青春スタンバイ

「疲れた…」


ベンチに座って一息ついていると、傍でラケットをラケットバックにしまっていた若君は「体力ねぇな」と呟いた。
テニス部に入っていた男子と体力を同じにしてもらっては困る。

「だって…何時間やってると思ってるの…。明日入学式なのに」

「入学式って言ったって、オリエンテーションくらいしか無いだろ」


ラケットバックを肩にかけ、手を差し出される。
じっとりと若君を睨みつつも、その手を取ってベンチから立ち上がる。

明日、私達は氷帝学園高等部に入学し、高校生活が始まるというのに、その前日に何故テニスの練習をやっているのかは疑問だ。
そもそも、入学式を明日に控えそわそわしていた私が、何か気を紛らわせられないかと若君に電話をしたら、近場のテニスコートに呼び出されたのだ。

デートに誘われたのかと思って舞い上がり、少々めかし込んできたのに、来てみれば「テニスの指導をしてやる」とサラリと言われたのだ。
テニスコートと場所指定をされた時点で気付けたはずではあるが、まさか入学式前日にテニスの練習をさせられるとは思わなかった。
しかも、私がここに来る前に鳳君達とテニスをしていた後らしいから驚きだ。このテニス馬鹿め。


「お前も前よりは上達したな」

「本当?すぐレギュラーになれるかな?」

「馬鹿言うな。お前は精々、初心者に毛が生えた程度だ」

「手厳しいなぁ…」


はじめてテニスをやった頃よりは大分上手くなったと思うんだけどな。
空いている右手で素振りをするふりをするが、若君は鼻で笑うだけだ。



高等部への入学を機会に、私はテニス部に入ろうと考えている。100%、若君の影響である。
テニスをしている若君を見ていたら楽しそうで、私もやりたいなーと思うようになったのが理由だ。それに若君と同じ部活という響きにやられたのも、少しある。
中学では部活に入り損ねたから、高校ではそれなりに頑張りたいと思っている。


「まあ、テニス部に入って初心者と一緒に地道にやるしかないな」

「分かってるよ」


私だって、本気ですぐにレギュラーになれるなどとは思っていない。
若君と付き合いはじめてから、1ヶ月に1、2回程度テニスを教えて貰ってはいたが、その程度でそんな実力がつくわけがない。
それは若君を見ていれば良く分かる。毎日毎日部活をし、休みの日も練習をして、努力をして、そうしてからやっと結果に繋がるのだ。
それでも、確実に結果になるとは限らないから、厳しい世界だ。


「とりあえず、私の目標は試合に出ることかな」

「…まぁ、お前にはそのくらいが丁度いいんじゃないか」


ガシャン、とコートと外を繋ぐドアを閉めてから、私の家の方向に歩き出す。
家まで送ってくれるらしい若君をからかうように「若君って優しいよね」とニヤニヤしながら言ったらスルーされた。
しかし、視線をそらして前方を向いたから、少しは照れているようだ。

若君と付き合いはじめて気付いたことは、若君は照れるとすぐに目を反らすということだ。
本人がそのことを自覚しているのかは分からないが、私が思うに多分分かっていない。
癖のようなものなのか、無意識のうちにやっているようだが、それを本人に指摘するようなことはしない。
普段から不機嫌そうにムスッとしているうえに、あまり表情の出ない若君の、唯一その感情を読み取ることのできる仕草なのだ。

きっと若君が表情豊かになるまで、このことを教えることは無いだろう。
まあ、表情豊かな若君なんてまず想像がつかないが。



「クラス一緒になるといいね」

「どうだろうな…確率的にはかなり低いと思うが」

「まあそうだけど。でもまた一緒のクラスになれたら運命みたいじゃない?」

「大袈裟だ……というか、お前って時々かなり恥ずかしい発言するよな」


変なものを見るような目で見てくる日吉君にはもう慣れた。
仮にも彼女に向けるような視線では無いが、若君の思っていることがよく伝わってくる。
こういうマイナスイメージの表情は豊富なんだけどな、と嫌がらせで頬を横から摘まんだらため息をつかれた。
でも若君の今の顔はちょっと面白い。


「離せ」

「若君のほっぺ柔らかいね」

「だいたい皆柔らかいだろ」


まあ、確かにそうだ。



20120802