事の発端

私は少女マンガが好きだ。
小学生のころから月間雑誌を買っており、毎月発売日を楽しみにしていた。
中学に入り、月間誌から卒業していく友達に不安を覚えつつも、相変わらず雑誌を買っていた。
高校に入ってからは、雑誌から単行本という形をメインに少女マンガを集めはじめた私の部屋には、マンガがざっと500冊ある。これは一般的に見ると多いはずだ。


それを、だ。
この男は私が小学生のころから 少しずつ買い貯めていたそれを、サラリと短期間でほぼ読みきってしまった。

付き合い始めてから3ヶ月くらいの時に私の家に彼を初めて呼んだのだが、流石に本棚にごっそり並んだマンガ達を見られるのは恥ずかしい。
適当な布で覆い、カーテンのようにして本棚を隠していたら、それが逆に怪しくなってこのマンガの山を見つけられてしまった。
その時の恥ずかしさと言えば尋常では無かった。
普段はあまり動揺することの無い彼が目を見開いて本棚を見たあと、まじまじとこちらを見たのだ。
恥ずかしすぎて私は頭を抱えて机に額を押し付けついた。
とても柳の方を見ていられなかった。
穴があったら入りたいとは正にこのことだ。
暫くして、震えながら笑いを堪える柳が視界に入って泣きそうになったことは今でも覚えている。




「あの漫画はなかなかストーリーが良かったと思うぞ。最後の展開には驚かされたが、なかなか上手くできていたし、楽しめた」

「……いっつも思うんだけど、柳と少女マンガって本当に合わないね」


私は来週あるテストの勉強をしているというのに、柳は涼しげな顔で、この前読みきった少女マンガの評価を話している。
今柳の手には、学校の教科書でもデータノートでもなく、この前私が買い集めはじめた少女マンガがある。
あまり勉強が得意でない私は、柳によく勉強を見て貰っていた。
場所は専ら私の家で、私が問題を解いている間暇な柳は、何を思ったのか私の部屋の少女マンガを読みはじめたのだ。

今では、私の持っているマンガをほぼ読みきってしまい、私と少女マンガの内容を話すのに支障が無いくらいだ。



「それは良かった、合ってもあまり嬉しくない」




私が大量に少女マンガを集めているという事実がバレた時、柳はニヤリと笑みを浮かべて何かをノートに書いた。
あ、これが他人に弱味を握られた瞬間か、とこの時私は非常に間抜けなことを考えていた。



私は、女子の中では比較的サバサバしている部類に入ると思う。と言っても、内心では甘ったるいことを夢見ていたりして、自分でも気持ち悪いなー、なんて思うこともある。

現実はマンガ通りにはいかない。
好きな男子がいても彼がいきなり私に話しかけてくれたり、突然大声で告白をしてくれるこてもない。当然だ。

夢を見てもどうにもならないと思いつつ、ほのかに希望を抱いていた。届かないものほど憧れる。


ただ現実とマンガの違いを感じれば感じるはほど、だんだん冷めてきている自分もいて、最近では少女マンガを読んでいると、現実でありえるか否かについて考えるようになった。
要するに、あまり期待しなくなった。
それでも、時々ときめいてしまうことがあるからやめられない。




「ね、それどう思う?」

「…絵は綺麗だが、いまいちこのヒロインの考えが理解できない」

「え〜…。柳は男だから分からないんじゃない?」

「…ほう。
と言うことは、お前は理解できるということか」


読みかけのマンガが机の上に置かれ、不意に柳が動いたかと思えば、両手を掴まれそのまま後ろに押し倒された。
カーペットは敷いてあるが、その下はフローリングなので少し背中が痛い。
鼻が触れ合うほど近くに柳の顔があって、思わず息を飲んだ。
柳は、相変わらずの余裕の表情で笑う。


「さて、勉強中に突然好きな男に押し倒された。お前ならどうする?」


柳のこの行動の意味を瞬時に理解した。
これは、先程まで柳が読んでいたマンガのワンシーンだ。
勉強中、付き合いはじめて1週間もしないあたりにヒロインが彼氏に押し倒される。
このあとヒロインは、涙ながらに彼氏をひっぱたくのだ。
いつもの〇〇君じゃないみたいで怖い、と。


私はゆっくりと目を閉じた。
それが合図となり、柳の唇と私のそれが重なる。
触れるようなそれが離れてからうっすらと目を開けば、柳はクスリと笑った。


「あのヒロインの気持ちが分かるのだろう。俺をひっぱたかないのか?」

「…私達付き合って1年くらい経つよ。あのヒロインとは状況が違う」

「そうか」

「…逆に聞くけど、柳はそれのどこが理解できないわけ?」

「…押し倒されたとしても、相手は好きな男なのだろう?付き合いはじめ1週間で手を出すのは流石に問題があると思うが、キスくらいはしてもいいだろう」


そう言って、また唇を重ねる。
今度は触れるようなものでは無く、少しねちっこいキスだ。
キスのどさくさに紛れて、柳の左手が腰を撫でるものだから、その手を掴んでそれを静止する。


「手を出すのは問題があるんじゃなかったの?」

「お前も言ったはずだ、俺とお前の付き合いは1年になる。あのマンガとは違う」

「そうだけど、私も流石に勉強しないとテスト危ないんだよね」

「…………それもそうだな」


柳はあっさり上から退き、倒れていた私の手を引いて起こしてくれた。


「お前に留年されたら困る」


「…うん」


なんて切り替えの速さだ、と思いつつ、内心はまだドキドキしたままだった。
思わず勉強が、と言ってしまったが、なんだか残念なことをしたような気持ちになった。
自分で止めておいて後悔するなんて矛盾している。


それを誤魔化すように、再び問題を解きはじめ、ちらりと柳を伺えば先程のマンガを読み終えたのか、次の巻を手に取っていた。



20120315