とろけてしまえ

珍しく動揺した様子で頭をかかえている柳に後ろから抱きついて、クスクスと笑っていたら視界が反転した。
柳の首に回していた腕を解かれ、勢いよく振り向いた柳がこちらに倒れ込んできたのが原因である。
フローリングの上に倒れ込んだせいで、背中が微妙に冷たく、そして痛い。
いつだか、こんなことがなかっただろうか、と記憶を辿った瞬間、私に覆い被さっていた柳が私の頬を撫でた。


「好きな男に押し倒された、お前ならどうする?」


聞き覚えのあるセリフだった。
いつだったか、柳が私の家に勉強を教えに来てくれた時に、全く同じセリフを発言すると共に押し倒されたのだ。
デジャブ、ではない。
柳はあの時のことを再現しているのだ。
だとしたら、柳の意図は?


あの時と同じように、ゆっくりと目を閉じると、冷たい唇が降ってきた。
はじめは軽く触れるような優しいキスが、だんだん深く絡むようなものへと変貌していく。
息を吸うために薄く開いた隙間を縫って侵入してきた舌に口内を犯されながらも、柳の首に腕を回してすがりつくように抱き付いた。
柳も重力に逆らわず、私にピッタリとのし掛かっている。その重みは心地よく、薄い布越しに伝わる固い筋肉の感触に上気する。
それはきっと柳も同じなのだろう、柳の吐く息が熱っぽい。


「…お前にそのような格好をさせたのは失敗だったな。…目に毒だ」


至近距離でそう呟いた柳は、うっすらと目を見開いて真っ直ぐに私を見つめた。
熱に浮かされたようにぼんやりとしか柳を見ることが出来なかったのは、先程までのキスのせいで息があがっていたからだ。
はぁ、と息を吐けば再び唇を拐われた。柳は私を窒息死させるつもりなのか。


「やな、ぎ…」


銀色の糸を引いて離れる、濡れた唇をぼんやりと見つめながら呟けば、先程までのねっとりとしたキスとは違った、触れるだけのキスを落とされる。
ちゅ、と鳴るかわいらしいリップ音と、家の屋根を叩く雨の音が部屋に響く。


「…蓮二だ」

「……え?」

「前にも言ったはずだ。いい加減、名前で呼んでくれないか」

「……意外」

「…何がだ?」

「柳って、そういうの気にするんだ」


至近距離にある柳の頬に触れると、柳は眉間に皺を寄せて不服そうな顔をした。


「…自分のことを名前で呼ぶ存在は限られている。家族、親しい友人、恋人…。自分の名を呼ぶことを許した人物は、誰も彼も自分にとって特別な存在だ」


柳の頬に触れていた手を掴んでから、柳はゆっくりと私を引き起こした。
起き上がった時に、今まで密着していた体が離れたから少し涼しい。
しかし、起き上がってすぐにまた引き寄せられてぴったり抱きしめられる。それに答えるように私も背中に腕を回して、顔を柳の肩口に埋める。
シャツ1枚という格好をしているのに、こんなにも暑い。


「お前は俺の恋人で、特別だ。だから俺はお前のことを名前で呼びたいし、お前にもそう呼ばれたい」


お前の特別でありたい。
耳元でそんなことを囁かれるのは、たまったものでは無い。
特別、という言葉はこんなにも甘美なものだったのかと、ぼんやりと考える。
柳が言うから、そう聞こえてしまうのかもしれない。否、柳が言うからこそ、そうなのだ。


「蓮二」

「…ああ」

「蓮二」

「…何だ?」

「嬉しい?」

「……ああ、とても」


再び唇を重ね、角度を変えて何度も何度もそれを繰り返す。
酔いしれてしまいそうなキスが気持ちいい。
柳の首に腕を巻き付けて、もっと、とねだると少し微笑んだ気がした。
私のそれに答えるような、貪るような激しい口づけにきゅんと体が疼く。


「あつい…」


汗で素肌に張り付くシャツに不快感を感じ、思わずそう漏らすと、柳の手が私の胸元に伸びてきて、シャツのボタンに手をかける。



「脱ぐか?」



きっと、脱ぐだけでは終わらない。
それ以上の行為を示唆させる発言に、一瞬思考が止まる。
しかし、その思考はすぐに起動し、甘やかな期待が頭を占める。
そんなことを考えてしまう私の返事なんて、決まっているではないか。

こくりと頷けば、視界が再び反転した。



20120809