「……え?」
テニス部に入部して1週間が経過した。
テニス経験の全くない私のような生徒もテニス経験者も、とりあえず一定期間はランニングに基礎練習、球拾いなどのしたっぱ作業である。
ランニングを終えたばかりで息が整いきらない私の隣に、偶然通りかかった女子生徒が並んだ。
確か1年生同士の自己紹介の時に外部生だと言っていた気がする。しかも、友達から聞くところによると、テニス名門校の生徒だとか。昨年は全国大会にも出場していると聞いて驚いたものだ。
そんな彼女、前田さんはじっとことらを見て私が答えるのを待っている。
「あれ、苗字さんって内部生だったよね?」
「ああ、うん…日吉君って、テニス部の日吉君のこと?」
「そうそう。彼って去年中等部の部長だったんだよね?」
「うん」
「…やっぱりなぁ」
納得したように頷いてから、前田さんは視線を少し遠くに動かした。
つられてそちらの方を見ると、休憩時間になったらしいテニス部男子の部員達がバラバラとコートから出ていくところだった。
目敏く蜂蜜色のさらりとした髪を見つけ、ふわりとした温かい気持ちが浮上する。
心の中で改めて若君の存在を実感していると、前田さんがゆるりと片手を上げた。
「日吉くーん!」
「!?」
大声で若君を呼ぶ前田さんにギョッとして視線を向けると、それはそれはにこやかな無邪気な表情で手を振っていた。
若君と知り合い…というか仲が良いのだろうか。
驚愕してポカンと前田さんを見つめてから、若君の方に視線を向けると、若君はまぁ…なんとも面倒くさそうな顔をして立ち止まっていた。
後ろにいた鳳君が小首を傾げてこちらを見ていたが、周りにいた男子数人がニヤニヤしながら若君に何かを言っていた。
若君と数秒目が合ったが、フイと視線を逸らしてそのまま部室の方へ歩いて行ってしまった。
「うーん、日吉君って愛想無いなぁ」
「…そうだね」
愛想が無いこともあるが、あんな周りに部員がいる前で、こんなにおおっぴらに声をかけられれば、日吉君でなくとも恥ずかしいとは思うのだが。
声をかけた前田さんも前田さんだ、なかなか肝が座っているというか、なんというか。
「あのさ、友達に聞いたんだけど苗字さんって日吉君と仲良いんでしょ?」
「…まぁ」
一応付き合っているし、と言いかけて口を噤んだ。
何故前田さんは若君のことを聞いてくるのか。
その答えは、少なくとも前田さんは若君に興味があるということに繋がるのではないか。
まさか、若君のことが好きなのでは?
その疑問が浮かんだ瞬間、自分が若君の彼女であることを言って牽制をかけてしまいたい衝動と、前田さんのことを気遣う抑制が頭の中で渦巻く。
いや、しかし、そう決めつけてしまうのは早いかもしれない。
私の中で、わずかに理性が勝った。
「わか…日吉君と知り合い?」
「クラスが一緒で、今席が隣なの。折角だから仲良くなりたくて声かけても態度がそっけなくてさぁ〜。あれどうにかならないの?」
「中学からずっとあの調子だから…どうだろう」
前田さんの発言に内心胸を撫で下ろす。
よかった、別に若君が特別な存在であるわけでは無く、この口調はただ単に仲良くなりたいだけのような雰囲気を含んでおり、私が心配をするようなことでも無さそうだ。
安心したと同時に、コートの方から女子部長の集合の号令がかかり、話を一旦中断し、ふたりしてコートへ走る。
流石テニスをやっていただけあり、前田さんの足は早く、一緒にコートへ向かって走ったはずなのに私は随分置いて行かれてしまった。
やっぱり中学の時に何か部活に入っていればよかったなぁ、と後悔をしながら皆が集合している辺りに向かう。
部長の話を聞いている間にも、前の方に立っている前田さんが視界に入り、先程の話を思い出してなんとなく不安になった。
「若君って、前田さんと仲良い?」
『…はぁ?』
家に帰っても前田さんのことが頭にチラついて離れず、思いきって若君の携帯に電話をかけてみた。
そういえば、若君とメールはするものの電話をかけるのはかなり久しぶりではないだろうか。
受話器越しの若君の声に少し心拍数が上がる辺り、私もまだまだ慣れていないのだと実感する。
『いきなり電話かけてきて…何だその質問は』
「それは分かってるんだけど、気になって…」
気になる、というより不安になった。
ただ自分が安心したいだけの質問だから、若君が戸惑うのも無理は無いだろう。
それでも、真面目に答えてくれるのが彼の優しさだ。
『ただのクラスメイトだ』
「……そっか」
『ああ、そういえば……』
ふいに、若君が何かを思い出すように口を閉じた。
数秒間があってから、思い出したらしい内容を発言した。
『中学3年の時に全国大会で会ったことがあるらしい。俺は覚えてないが』
「ええー…」
『最初声かけられた時に、"前に一度会ったことがありませんか?"って言われたんだけどな。
ナンパされたのかと思ったんだがな、詳細がリアルだったから多分会ったことがあるんだろ』
「クラスメイトにナンパなんてしないでしょ。…というか若君自意識過剰」
『そうだな。どこかの誰かさんが妬いて俺にわざわざ電話をかけてきたから調子にのっちまったな』
「…………」
きっと受話器の向こうでニヤリ、と笑っているに違いない。
声にもかすかに笑みが含まれていたから、確実にそうだ。
悔しいなぁ、とため息をつくと耳元でフッと柔かい息を感じた。
『当たりだろ』
「…うるさい」
20120930