何故分かったのか、そこのところが非常に気になる。
しかし、それが気になったところで日吉君本人にそんなことが聞けるはずもない。聞くどころか、顔を合わせるのですら気まずい。
そろっと教室に入ると、日吉君はまだ来ていないようだ。
安堵のため息をついて席についてから、カバンの中から教材を取り出す。
そして最後にファイルを手に取り、中にある赤い封筒を確認した。
早く返事を寄越せ、と言われたものだから昨日夜遅くまで悩みに悩んで完成した手紙だ。我ながらなんて馬鹿正直なんだと思う。
しかし、これを日吉君に渡せと言われると、かなり難しいものがある。
どういう経緯で知ったのかは置いておいて、日吉君はあの赤いラブレターの差出人が私であると知っているのだ。ということは、私の気持ちなんて既に分かっているというわけだ。
私の気持ちが筒抜けなそんな相手に、どういう顔をして手紙を渡せばいいのか。
もはや羞恥プレイでしかない、と頭を抱えると前の席に青葉が登校してきて挨拶をされた。
それに返事をして机に伏せていると、気にしてくれたらしい青葉が話しかけてきた。
「苗字さん何かあったの?……あ、もしかして今日の宿題出来てないとか?」
「まさか、完璧」
今日の宿題はそんなに大したことは無かったし、それよりも日吉君への返事を渡すか渡さないか、そちらの方が重大である。
青葉は私の返事に対して、ふーん…と答えただけで特に何も追及はしてこなかった。
それに少しだけ安堵してから、机に伏せたままの状態で目を閉じた。
本当にこれからどうしよう、そんなことをひたすらに考えていたら、だんだん意識がぼんやりとしてきた。
「……苗字!」
パンッ、と頭を柔らかい何かで叩かれ飛び起きると、勢いがついたせいで机と椅子が物凄い音をたてた。
目の前には数学の先生が立っており、丸めたプリント集を手に持ちこちらを見ていた。
ハッとして周りを見ると、クラス中の生徒が私の方を振り返っている。
綺麗だった黒板には、白いチョークで書かれた数式がズラリと並んでいる。
どうやら、あのまま寝てしまったようで、その間に授業は始まっていたらしい。
時計を横目で確認すると、授業時間の半分以上が経過していた。
しまった、と今更思っても時既に遅し。
「…おはよう苗字。よく寝てたな」
「……おはようございます、すみませんでした」
「全く…朝っぱらから寝る奴があるか。昨日は何時に寝たんだ?」
「…2時くらいです」
「ほう…その時間まで勉強でもしてたのか、感心感心」
確実に嫌味である。
勉強はしていないし、まさか2時まで手紙を書いていました、なんて言えるはずもないし、言うつもりもない。
とりあえず寝ていた私が悪いので謝ると、前の席の青葉が余計な口を挟んだ。
「先生、苗字さんは朝から何かに思い悩んでるみたいなんです」
「悩み…?そうか、なんだ、恋の悩みとかか?」
ははは、と笑いながら教卓に戻っていく先生にクラス中の生徒がニヤニヤと笑う。
青葉も青葉で、先程の発言は私を助けるものではなく、からかいを全面に押し出してきた発言だったものだから本当にやめて欲しい。
クラス中の生徒が、私の居眠りの原因が恋の悩みである、というからかいに乗っている。
最悪なのはそれが図星であり、俯くことしか私に出来る対策が無いことだ。
ああ恥ずかしい恥ずかしい!
きっと日吉君もこちらを見ているのだと思うと、余計に羞恥心が沸き上がる。
「罰として、苗字は今日の宿題を放課後クラス分回収して持って来い」
「……はい」
クスクス、と周りから聞こえる声に縮こまるしかなかった。
放課後。
クラスの生徒達は帰宅やら部活やら委員会にそれぞれ向かう中、黙々と数学のノートのチェックをする。
まず誰が提出かを確認してから出席番号順にノートを並べかえる。
これが完了したら数学の先生の部屋にこのノートを持っていくだけだ。
さっさとノートチェックを終わらせたい反面、ゆっくりと確認作業をしているのは、日吉君がまだ教室にいるからである。
なんと日吉君は今日、日直だったのだ。
黒板消しをクリーナーにかけている日吉君の後ろ姿を確認しつつ、書いてきた手紙を渡そうか渡さまいかと悩む。
結局一日中悩んでいた結果、放課後までズルズルと引きずることになってしまった。
渡そうか、どうしようか。
これだけぐだぐだと考え込んでいるのも、私の中で渦巻く感情のせいだ。
これがもし見込みの無いものなら、確実に手紙を渡そうとはしていない。
しかし、妙な浮遊感があるのだ。ふわふわした、浮かれているような感情。
思い返してみれば、日吉君は私の書いたラブレターの返事をくれたのだ。内容は質問でしかなかったが、ちゃんとした封筒に便箋を入れて私に渡してくれた。
委員会の資料も、わざわざ私家にまで持ってきてくれた。帰り際に日吉君は穏やかに笑っていた。
少し遡ると、テニスだって教えてくれたし、学園祭の時はライブのチケットをくれた。
だから、期待してしまう。
優しくされているのかもしれない、そういう実感が私の中にあった。
ゆっくり進めていた確認作業も、ついに終わってしまった。
日吉君は黒板周りの清掃を終えて、戸締まりを始めている。
まずはドア側の窓の鍵をかけはじめ、順番通りに回ってくればいつか窓際の私の席まで来るはずだ。
腹を括れ、と自分に言い聞かせてから回収した数学のノートを抱え込んだ。
日吉君がこちらに来た時がチャンスだ、と息を飲んで構える。
教室には、私と日吉君の二人だけになっていた。
学園祭の後と同じようなシチュエーションに少し懐かしく感じた。
私の席の反対側にある窓の鍵をかけ終え、日吉君がこちらを向いた。
足音が近付いてくる程に心臓の音が自分の中でうるさいくらい響いていく。
そして隣の方に日吉君の気配を察知した瞬間、勢いよく席から立ち上がった。
「日吉君!!」
「は!?」
あまりの勢いに流石に驚いたのか、日吉君は肩をビクつかせて一歩引いた。
そんなことに構っていられる程私の精神状態は穏やかではなく、書いてきた手紙を日吉君に押し付けてから、数学のノートを抱えてダッシュした。
一刻も早くこの教室から出てしまいたい、その一心でドアに手をかけたが開かない。
ガタガタとドアを揺らしてから、日吉君が後のドアに鍵をかけていたことに気付いて、急いでドアの鍵を開けて逃走する。
別に格好つけたかったわけでは無いが、あまりにも格好悪い逃げ様に更に恥ずかしくなる。
きっと日吉君はポカンとしたまま立ち尽くしているのだろう。
その様子を思い浮かべ、申し訳ない気持ちになりながらも、手紙は渡した!という妙な達成感に包まれていた。
走る速度を徐々に落としながら、回収したノートを数学の先生の部屋に持って行く。
ノートを持って行った際に小言を言われたが、そんなことも気にならなかった。
なんとかやり遂げた、と部屋から出て安堵し、さあ帰るぞという段階であることに気付いた。
荷物全て教室に起きっぱなしだ。
20120630 執筆