「…ヨダレたらしてた奴が良く言う」
「そのことは忘れて」
今日から部活動に本入部である。
若君は中学の頃から使って馴染みのあるラケットバックを肩にかけているが、私はただ学校のカバンとジャージを提げているだけだ。
「ちゃんと先輩の言う事聞けよ」
「分かってるよ…」
なんだか若君お母さんみたいだ、とぼんやりと割烹着を着た若君を思い浮かべる。
お玉を片手に「ちゃんとしてるのかお前は」と呆れたように言う若君を思い浮かべ、意外に似合うかもしれない、とにやにやしていたら若君が面倒くさそうにため息をついた。
「日吉ー!」
ふいに後方から声が聞こえ、振り返ると鳳君が手を振りながらこちらに走ってきた。肩にはラケットバッグをかけているから、鳳君もテニスコートへ行く途中らしかった。
軽く会釈をすると、鳳君も笑顔で「こんにちは」と挨拶をしてくれた。
「テニスコートに行くんだよね、俺も一緒に行っていい?」
「好きにしろ」
それじゃあ好きにするよ、と若君の隣に鳳君が並ぶ。
今更ながら、若君と鳳君の身長差を見ると若君は随分小さく見える。
若君は低いというわけではなく背は高い方なのに、鳳君と樺地君にはさまれている姿を見ると可愛いらしく見える。鳳君と樺地君が規格外なのだが、そのふたりに挟まれているのに一番偉そうだから、そのギャップはなかなかのものだ。これが所謂、ギャップ萌えというやつなのか。
きっと鳳君と樺地君に焦点を当てて写真を撮ったら若君は見切れるんだろうなぁ、と想像したらなんだか面白かった。
込み上げる笑いを堪えて口元を引き締めていると、若君を挟んで向こうにいる鳳君がひょっこりと顔を覗かせた。
「苗字さんもテニス部に入るんだよね?」
「うん」
「そっか、一緒に頑張ろうね」
「途中で辞めなきゃいいけどな」
「失礼な、辞めないよ!…多分」
「多分、か?」
「……辞めません」
フッと笑う若君を睨むと、若君の向こう隣を歩いている鳳君がクスクスと口元を隠して笑っていた。
私も若君も二人揃って鳳君に視線を向ける。
私達のことを笑っているというのが直ぐに分かったが、そんなに嬉しそうに笑われてしまうと気恥ずかしい。
何か笑われるような会話をしたつもりは無いのだけれど。
「二人共仲がいいんだね」
「………」
「………」
そうなのか…?と思いながら若君を見ると、ぶっきらぼうに鳳君をどついていた。
痛っ、と声を出した鳳君と、ポカンとした私を置いてさっさとテニスコートの方にさっさと進んで行くから少し慌てた。
鳳君は先に行ってしまった若君を見て、おかしそうに笑った。
「照れてるんだよ」
「……うん、なんとなくそうなのかな、とは思った」
若君は、付き合いはじめてから、気持ち柔かくなった気がする。というのも、若君の感情がそれなりに分かるようになったからそう感じるようになった。
おそらく一緒にいることが増えたから故のことだ。
若君は表情は分かりにくいものの、行動で感情がつつ抜けなのだ。
照れると視線をななめに逸らしたり、若干俯いたり、そういう動作から心情を察知するのは気付いてしまえば簡単だった。
絶対に本人には言わないけれど。
「待ってよ日吉」
鳳君は若君を追いかけて走っていく。
途中で振り返り、ごめんね邪魔しちゃって、と苦笑いで軽く手を上げてから若君の隣に並んだ。
鳳君が若君に何かを話していたが、若君がこちらに振り向くことは無かった。
ふたりが向かう男子テニスコートの方を見れば、かなりの人数の男子生徒が集まっている。
入部届けの受け付けにも長座の列が出来ており、そのうえテニスコートの周りには女子生徒が集まっている。
高等部に上がってもこの景色は変わらないようだ。
むしろ、中等部にいた時よりギャラリーは多いかもしれない。
さて、私も女子テニス部の入部受け付けに行こうかと視線を少しずらす。
男子テニス部受け付けから少し離れたところにある長テーブルには、女子生徒が疎らに集まっているだけだった。
これが男子テニス部と女子テニス部の格差である。
男子テニス部のファンはあんなにたくさんいるというのに、テニスをしようとする女子が少ないから意外だ。
その証拠に女子テニス部の人数は男子に比べるとかなり少ないし、大会でもこれといって良い成績は納めていない。
やはりみんな、テニスをするよりテニスをするかっこいい人を見たいのだ。
そうは思ったものの、若君の好きなものを共有したいという理由で部活に入ろうとしている私も、テニスコートに集まる彼女達とそんなに変わりはないし、偉そうなことは言えないのだけれど。
20120917