約束

自分の家のはずなのに、常に幸村の後ろについて歩いていたら幸村が苦笑いをした。


「歩きにくいんだけど…。というか、どの部屋に行けばいいの?」

「すぐそこのドアに入って。リビングだから」

「はいはい…」


幸村は呆れたようにドアノブを握り、リビングのドアを開けた。
スタスタと中に入る幸村にひっついてリビングを見渡すが、苗字青葉の姿はない。
まずはそれに安心し、部屋の明かりをつけて少し余裕ができた。


「何かお茶出すよ。紅茶でもいい?」

「ああ」

とりあえず、幸村にソファーに座ってもらい、キッチンに入って紅茶の準備をする。
ひとりきりではない、と分かっているが故にこの状況でも安心できた。
私の馬鹿みたいなお願いを素直に聞き入れてくれた幸村に感謝しながら、戸棚に入ったカップを取ろうと振り返った。
すると、ちょうど幸村の座るソファーの前にある机の上に、苗字青葉が浮遊していた。
ギョッとして悲鳴を上げてしまい、それに反応して幸村と苗字青葉がこちらを見た。
驚いた様子の幸村とは反対に、苗字青葉は笑顔でこちらにやって来た。



『おかえりなさい、ナマエちゃん』

「あ…、た…、ただいま…?」


ふんわりとした笑顔でそう言う青葉に釘付けになっていると、それに気付いていないのか、青葉はニコニコと話しはじめる。


『ずっと待ってたの!
今まで生きている人で私のこと見えている人っていなかったから、嬉しくて嬉しくて…。
私のお願い、きいてくれるんだよね?』

「あ、うん…じゃなくて、内容による…かも」


視界の端で、幸村が驚愕の表情を浮かべこちらを見ている。
多分幸村には、私が独り言を言っているようにしか見えないだろう。
そりゃあびっくりするわ、と他人事のように考えていると、青葉がズイ、と近寄ってきた。
やけに嬉しそうな彼女から紡がれたのは、予想外の言葉だった。



『幸村君とお話がしたいの』


「………は?」


幸村、とはそこのソファに座ってこちらをガン見しているあの幸村のことだろうか。
というか、何故幸村なのか、何故わざわざ私にそれを頼むのか、といろんな意味で理解ができない。
それが青葉にも伝わったのか、彼女はもじもじと説明をし始めた。



『…実は私、2年生のころから幸村君のことが好きだったの。でも、幸村君は2年の後半から入院しちゃって…3年の夏には退院したけど、クラスも違ったし、話しかけられなくて……』

だんだん小さくなっていく声を聞きのがさまいと、青葉を見る。
嬉しそうにしていた彼女の表情がだんだんと雲っていく。
その表情から、彼女の気持ちがじわりじわりと自分に伝染してくるようで、何故か泣きそうになってしまった。
私はこんなに感傷的だったかと、自分でも不思議に思った。


『……本当は、ずっと告白するつもりでいたの。…だけど、私…死んじゃって……』


俯く彼女を呆然と見ていると、ついに幸村が席をたった。
不審そうにこちらを見ながらも、ゆっくりとこちらに近付いてきて「何かいるのか?」と恐る恐る訪ねてきた。

少しは信じてくれたのかと、可笑しなことに、なんだか嬉しかった。

ゆっくりと頷くと、幸村は表情を固まらせてキョロキョロと辺りを見回している。
きっと見えない何かを探しているんだろうが、残念ながら青葉は幸村の目の前にふわふわと浮いていた。

その光景がなんだか面白くて笑えば、幸村は意味が分からないと言いたげな表情をした。
今まで異様にビクビクしていた人間が楽しそうにしていれば、不審に思ってもおかしくないだろう。

不思議なことに、今までの恐怖心などというものがゆっくりと消え、自分の中に余裕が現れはじめた。

原因は恐らく、目の前で頬を染める苗字青葉だ。



「幸村の目の前にいるよ」

「は、」


そう言えば、幸村は一瞬後退った。
流石に目の前にいると言われたら驚いたのか、見えない存在をひたすら見極めようと目をこらしている姿が、なんだか面白かった。


「幸村と話がしたいんだって」

「俺と…?」


何で、と聞かれて答えていいものかと少し迷った。
チラリと青葉を伺うと、言わないで!と慌てて手をブンブン振っている。
その仕草と態度が可愛いらしくて、無意識に幸村とお似合いだなぁ、なんてふいに思った。
美男と美女、きっと隣に並べば絵になるだろう。

それはもう、実現することは無いのだけれど。


20120422