甘い罠

「おはようさん」


朝から珍しいこともあるものだ、と後方に顔を向けると、廊下と教室の仕切りになっている窓をあけ、肘をついてこちらを眺めている仁王君と目があった。
最近はテスト期間のため部活も停止しており、今日も彼の所属するテニス部は朝の練習は無かったはずだ。
そもそも、部活があったとしても彼は朝に弱いらしく遅刻をすることもままあった。
部活の無いテスト期間中は、この機会を逃してなるものかというくらいに始業ギリギリに登校してくる。
部活が無い分、時間ぎりぎりまで布団にくるまっているのだと彼は言っていた。


「おはよう仁王君。こんな朝早くから学校にいるなんて珍しいね」

「まあな、なんせ今日は特別な日やからの」


そう言って笑う仁王君は、窓際から移動して教室に入ってきた。
彼の席は窓際の前から2番目だ。あまり良い席とは言えないが、それでも周りの生徒に隠れて死角をつくり、こそこそと授業中は別の事をやっている。
折り紙をやっていたり、パッケージのようなものを組み立てていたり、この前はかぎ針で紐を編んでいたからおかしくてつい笑いそうになってしまった。
数日前に、手芸部に所属している私にかぎ針を使った編み物のやり方を聞いてきたことがあったので、余計に自分の中では面白く感じることとなった。
その編んだ紐は1日だけ彼の髪を縛っていたが、気に入らなかったのか次の日からはいつも使用している紐に変わった。

何故私がこんなにも仁王君のことを知っているのかというと、私の席は彼の斜め後ろであり、仁王君がよく視界に入るのだ。

比較的、授業などは真面目に聞いている私だが、視界の端で授業と全く関係の無い作業をこそこそと行っている仁王君は正直気になる。
はじめのうちは、ちゃんと授業を聞けばいいのに、なんて思っていたが、彼のやっていることがなんとなくツボに入ってしまい、最近では今日は何をしているのかと毎日楽しみにしている。

「特別な日?…もしかして誕生日?」

「おぉ」

「そうなの、おめでとう」

「ありがとさん。ところでお前さんはこんな朝早くから何しとるん?」

「昨日の委員会で渡されたプリントを配ろうと思って」


荷物を置いてから、私の机に寄ってきてから卓上に並べた資料に目を落とす。
途端に嫌な顔をするものだから、思わず笑ってしまった。

「なんじゃこの集中勉強会ゆーのは…」

「私たちも一応受験生じゃない?勉学の向上を目的として、冬休み期間中に勉強会を3日間実施するんだって。ちなみに、3年生は強制参加らしいよ」

「げ……」


嫌だなぁ、とあからさまな表情を浮かべてから、仁王君はプリントに書かれている日付を確認していた。
それを見てから、うーんと唸ったので、都合が悪いの?と聞けば、都合が悪くないから嫌だ、と残念そうに呟いた。


「……ところでじゃな」

「うん?」

「あー…その…」

ボリボリ、と頭をかいてから咳払いをすると、仁王君は私の前の席に座った。
ふだんはだらりとした印象のある彼だが、いつもより背筋がぴしりと伸びている。
何かを言いたげにしているのだけれど、言いにくいことなのか緊張しているように言える。

そんな様子の彼を見ているとこちらまで緊張してしまい、思わずごくりと息を飲む。
何かまずいことでもあっただろうか、と根拠も無く悪い報告だと判断して彼の発言を待っていると、彼の口から紡がれたのは予想とは違うものだった。

「今日俺の誕生日だから、なんかくれん?」

「…え?」

そんなことを言われても、ついさっき仁王君の誕生日を知ったものだからそんなものを準備できているわけも無いうえに、私にそれを要求する意味がいまいち理解できない。
私と仁王君は、そこそこ話はするものの、誕生日プレゼントを渡すという程親密では無い。
それに目の前の彼は何故かそわそわしているし、全くもって状況がつかめない。
クッキーを今日のお昼におやつとして食べようと持参してきてはいるのだが、クッキーなんかでもいいのだろうか?
ゆっくりと自分のカバンに手を伸ばすと、仁王君が待ったをかけた。

