ゆるやかな戦略

「ごめん柳。昨日渡すの忘れてた」


茶封筒を差し出すと、柳は不服そうにそれを見るだけで受け取ろうとしない。
担任は何故かこの封筒を柳に直接渡そうとはしなかったし、これには柳が受け取りたくない何かが入っているのだろうか。
少し中身が気になる。


「名前はどうした?」

「…はい?」

「昨日、俺のことを名前で呼ぶように条件を出したはずだが?」


「ああ……それは、その」


昨日、と言われるだけで全身の温度が急上昇する。
今だって、柳に話しかけるだけでも少し緊張したし、直視出来なくて視線がふらふらと彷徨っている。
何で今更こんなにも恥ずかしいのかと、自分でも不思議に思う。


「どうした、顔が赤いぞ?」


笑みを浮かべながら、顔を近付けてくる柳に驚いて、反射的に距離をとる。
すると柳は先程よりも嬉しそうに笑い、逃げる私の腕を掴んだ。


「可愛いな、お前は」

「か!?」


クスクスと笑う柳に対して、私はとても笑えない。
可愛い、なんて言われ慣れていないから、どう反応すればいいのか分からない。
嬉しいんだけど、なんていうか、込み上げてくるものが羞恥しかなくてまともに柳の顔を見ることができない。



「作戦は成功、ということか」

「…作戦って何」

「随分前に言ったはずだぞ」

「?」


私が首を傾げると、柳がふいに私の顎先を軽く持ち上げ、唇に軽い口付けを落とす。
軽いそれの割に、リップ音だけは思ったより大きく響いた。
それだけで固まってしまった私を見て、これまた、可愛い奴、だなんて言うものだから、思わず頭突きをしてしまった。

何だこの羞恥プレイは!と言えば、まさか私が頭突きをするとは流石に予想がつかなかったのか、柳はぶつけられた額を押さえ唸っていた。



「…ナマエ、空気を読め」

「無理!恥ずかしくて私が死ぬ」


どうにか逃げようともがくが、捕まれた腕を解放される気配は無い。
それどころか、柳は意地でも私を逃がさまいと、あろうことか両腕を拘束し、私を壁に押し付けた。



「今のはなかなか効いたぞ…」

「そりゃあ、思いっきりやったからね」

「反省は無しか」


仕様がない奴だ、という声が耳元で聞こえたかと思ったら、左耳に生ぬるく柔らかいものの感触が這った。
それが柳の舌であると分かった瞬間、全身の筋肉がガチガチに固まり、反対に思考がじわじわとふやけていく。


「…あ、柳…何して、」


ぺちゃ、という水音が耳から全身へダイレクトに伝わり、だんだん体の力を奪っていく。
足にあるはずの力の感覚が無くなって、今自分がどうやって立っているのかすら曖昧になってくる。
耳を甘噛みされ、生暖かい息を吹き掛けられただけで、泣きそうになる。
耳から頭へ、そこから体全体へと痺れていく感覚が嫌に心地いい。


「お仕置きだ。……と、少しやり過ぎたか」


暫く放心状態のまま柳を見ていると、眉を下げて謝ってきた。
すまない、調子にのり過ぎた。と言われても、思考がうまく働かないので特に反応ができなかった。
不審に思ったのか、柳は私の頬をペチペチと軽く叩いて、私の意識を取り戻そうとしてくれた。
おかげで、我に返った。




「なっ、なにす、…はあ!?」

「…落ち着け」

「だって!み、みみ耳に!」

「お前真っ赤だぞ」

「耳、なな、な、舐め…!」


「……耳を舐められたくらいで慌てるな」
「言うな!」



今までそんなことをされたことが無かったから、耐性なんてあるわけがない。
キスだって、何度か繰り返したおかけでなんとか慣れたというのに。
それに、耳から離れたはずの柳の吐息や温かい唇や舌、歯の感触が脳裏から離れず、未だに耳元にそうあるよう感じるのだ。
未だに、熱い。



「…ほう、これはいいデータが取れたな」


意地悪な笑みを浮かべる柳に、ああやってしまったと後悔しても、もう遅かった。




20120416 執筆