パシリ兼下僕

夏休みや冬休みの宿題で出されるのワークブックは、だいたい1週間から2週間くらいかけてやるために、ある程度のボリュームのあるものを出されるのであって、間違っても1日で終わらせるためのものでは無い。
それを寝ずに頑張って終わらせた私を誰か褒めてくれ。


「ほう、解くだけ解いたか」

「……はい」


パラリパラリとワークブックを捲って確認する柳蓮二は、優雅に足を組み、生徒会室のソファに座っている。
机の上には、今度あるスポーツ大会関連の資料があり、その隣には分厚いファイルが4つ程重なっている。

一方、私といえば座ることも許されずピンと立ったまま柳君の反応を伺っている。
昨日、徹夜をしたので眠いうえに数字や記号を書きすぎて手が痛い。
何故宿題でもなんでもない、同級生にやれと言われたワークブックを全力で取り組まなければいけないのか。
まあただ単に柳君から得体の知れない恐怖を感じるということもあるが、こんなにひとつの課題を集中して取り組んだのは今年初ではなかろうか。


「…まあ、間違いもそこそこあるが合格だ」

「…はい」


何だその上から目線の発言は。
くっそー、と内心呟きながら中指を立てたい衝動にかられるが、柳君が顔を上げたので姿勢を正す。
柳君は相手の発言や行動を読める、と友達が言っていたのを思いだし、できるだけ真剣な表情でいることに努める。
柳君は、フッと鼻で笑った。


「眉が引きつっているぞ」

「えっ」

「いくら表情を取り繕おうとしても、普段慣れないことをしているのだから筒抜けだ。お前は今とてつも無く不満に思っているだろう」


数学のワークブックを閉じ、柳君は不敵に笑う。
顔が整っているせいか、それすら美しく流れるような動作にみとれる。
長く細い指がゆっくりとワークブックの中央をつまみ、もう片方の手も同じように添える。
瞬間、今柳君が何をしようとしているのか予測できたが、まさかそんなことをするはずない、と自分の中で出した常識がことごとく裏切られた。


柳君はひと思いに、数学のワークブックを真っ二つに裂いた。
ビリと固めの紙が破れる鈍い音をたてながらも、相当の握力をかけているのか面白いくらいに綺麗に裂いていく。
呆気にとられてそれを見ていると、4分の1サイズになったそれをパラパラと机の上に落とした。
柳君の表情は変わらず、バラバラになったワークブックには目もくれず生徒会のファイルを手に取った。


意味が、分からない。
ふつふつと込み上げる怒りで表情を包み隠すことができず、またその気もない。
折角人が時間をかけて取り組んできたものを、こいつは事も無げに破り捨てた。
数学を解いて来いと、そう言ったのは柳じゃないか。


「腹が立っただろう?」


それなのに、この男のこの冷静さが気に食わない。
私の怒りを買うつもりでいたのがこの態度で分かり、余計に苛立ちが隠せない。


「…柳君は、何がしたいわけ?」

「お前は今、時間をかけて取り組んだ数学のワークブックを破られてさぞご立腹のはずだ。
時間をかけて作りあげたものを、呆気なく無駄にされることほど苛立つものはない。
俺のノートが駄目にされた時の、俺の気持ちがよく分かるだろう?」

「は…、」


一瞬思考が停止したが、要は私に仕返しをしただけだ、と言いたいらしい。
沸き上がった怒りが行き場をなくして戸惑う。
確かに数学のワークブックを裂かれたのは腹立たしいが、私も同じようなことを柳君にしでかしてしまったので強くは言えない。
そんなに柳君は怒っていたのか、と改めて実感し血の気がひく。
しかし、私は別に故意に柳君のノートを駄目にしたのではないと、言い返したい気持ちが沸き上がる。


「確かに…大事なノートを使い物にならなくしたのは私が悪いけど…ここまでしなくても」

「お互い様だろう」

「過程が違う、私はわざとノートを駄目にしたんじゃない」

「過程は違えど結果は同じだ。現に俺はお前にどんな理由があろうと、ノートを無駄にされたことを許しはしない」


「それなら、」

「"私だって、数学のワークブックを破られたことを許さない"とお前は言う。
しかし、先に俺のノートを駄目にしたのが先だ。
それに、昨日の約束は忘れていないだろう?」

「………」


「俺のノートを駄目にした責任はお前にある、だからノートの修復にお前は協力すべきだ。そして内容も説明したはずだ。その数学の課題はその内容に含まれている。
そうだろう、雑用?」


もう何も言い返せなかった。
きっと何を言っても、この男は易々とそれを覆すと、本能的に察した。そして逃げ切れないということも。

雑用をする、確かにそう約束はしたが、まさかこんな展開になるとは思いもしなかった。

昨日はただ単に、部活や委員会で忙しいから手伝って欲しいと、そういうニュアンスで受けとってしまった。
そう勝手に思い込んでしまった私が悪いというのか。

この柳蓮二という人物の態度から見ると、自分が雑用などではなくまるで下僕のように扱われるような光景が浮かんだ。

今更になって顔面蒼白になり、一昨日自分がしでかしてしまったことを後悔したがもう遅い。
顔色を悪くした私を見て、ここまでずっと保っていた無表情を崩し、美しく微笑んだ柳蓮二に寒気しか感じない。



「それでは苗字、明日の放課後ここで待ち合わせだ」



20120930