た。
その視線を受けるのが気まずくて、私の視線は泳ぎ回る。
何でこんなに見られているのだろう、と考えてすぐに自分が今持っているものに目がついた。
普通の教室に、イーゼルのような大きなものを持ち込んでいれば誰だって気になるだろう。
それを説明しようと口を開きかけた時、柳君はそれより先に口を開いた。



「ここで絵を描くのか?」

「うん…美術室が今使えないから…」

「成る程…確か工事が始まっていたな」


口元に手をあて納得したらしい柳君は、そのまま本に視線を戻した。
柳君の机の上には何冊もの本が重なっており、手前にはノートまで広げてある。
何か調べものでもしているのだろうか、と疑問には思ったが、気安くそれを聞ける程の関係ではない。

私もそのまま柳君をスルーして、自分の机の上に持ってきた画板やら何やらを置く。
横目で柳君をチラリと盗み見るが、本を読み耽っているのか帰る様子は見られない。

私と柳君しかいないこの空間で、絵を描かなければいけないのかと思うと気が重い。
しかし、それとは反対に喜んでいる自分がいるのも事実だった。


モチーフを机に並べながら、ぼんやりと思い返す。

私は中学3年の頃に、柳君に告白をしたことがある。

中学2年の時に図書委員に所属しており、その仕事の最中で、返却された本を入れておく移動式の書架を、私が誤ってひっくり返してしまった。その時に、丁度居合わせた柳君が本を拾うのを手伝ってくれたのだ。

「大丈夫か」と優しく声をかけてくれ、本を拾い上げると慣れた手付きで本を元あった場所に並べてくれた。
たったそれだけのことだったけれど、私が柳蓮二という人物を認識するには充分だった。

王者立海と呼ばれるテニス部に所属しており、周りの女子たちの人気もあって存在は知っていたが、これをきっかけに彼を目で追うようになった。
廊下で見かけた時、委員会での演説をしていた時、部活をしている時、だんだんと無意識のうちに柳君を探すようになり、彼のことが気になって仕方がなくなった。
そしてそれが、恋だと気付くのには時間はかかなかった。


本を拾うのを手伝ってくれた、たったそれだけで誰かに心を奪われるとは思わなかった。
些細なきっかけがいつの間にか私の中で大きくなり、気が付けば抑えきれない程の思いにまで成長していた。

中学3年になり、彼と同じクラスになった。
柳君とはそんなに会話をすることは無かったが、あの頃は毎日が楽しみだった。
学校へ行けば柳君に会える、と浮かれていた。


そして中学3年の秋、丁度今くらいの時期に勇気を出して告白したのだ。


今でもあの時のことは覚えている。
私が気持ちを伝えた瞬間に、申し訳なさそうに目を伏せた彼を。
「すまない」と眉を下げた柳君に、なけなしの意地を張って「言いたかっただけだから気にしないで」と答えたが、内心ではそれどころでは無かった。
目が若干潤んだことも、声が少し裏返ってしまったことも、柳君には伝わっていたようだ。

「今は勉強も忙しいし、テニス部のことも気になる。…あまりそういうものには、構ってやれないだろうから」と私が傷つかないように理由を述べてから教室を出て行った柳君を見送ってから、暫く疼くまって泣いていた。

断る時も優しいのかと、振られたばかりなのに柳君への愛しさが膨らんだ。



あれから3年、私の気持ちは未だに柳君に向いたまま時だけが過ぎてしまった。
柳君を早く忘れたい、と思いながらもズルズルとここまで引き摺ってしまったのも、この3年間に柳君以上に気になる存在を見つけられなかったからだ。

なんて未練がましいんだろう、と自分で自分に苦笑いをした。


モチーフを並べ終え、立てたイーゼルに画板と画用紙を置いてから、自然にため息が漏れた。


恐らく、今も私は柳君のことが好きなのだろう。

しかし柳君は、きっと私の告白のことなんて覚えていない。
とても人気のある人だから、告白された回数はたくさんあって、それにイエスと答えたのはたった1回だけだと聞いている。
私は、そんなたくさんの中のひとりでしかないのだ。



酸っぱい青春だな、とぼんやりと考えながら鉛筆を手に取った。
パラリと本をめくる音と、私が画用紙に絵を描く音だけが、教室に響いていた。


20120712 執筆