「あー違う、言い間違えた」

「…?」

「…お前さん、俺のこと好きか?」

今度こそ、ぽかんとするしか無かった。
いきなり何だというんだ、と混乱気味の私のことを放置して仁王君は勝手に話を進めて行く。


「いつもお前さんが授業中に俺の事を見てたのは知っとる。それで提案なんじゃが、俺とつき合わん?」

「…え?」

確かに私は毎日仁王くんを見ていたが、何故そこからつき合うことになるのだろう。
もしかして、私が仁王君のことを好きで観察していたと思われてしまったのだろうか。
仁王君のことは面白いから好きではあるが、恋愛対象的視点で彼を見たことが無かったので返答に困ってしまった。
そもそも、仁王君と話ができるだけでも私自身は凄いことであると思っている。
彼はこの学校で一番有名なテニス部の部員であり、さらにレギュラー選手であると聞いた。
あの部活の生徒達はとても人気があるものだから、同級生でクラスメイトでありながらもまるで芸能人のようなイメージがあった。
その彼とつき合う、とういう事の想像が全くつかない。

「……駄目か?」

「駄目というか…仁王君、私のこと好きなの?」

「ストレートに聞くの…。まぁ、そうなんじゃが…」

「…なんでまた」

全く実感が湧かなかったので、思わず本音が口からぽろりと溢れてしまった。
仁王君はこの状況に慣れたのか、緊張がとけてゆるりとした状態でこちらを見た。


「…お前さんがあまりにも俺を見てるから、俺もお前さんを意識してしもうた。それだけ」

「…そうですか、何だかごめんね」

「……それはさっきの返事か?」


一瞬目を細めてじっとこちらを見る仁王君はなんだか悲しそうだ。
そうだ、曲がりなりにも彼は私に告白をしたのだと思い出し、慌てて違うと訂正した。

「違うんだけど…あの、時間をくれないかな?」

「何でじゃ」

「何でって…その、私仁王君をそういうふうに意識したことが無くて…」

「は…じゃあ何で俺を見とったん」

「だって…授業中にいつも変なことしてて、面白かったから…」

「………」


何故だか仁王君は遠い目になって、脱力したと同時に額に手をあてて唸った。
そして額にあてていた手を移動させ、今度は頭を抱えた。


「なるほど…この俺が…騙されたわけか……」

「………」


別に騙したわけではなく、仁王君が勝手に勘違いをしただけでは無いのだろうか、と冷静に分析したものの、今の状態の彼にそんなことが言えるはずも無かった。
しかし今日は彼の誕生日なんだよなぁ、と思い出し、このままでは不憫だと思ってカバンからクッキーを取り出した。


「あのこれ…よかったら食べて」

「………」


じとっとした目でこちらを見ていたが、何だかんだでクッキーを受け取った仁王君にほっと安心した。
やや機嫌の良くなった仁王君を見て、意外に子供っぽいところもあるんだなぁ、と彼のことを可愛らしく思えた。
クールでミステリアス、などと女の子にささやかれている人とまるで同一人物とは思えない。

「…3日」

「え?」

「3日あれば十分じゃ、お前さんを落としちゃる。このままじゃあ詐欺師の名が泣く」

「………」


先程の拗ねたような表情から一転、不敵な笑みを浮かべる仁王君を見たら、はからずもドキリとしてしまった。
男の人に告白されたことも、こんな口説き文句のようなことも言われたことも無いので免疫があるわけも無い。
カァと顔に熱が集まるのが分かり、それを見た仁王君はぽかんと驚いてから、嬉しそうに笑った。

「なん、もう落ちたんか?」

「…違います」

「なんじゃ、つれないのぅ」


ああでも、私は3日も保たないような気がする。